こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

歴史が面白い!

2008年06月29日 | 第9章:愛
ここ数年の興味の変化は、なんといっても歴史に関心が向いてきたことです。学校での授業はもちろん、歴史に興味が向いたことなど、これまでの人生で余なかったのに、この週末は、図書館で偶然見つけた本に夢中になりました。本の内容はヤマト建国の謎に迫るもので、事件の起る時空が複雑に絡み合い、人物相関図や出来事をノートしてみても、頭の中は茫洋とするばかり。

でも、とにかく面白くて、こんなに惹きつけられた本も珍しいのですが、読みながら、過去に日本史に関心が向いた、数少ない出来事を思い出しました。一つは高校生の頃に“邪馬台国九州説”の本をとても面白く読んだこと。もう一つは以前、信州と九州を往復していた頃に、出雲大社に立ち寄ったことでした。師走の大社では、巫女の舞いや拝殿の注連縄の交換を興味深く見学したにも関わらず、その気候は別にして、何故か出雲大社は暗くて重たいという印象をもちました。

ここ数年で古代史への理解が進み、それなりに知識が増えて来ると、先入観なしに当時そのように感じたことも、それなりに納得がゆき、読書の内容が過去の体験に結びつくことで、益々興味が湧いてきます。考えてみると古代史への関心は、ここ10年の間に“生き甲斐の心理学”と出合い、成育過程で身につけてきた様々な拘りから少しずつ解放され、心がのびやかになるにつれて、活発になってきたような気がします。

歴史を学ぶことは、自分以外の世界に広く想像力を働かせることなので、自身の心が解放されてくると、健全な自己愛の延長として、歴史への興味というものも、必然的にあらわれてくるものなのかもしれません。歴史を知ることは、私の中の時空を超えた部分と、親しく交わることだとも感じます。記紀神話の世界に思いを巡らし、想像力を働かせながら古代史を紐解いてゆくこと。“血が騒ぐ”というに相応しいこの感じ、大事にしたいと思います。



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人間の美しさを

2008年06月26日 | 意識と知覚
美しいものに触れると、人は幸せな気持ちになります。(心が健康ならば!)季節の草花や空の移ろい、様々な自然の姿に触れることや、絵画や音楽といった、芸術の美に触れることで得られる幸福感もありますが、人々の営みの中に、美しさを見出し得られた感動は、しばしば持続的で、格別な味わいがあるように思われます。たとえば、ここのところ、なんとなく暖かな気分が生まれているのを感じるけれど、それがいったい何処から来るものか考えてみると、数日前の出来事で、知人夫妻を訪問したことが、この幸福感の原因なのだと思い至ります。

予告なしに伺って庭先から声を掛けると、ご主人の快活な応答があり、ほっとしました。一年ほど前に夫人が急な病に倒れ、入院生活の後、自宅に戻って間もない時期です。かつて家事一切を夫人に任せていた方が、想像もしていなかった役割交代の暮らしを、前向きに淡々と受け容れている姿は感動的で、自家焙煎のコーヒーの香りと共に、私はとても幸せなひと時を過ごしてきたのでした。

人生の困難をしっかり受け止めて、その人らしく、個性を輝かせている姿はとても美しい。戸惑い迷いながらも、相手を思いやり誠実に生きている関係を垣間見せてもらう度に、私の心に暖かな思いが生まれてくるのがわかります。日々出会う人の中に、人々の営みの中に、一瞬の触れ合いの内にも、その気にさえなれば、いつでも、美しいものを見出すことは可能です。

SNSのコメントの中にさえ、人々の暖かな心が行き交っているのを見つけて、うれしく幸せな気持ちになることも、決して珍しいことではありません。人も、人々の関係性も一面的に見るのでなく、折々に映し出される美しいものを見ようと努力すると、どんどん見えてくるようになるから不思議ですが、この不思議は、確実に、私を幸福感に導いてくれるものであるのが判ります。




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変化を受け容れる

2008年06月25日 | 意識と知覚
“採れすぎて困る、貰って!”という知人から、梅をどっさり頂きました。新鮮な内に漬けたいので予定は変更、何はさておいても梅仕事とばかり、頭の中は忙しく材料の買出しや作業工程の算段を始めますが、田舎暮らしでは、このような突然の到来物で、予定外の作業が侵入することが間々あります。春の山菜となると特に、間を置かず調理して食すのが身上ですから、献立の大幅変更で、ストレスを感ずるよりはと、もう何年も献立をたてることは止めにしています。今は経験を重ねて、どっさりの自然の恵みを前にしても、たじろぐことはなくなりました。

