こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

人それぞれの、在り様

2018年08月25日 | 自己実現
両手で大きく、その人の輪郭を描きながら、
「教会そのもの、ですね!(体現していますねぇ、、)」
咄嗟に、こんな言葉が出でしまったのですが。

わかってもらえないんだなあ。。。と、口をついて出た言葉ですが、
間髪いれず「あら、うれしい!(そう思ってもらえるのは、うれしい、、)」
そう返されて、ぎょっとしたというか、ぞっとしたというか。
あらためて当時を振り返えると、そう返されたことで、
違和感が決定的になったというのが一番近いように思います。

同一化の度合いは、人それぞれ。
どこに同一化するか。誰に同一化するか。
同一化して幸福曲線を歩む人、ストレス曲線を歩む人。
生涯、同一化の道を邁進する人、途中でハタと気付いて降りる人。
目覚めつつ、中庸の道を静かに歩む人。いろいろです。

何かに同一化しながら生きてゆくのが人間、ですね。

台所の窓から、小鳥の水浴びを眺めたり、
随分長く飛んでいるね~と飛び回っている蝶々を目で追ったり、
吹く風に、以前も同じ風を感じたことがあったねと思ったり、
ぼーっと自然と一体化しているようなこともあって。

自分の同一化に自覚的になるのは(人類の)意識の進化のしるしかもしれません。
(と、ふと思いましたが、どうでしょう?)

くだんの人とばったり会うことがあるでしょうか。
その時は私の同一化のあり様で幸福曲線か否かが決まるでしょう。
その人ではなく、私のあり様で決まるのですね。
〔56〕
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人生全体から眺めると。。。

2018年08月20日 | 自己実現
「現実逃避」という言葉に、どちらかというと
私がマイナスのイメージをもってきたのは、
世の中の常識的な考え方に沿ってきたからでしょう。

向き合うべき現実に背を向けて他のことにエネルギーを注ぐのが、
現実逃避であるとすると、向き合うべき現実があるという思考のもとに
定義は成立っているわけで。そこからちょっと離れてみると、
人生途上で差し迫る様々なコトに対して、
~するべきに沿って生きるのが正解のこともあれば、
~するべきを回避して別のことにエネルギーを注ぐのが正解のこともあります。

試験の前になると長編小説を読み始める。。。
あのときがなければ読む機会を逸していたような気もするので、
人生全体からみれば得たものの方が大きい、
なかなかよかったじゃないと思うわけですね。

人生全体からみて。。。こころと身体と魂においてどうなのか?

感じることから逃げて、思考に逃げ込む。
感情を受け容れるより先に、頭で理解しようとする。
こころの仕組みを知らなかった頃ならいざしらず、
この傾向のまま生きてゆくとしたら、ちょっと拙い。
感じることを大事にしたい。考えることに逃げ込まない。
これまでの不均衡を補うつもりで生きている今日この頃なのですが。

感じることから逃げるのは何も生育史の要素だけではありません。
日本人としての傾向もあるでしょうし人類としての傾向でもあるでしょう。
そう思うと、なんだか微笑みたくなるのですが、
それを知ったことは、これまでの知的探求の結果でもあるので、
やはり、これまでの傾向もよかった。すべて必要だったのですね。
〔55〕
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あの頃の感覚で、庭造り

2018年08月08日 | 自己実現
居間の前庭が一応我が家のメインの庭で、
畑との境は土を盛って、椿とお茶の木を植えています。
時々鹿が土手を横ぎってゆくのを目撃しますが、
ひと気のないときには庭に入り込んで、
ありとあらゆる新芽や若葉を食んでゆきます。

去年ぐらいから庭の片隅のスペースに、
本来なら畑に植える植物を、このくらいならいいかなと、
迷いつつ試行錯誤で移動を開始しています。
年齢的に作業の限界、体力を意識してのことですが、
庭も畑も自分の手に負えるスペースに縮小しないといけません。

ニラを移すにあたっては間違えのないように、
庭の水仙はすべて掘り起こし遠くの場所に移動させました。
はじめて庭の植木鉢にオクラを育ててみましたが、
尖った葉っぱや黄色の花も綺麗、さっと朝取りできるし、
来年は地植えで本数を増やしてもよいかなと。

子供の頃に空き地の片隅にせっせと穴を掘って、
直径一メートルぐらいのものですが、
ビニールシートを敷きこんで、石を並べて縁取って、
小さな池を造ったことを思い出します。
池をつくろう!シンプルな情動で行動に移した、
あの感覚で庭と畑を作り上げてゆけたらいいなと。

大人になる過程で外界から取り入れてきた、
外側から取り入れた庭の概念を思い切って取り去って、
内側から湧いてくる感覚を頼りに素直に庭をつくってみたい。
そんな思いが強くなってきています。

野菜と花の混在する庭。鹿に多少食べらちゃっても落胆しない庭。
子供の頃の、あの感覚に意識を合わせて進んでゆけたらいいなと思います。
〔54〕
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ボーっと生きないで、平安感を大切に

2018年08月05日 | 自己実現
久しぶりに峠を越えて、図書館のある町に出かけることにします。
ここのところ読書は休眠モードに入っているけれど、
せっかく近くまで行くのだから本を借りようか、
特に読みたい本もないのだけど、などと運転しながら考えました。

こころの自由な人の本だったら読みたいな…ふとそんなことが浮かんで、
そうだ、そうだ、そうしよう。パッと一人浮かびました。
そうしよう。以前、図書館の本棚に本を見かけたことも思い出して。
突然、テレビ番組のフレーズが浮かんで一人笑いしたのですが、
「ねえねえ。。図書館で本を見つけられそうな人で、こころが自由な人って誰(だあれ)?」
チコちゃんに訊かれるのを想像しながら、なんだか楽しくなってきます。

注目される立場の人々の見え透いた嘘が幅をきかせている。
連日、目に耳に入ってくる事象に対する解毒剤としての読書になりそうです。
怒りの炎を吹きながら「ボーっと生きてるんじゃなねえよ!」
あまり品がよいとはいえないチコちゃんの喝が小気味よく感じられ、
なんとなくスカッとするのも解毒作用があるからでしょうか。

こころの自由な人は、たぶん自分にも他者にも正直で、
不健全な知性化から最も遠いところに在る人のように思われます。
不健康な知性化や合理化がはびこった成れの果てを観察しながらも、
対極を指し示す正直で自由なこころに触れることを意識しながら、
平安感を大切に。意識して日々を過ごしたいものです。
〔50,52,53〕
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