こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

自分にとって適切かどうか

2021年01月15日 | 自己実現
ずっと相手に合わせていたんだ、、ごく近しい関係で知らず知らずに合わせていたことにハッとして驚愕したことがあります。あまりに近しい関係だったので、ハッとしたのと同時に生育過程のもっと親しい関係が連想されて、そうかあ…と大いに納得したのですが。

誰もが幼少期のある時期に、あなたとわたしの関係性の中で相手に合わせることを徐々に覚え始めるのだと思いますが、合わせることの無意識の度合いによって、その内容によって、またそれぞれの個性によっても、その後の思考と感情の傾向、防衛機制が様々に展開されていくように思われます。

合わせるといっても別にいつもいつも無理して合わせているわけでもなく、楽しく合わせているという側面もあるので、「適応」の範囲と捉えれば何も問題にする必要はないのかもしれません。でも驚愕するくらい本当に有難い気付きだったと私が感じるのは、知らず知らず合わせている、その無意識の度合いが私の場合、大きかったと思うからなのです。

部分的な感情転移はわりと頻繁に起こるものではないかと、そんな感触を私は持っていますが、幼少期からの「あなたとわたしの関係」が、現在の幼少期とは別の関係性の中で再現されることは珍しいことではないし肯定的な側面だってありますね。でも、やはりここでも頻度と内容、その人にとって感情転移がどんな意味を持つかによっても放置しておくのがよいのか、意識して取り組んでみるのがよいのか、様々なケースがありそうです。

あなたとわたしの関係性において、私があなたの個性によく気付いていて、それを認めて楽しむことができるのであれば問題はありませんが、逆に言えば感情転移が適切でなく過剰に機能しているような場合には、あなたの個性がよく見えていないので、親しくてもなんとなく上滑りの体裁だけの関係に終始してしまうということがあるかもしれません。

ハッとしたあの瞬間、キョウガクがあって本当によかったと私は思います。あの気付きがあって自分の感情転移がどのように機能しているか、私にとって適切な防衛機制のあり様を見つける過程を楽しもうと、あらためて思うようになりました。
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2021/01/11

2021年01月11日 | Weblog





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こころ穏やかに

2021年01月03日 | 自己実現
暮れから新年にかけて、一つのことを思っていました。今ここを「こころ穏やかに」・・・それが叶えば、あとは野となれ山となれ、、、ぐらいの気持ちで越年の家事のあれこれに関して、やるべきことのリストアップもしないまま、成り行き任せでやるとどうなるのか?実験するような気持ちがありました。

結論からいうと目に見える形では例年とほぼ変わらぬペースでお年越しの食卓が整いました。戸棚の奥から絵付けの器と朱色の漆器も登場させることができて、成り行き任せでもここまでになるのか。ひっそりと心で思い、ふしぎな感動に包まれました。

暮れからお正月のあり様は、大晦日に掃除機もかければ(通常の順路、お掃除と同じです)、活け花もなかった(思いつきませんでした)、お掃除も行き届かないところだらけなので、世間の常識というのがあるとすれば、そこからは外れたあり様ではありました。でも、いいんですね、これで。

目に見える形に関しては身体に染み付いた自己概念と現実吟味力で成るようになってゆくということがよく解りましたし、こころの世界、感情の流れについては、「こころ穏やかに」、この一点集中の意味深さと何に焦点付けするか。今ここで、どこに意識をおくのか。本当にこれが大事であると実感しました。

心の晴れやかさ、軽やかさは何ものにも代えがたく一度味わうと、見える形に振り回されるのはもう止めようと本当に思います。

こころ穏やかに。これを叶えるために思考と感情を調整してゆく醍醐味がほんの少しわかった。ざわつくことが起こってもストレス曲線を上るのでなく幸福曲線へ移していくコツが少し掴めた気がするので、この感覚を拡げていけたらいいのかなと、思っています。

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