自然と密接な暮らしでは、思いがけないことが沢山起るので、いつの頃からか、自然相手のことは予定通りにいかなくて当たり前と、考えるようになりました。外作業は天候に左右されますし、笹の根っこをやっとの思いで取り除き、耕した菜園は、動物の侵入で、めちゃくちゃにされることも少なくありません。

台風の後は、林道を塞ぐ木の枝をいちいち取り除けながら車を運転することもあるし、大雨で道が流されれば、夫はやりかけの仕事は中断して、まずは林道の補修を最優先です。家にスズメバチが迷い込んで来れば、ぶーんと音をたてながら飛び回り、時々天上の桟に止まっては、また飛び回り、なかなか出て行かないハチの行方をじっと息を殺して見守ることになります。なるべく自主退出してもらいたいと願いつつ…。

小鳥が迷い込むこともありますが、ハチとは逆に、人間の方は余裕をもって、慎重に窓辺へ誘導しますが、小鳥の方が大慌てのために殊のほか手間取ったりします。こんなふうに、毎日何が起るかわからない自然の中で暮らす内に、変化に対する順応性はついてきたような気がします。

日々の出来事で―たとえば人間関係のストレスでも“状況は変化するもの”と思うだけで気持ちは楽になり、余裕をもって出来事を眺めている自分に気付きますが、人間も自然の一部で、変化の中に生きていることを思い出すことが、心の健康のために、とても大切なことのように思います。





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このごろ好きな言葉

2008年06月19日 | 意識と知覚
日常生活の中で、何気なく聞いて、心に留まる言葉というのがあります。“美しいものは残る(残ってゆく)” 夕べのTVで心に留まったこの言葉は、探査衛星から眺める地球の映像と共に、俳人の黛まどかさんによって語られました。黛さん自身、このような情緒的な言葉を発するとは思えないような人物―(確か、先端の工学に従事するような人だったと思いますが)の意外な言葉として、とても驚き、印象に残ったのだといいます。“美しいものは残る・・・”私自身、その通りと、心の奥深いところで大きく頷いている感じがしますが、これが次の心に留まった言葉に自然に繋がってゆくのですね、それに気が付きました。

“真善美を知り尽くしている魂・・・” これは私が既に了解しているはずの、或る神学者による魂の定義からの言葉なのですが、数日前にインターネットの或るコミュ二ティに書き込まれた一文を読んだとき、文中のこのフレーズだけが妙に輝いて、一目読むなり胸中深く光が射し込んだ、そんな感覚がありました。“美しいものは残る…” 前述のこの言葉に大きく頷いたのは、おそらく私の中の“真善美を知り尽くしている魂”なのでしょう。きっとそうです。

そして、もう一つ、近ごろ心に留まった言葉は最近観たDVDの中にありました。“人生のピークは人それぞれ”と、俳優のクリント・イーストウッドが、数年前に自身で監督した、映画のインタビューの中で語っていました。70歳を越えた今が、人生のピークを迎えていると言い切る姿は、とても素敵ですし、インタビュアーのチャーリー・ローズでなくても、“希望の星だ!”と言いたくなります。

人生のピークは、人によって、幸福をどのように捉えているかによって違ってくるし、日々の幸福感の感じ方、その感受性に大きく左右されるものでもあるでしょう。“人生のピークは人それぞれ”私自身、ピークはこれからという手ごたえの中、日々を生きているので、この言葉を心で復唱する度に、本当にそうだなと思うのです。





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水が不足して考えたこと…

2008年06月17日 | 意識と知覚
ポンプの寿命が尽きて、井戸からの給水が完全に止まってしまいました。この数日を貰い水と雨水で急場をしのぎ、限られた水をやり繰りしていますが、こんな時、思考はどうしても、“限りある事”について考える方へ向かっていきます。水の不足は、当たり前のように水があるときには、なかなか気付けなかった大事なことに思いを巡らす、貴重な機会を与えてくれました。

限りあるもの、限りある関係、限りある心と体・・・これらを突き詰めて行けば自ずと、限りあるこの世の暮らし、限りある人生という思考に行き着きますから、この数日間は、大袈裟に言えば“人生に悔いがないのはどっち?”というのが行動の基準になっていて、外から見れば別に変化したとも思われないほど、日常生活の枠に納まっている事ばかりですが、私自身はいつになく、時には厳粛というのにも近いような心境で、考え行動していたりするのです。

