こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

一生分の落胆

2010年09月29日 | 愛とゆるし
出会いのはじめに どーんと落胆して
これから始まる交流の 一生分の落胆を経験してしまった
このような関係は間違いなく 
雨が降って地が固まった 幸いなケースです

落胆させられた(と感じている)人と 落胆させた(と感じている)人と 
双方が 自分の感情に気付いていて
不安定な関係を生きている自覚があるとき
地固めの一歩は始まります

落胆させられた人が 今度は相手を落胆させて
落胆させた人が 今度は落胆させられて
ふたりは同じ痛さを分かち合いながら 不安定な時期を過ごしたりします

あなたの わたしの こころを想いながら
人のこころの奥底に流れるものにも 目を凝らし
ときどき深呼吸などして 頑ななこころがほぐれてきたならば
そのとき 地固めの一歩は成功です

ある日 始めに一生分の落胆を経験してしまったのだと思えた
そんな幸いな関係を築くためには 逃避せず 合理化せず
不安感を見つめ通す意志と あきらめない努力が必要なようです

(青人草・80-2 )
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肩透かし

2010年09月27日 | 無意識の世界
わたしはコワガリナノデ 肩透かしを食うようなことは できるだけ避けます。
肩透かしを食ったときの落胆があまりに大き過ぎるので 身を守っているわけです。

それでも生きていれば 小さな肩透かしは忘れた頃にやってきて、
油断したときにやってきて、避けきれるものではありません。
それで避けきれなかった肩透かしに対して いつの間にか免疫ができました。

肩透かしを食った直後 かーっと頭に血が上っているときは無理でも
ストレス曲線のてっぺんにある錯乱を 怒りまで下げて 

更に不安感まで下りてくることができたなら しばしの間そこに留まってみると
なるほどね、とか、やはりそうか…とか 小さな気付きが必ずやってきます。

もちろん 気付くのは相手のことではなく 自分の傾向について
またダメ押しされてしまったと 思わず苦笑いがでるような自己覚知です。

ショックに見舞われた後 かーっとした状態に長居をせずに
さっさと不安感まで下りてこられるようになったのは 
小さな肩透かしを食ってできてきた 免疫力のおかげでしょう。

肩透かしには意味があります。
不安感まで下りてきて 自分が何に落胆し 何を不安がっているのか。
それに気付くために たぶん肩透かしはやってくるのです。

(青人草・80-1)


夏の猛暑で すっかり枯れてしまったキングサリの木が
枝先にたった一つ花を咲かせました 肩透かしの落胆とは正反対の感情体験…!
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新しい場所

2010年09月26日 | 五感と体感
新しい場所は 馴染みの場所でもありました。
窓の外には井戸小屋が見えて その小屋までの10m程の斜面こそ
わたしがはじめて 花壇を目ろんだ場所でした。

家人が積み上げた石段の上り口には アジサイを植えています。
その上の斜面にはリキュウバイを植えて その斜め上には
実生で育ったウワミズサクラの木が でんと構えています。 

はじめての頃 ウワミズサクラに絡めたクレマチスは 2年で絶えました。
土留めに植えたシバザクラは少しずつオカメヅタに覆われ 元気を失くして 
今は 地を這う木蔦や知られていない沢山の草が 土留めをしてくれています。

井戸小屋は なんといっても特別な場所ですが (わが家の水源地ですから)
この花壇も そのスタートが特別だったわりには 眺めてもらうことが少なかったのは
この部屋がほとんど使われず カーテンが閉められていることが多かったたからです。

斜面にはマウントフットという遅咲きのスイセンを あちこちに株分けしています。
リキュウバイの白い花 淡い黄色のマウントフット 年々陣地を広げているヒメシャガ・・・
そして初夏の青色のアジサイ 来年は再生の場所から たっぷり眺めることになるでしょう。

(青人草・79)
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再生のpcコーナーにて

2010年09月25日 | 和解と平和
新しいpcコーナーで、久しぶりの更新です。
一週間近く航路をはずれて、少しのんびりしていました。

のんびりの前半は、読書と綴ることからすっかり遠ざかり(反動形成?)、
プリンターの置き場所を確保するために、動き回っていました。
それがpcコーナーを、本格的に屋根裏から下へ移動させるのに、
物を動かし諸々を整理して、いろいろと捨てているうちに、
思いがけず、未整理だったこころの整理までついてしまったのでした。

これが、あまりに大きく、わたしにとってエポックメイキングな出来事なので、
のんびりの後半は、この流れをどのように表現したらよいのか困惑して、
今も、それは続いているのですが、いつまでも、
海の真ん中で旋回しているわけにもいかないので、
新しい作業コーナーで、とにかく書いてみようと思いました。

「織機」を改造した新しい作業台は、使いやすくて最高ですが、
織機を織り以外に利用するなどは、一度も考えたことがありませんでした。
長い間、「織機」との付き合い方は、わたしの中の懸案事項でしたが、
考えてもみなかったところに、ベストアンサーは隠れていたわけです。

織機とわたしの細かな歴史は長くなるので省きますが、
作業台として再生させるという閃きが、未整理だった一つの領域を、
いとも自然に、すっきりと統合に導いてくれました。

長い間、これか、あれかの二者選択に凝り固まっていたのが、
ここにきて三番目の選択肢もあったことに気付き、
こころと体と魂の一致点、内なる答えに、今ようやく辿りつくことができました。

(青人草・79)
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自然を感じる

2010年09月18日 | 五感と体感


緑滴る国土に生まれた、ふしぎ。
この偶然を生き抜くのに、
自然の織りなす変化に鈍感であっては、もったいない。
変化する自然に敏感であることは、
山川草木の国土に生まれたものの使命かも・・・そんな気さえします。
不毛の堂々巡りに落ち込まないためにも、
身近な自然に感じ入る時間は意識して、大事にしたいものです。

(青人草・78)
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絶え間ない、こころのおしゃべり

2010年09月17日 | 無意識の世界
こころの中の、絶え間ないおしゃべり。
感情が大揺れの瞬間以外は、しょっちゅう何かしら考えている。
目の前のものに集中して我を忘れるようなことがあっても、
次の瞬間にはなにかしら思い自問自答している・・・

古来いわれている、“人は考えたとおりの人間になる”という言葉は、
大きな理想や人生の夢について思い巡らすことだけを、
指して言ってるのではないと思うのです。
もちろん夢や理想を考えることは、とても大事なことですが、
平凡な幸せを願う人生にとっては、この言葉は、
平素の絶え間ない自問自答にこそ適用するとよいかもしれません。

しょっちゅう頭を駆け巡っている、あれこれの思いや絶え間ない思考、
人はその内容に即した、人間になっていくもののように思います。
日々のストレスにさらされるたびに、繰り返される自問自答。
平素の自問自答のありよう、その蓄積は案外自分が思う以上に、
イメージとして外に現れ、見られているものかもしれません。

(青人草・77)
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猫の、トラ

2010年09月16日 | 五感と体感


山の隣人の畑で、サツマイモ堀をしてきました。
一休みの冷茶を頂く間中、膝の上でまどろむトラ。
考えてみたら、猫に触れたのは半年振りです。
道路の真ん中で、ご主人の散歩を待っています。

(青人草・76)
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来る日に

2010年09月15日 | 愛とゆるし
老いに向けて、いちばん大事な備えはなんだろう?
周囲を見渡すと、大抵の人が幸福の条件を満たすべく、
ほどほどの経済と体力と知力の維持には気を遣っているようです。

都営交通の老人パスをフル活用してる年長の友人は、
昔から、ふた周り近く歳下のわたしがへーっと驚くほど健脚、闊達な人ですが、
大病も経験して、時にしんみりと老いについて語ることもあります。
しかしどんな話を聞いても、いつも、なんとなく明るいユーモアに彩られて、
歳相応の変化を飄々と受け容れている印象をもちます。
からっとしなやかな、この明るさはどこからくるのだとろうと考えますが、
幸福の条件を追求するだけでは、こうは生きられないと思うのです。

おそらく今ここでの状況を、今ここでの現実を受け容れてゆく訓練が、
体力と知力の維持とともに、老いることの何よりの備えになるような気がします。
必要ならば理想は適当に下げて、現実との妥協点を見つける。
最善を尽くして今を楽しむ、感謝とよろこびを意識して知覚する訓練。
どんな備えも、これなくしては空しい・・・そんな気がしてなりません。

(青人草・75)
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この世で、唯一のわたし

2010年09月14日 | 五感と体感
この世に、誰一人同じ人は存在しないとは、
あたりまえのようでいて、実はきちんと意識してみると
とんでもないことなんだと驚いてしまうし、なんともふしぎな気分です。

同じ空を眺めていても、同じ感じ方をしている人はいないし、
今ここでこのように知覚しているのは、この世でたった一人、わたしだけ。
同じ夕焼け空を眺めて、きれいだねーと共感の言葉を交わしたとしても、
それぞれが、それぞれの見ている夕焼けに感動しているのであって、
そういう意味では、同じはありえないという現実とは、
なんともふしぎで・・・神秘の領域に触れているような気がしてきます。

五感を総動員して目の前の風景に身をゆだね、一人であることを感じてみる。
一度でも存在の神秘に深く深く感じ入ってみると、隣に佇む人と、
きれいだねーと感情の共感がもてることじたい、奇跡のように思えてくるのです。

ときには一人で在ることに、とことん感じ入ってみる…そうすると、
同じであることの安心感に埋没しいたときには見えなかった、
一味もふた味も違う、広やかで自由な平安感が見えてくるようです。

(青人草・74)
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生まれながらの要素と、成育史のこころ

2010年09月13日 | 無意識の世界
遺伝的な要素、生得的な傾向の上に
成育史でできた、こころの傾向が積み重なり、
ときに絡み合って、今のわたしは成立しているようです。
人間のタイプの研究は古くは古代ギリシャにもさかのぼりますが、
人間が外界を察知、適応してゆくときの反応の仕方を類型化した研究は、
先人の鋭い人間観察と洞察の結晶を垣間見るようで、興味深いものがあります。

日本では野口晴哉が人間の体の傾向を12種に分類して、
体の癖から発生してくる性格傾向を論じていますし、
ユングのタイプ論の外向と内向について読むだけでも、
森羅万象の捉え方が、人によってこんなにも違うものかと、
本を開いては、自分の傾向を再発見して驚いてしまいます。

しかし自分を知るためには、タイプの研究書を読まなくても、
成育史でつくられた、こころの傾向を理解することが、
いちばんの近道で、確かな方法かもしれません。
できれば、そこに身体感覚からのアプローチもプラスすると、
成育史のこころを理解する過程で、生得的な傾向への理解も進み、
いっそう自己肯定的な世界に導かれてゆくように思います。

(青人草・73)
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