水という、おそらく最も大事な命の糧の一つに不足がでると、なんと自分は余分なものをいっぱい抱えこんで生きていたことかと、本当に必要なものだけもって身軽に生きてゆきたいという思いが強まって、不要なものの仕分けと処分、身の回りの整理整頓に励むことになりますが、同時進行で、目には見えない心の整理の方も少しずつ進んでいくことになります。                                                                                             
有限の人生を意識すること。日々それを意識して行動するということは、この世での人生を終えてなおも続いていく魂という存在を、くっきりと浮かび上がらせ、信じることを強めるのだということにも、気付かされます。当たり前ですが、有限をきちんと考え、意識せずして、魂の意味を解るはずもないのでした。それにしても、ずっと以前に今回のような水不足を体験した時には決してなかった、限りある人生と魂について、淡々と明るく思い巡らせるような心の在りようは、“生き甲斐の心理学”を学んできたからこそなのだと、しみじみ思います。

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香りの幸せ

2008年06月10日 | 意識と知覚
“日々の日常生活で幸福感を感じているのに、自分は幸福でないと言う人がいます*”数年前までの私が、まさにそういう人であったのは、日々の幸福感を意識して知覚するということが、殆どなかったからでした。今は以前と違って、豊かに幸福感を意識できるようになっていますが、山の暮らしでは、草花や木々の自然から、五感、体感の幸福を意識することが多く、植物や空の色、風が起こす音や小鳥の声等、自然を“五感の幸せ”の宝庫と思っています。

五感の幸せの中でも、心地よさの知覚の原点はなんといっても“匂い”がもたらしてくれるものと感じますが、折々の自然から漂い来る好い匂いを感知するや、自分が一瞬にして喜びに満たされることに気づきます。

本日の香りの幸せ。車で用事にでたときに、郵便局のカーブ辺りで焚き火の匂いが流れてきましたが、小枝や枯れ草を燃やす匂いはとても懐かしく、焚き火の匂いは私の中の子供心の平安感に、直結しているように思われます。それから立ち寄った、向かいの山に住む隣人が分けてくれたバジルの苗の香りは、昨日、畑の虫除けにはバジルを植えると効果的と、人に教わったばかりだったので、そのタイミングのよさに、香りの喜びは倍増されました。

そして今、わがやの庭では、ほのかにテイカカズラの香りが漂っています。名前は、古の歌人に纏わる恋の物語に由来するものといいますが、名づけたのは、旺盛に繁茂し咲き乱れる花の姿からイメージしたのではなくて、やはり、この控えめな香りから連想して名づけたのでありましょう。(そう思いたい)

数日前より、我が家の井戸のポンプアップが捗々しくなくて、ボーリング業者に来てもらっても明解な答えが得られず、暫時、様子見、多少の水の不便という不安定要素もあるのですが、今日はそれに勝る、香りの幸福を、存分に感じることのできた一日でした。

*<幸福>と<幸福感>の違いは、生き甲斐の心理学8ページを参照下さい。




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力をぬくこと…

2008年06月04日 | 意識と知覚
五月も終りの頃、少し体調を崩しました。毎年、外作業に夢中になる今頃の時期は要注意なのですが、雑草と格闘し、次々開花する草花に心を奪われる日々、体調管理には、なかなか思いが及びません。食欲を控えて安静にしていれば快復しますが、今年は酷い肩こりが加わった上に、年齢と共に快復が遅くなっているのを実感します。そんなこともあり、ここのところは否応なしに、体に意識を向けて日々を過ごすこととなりました。

身体感覚に意識を向けることと、自分の行動を客観的に観察することを心がける。それで気付いたことは、物事への反応が思いのほか“せっかち”なこと。“せっかち”は、これまでも、うすうす感じていた傾向ですが、この度の大発見は、“肩に力がはいっている”ということで、ふと気付けば、いつも肩に力がはいっている・・・これは驚きでした。それで今は、日常生活を意識して、ゆったりと行動するようにしていることと、肩の力をぬくことを心がけているのですが、養生を第一にしていると自ずと、“今を生きる”生き方に近づいてきます。身体を気遣いつつ、外作業や日常の諸々をこなしていると、考え込み思い悩むヒマがないので、余分なものが削ぎ落とされて、精神衛生もよくなってくるようです。

肩に力がはいっていた…これに気付き、“肩の力をぬくこと”を覚えた(?)のは
私にとっては大収穫で、体調不調がもたらした贈り物とさえ思います。夜、寝床にはいって、ふーっと肩の力をぬくとき、体の弛緩の心地よさと同時に、呼吸することの心地よさも覚えます。初めて知った深く呼吸することの気持ちの良さです。それにしても“肩の力をぬく”、どうして、こんな単純なことに気付けなかったのでしょう。力をぬいてもよいと思えるほど、外界が安心できるところではなかったから!?・・・そうだとしたら今の情況は、実にありがたいことなのだと思います。




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