こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

雨上がり、夕暮れ間近に

2011年09月30日 | Weblog


キッチンの窓からまっすぐの場所に、夕顔の花をみつけました。
ふいをつかれるというか…おもいがけないときに咲くのが、この花のよいところ。
ぽっかりと浮かぶ花を認めた途端に気分が高揚します。
夕顔を見るついでに、キャベツの浅漬けに散らす紫蘇の実を採りに畑へ。



隣り合う木が育って枝がかぶさってきて、
今年のジンジャーは苦戦中、花が少ないのです。
そんな中、紫モクレンの枝の間からすっくと顔を出して、
“負けないわ”とばかりに咲いている子がいました。いいですね^^)
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memo11

2011年06月24日 | Weblog
旅・三日目

問題に向き合うべく、行動開始。

愛読してきたJヒルマンの本を思い出す。
この世はSoul makingする場所/魂作りの場所、
生まれながらにもっている魂のイメージを実現させる場所。
衰弱した心に引っ張られて、魂から抜け落ちてしまうことのないように。

無理な要求をしてくる心に対して、
できることとできないことを、明確にしておくこと。
何のために生きているのか?この自問なしには一歩も進めない。

午後、病院に母を見舞う。会うのは三ヶ月ぶり、小さくなって驚いてしまうが、
入院生活にそれなりに適応しているのがわかり、ほっとする。

病院の帰り立ち寄った一家は、淡々と明るく爽やかに逞しい。
この十数年で、一家に対する私の感受性は大きく変化した。
心を見つめる作業は、人を少しずつ魂のイメージに近づけてゆく。

問題は進行中で、相手の応答を待っている。

旅・4~6日

怒涛の三日間。
人は生きていたように死んでゆく。
重い問題は形を変えて、新たな問題を生み出してくるので、
流れ行く現実に適応してゆくのが精一杯。

旅・7日目

心身が興奮状態で、眠れない。
ストレス曲線をのぼったりおりたりして一日が過ぎる。
夕方の母の見舞いも諦める。

夜になって漸く、少し怒りが鎮まってくる。
友人につぶやく余裕がでてきた。
つぶやきながら心が整理されてゆく。

言語化によって統合されるとは、現実を受容しだした徴。

(119-20-5)
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memo10

2011年06月23日 | Weblog
旅・一日目

東に向かって。今回はちょっと重い問題をかかえている。
問題は最終目的地にあるので、道中は
“目の前の大切なものを大切に、安全に楽しく”と自分に言聞かせる。

朝、雨の中を出発。
途中、山口県立萩美術館でルーシー・リー展を観る。

出発前に、少々気の重い旅になるのを知る友人には、
何かあったら、つぶやくかもしれない・・・そのときはよろしくと。
友人からは、了解、いつでもどうぞと返事をもらっていた。
つぶやける場所があるというそれだけで、安心感がある。

旅・二日目

霧雨の朝、栗東SAから琵琶湖を眺める。
雲が湖面の際まで迫り、起伏ある細い湖岸線が滲んでいる・・・
昨日見たルーシー・リーの線模様の陶器に通ずる風景に、
またまた“未来から過去に向かう時間”のことを想ってしまう。

野州町の小磨崖仏を訪ねるために高速を下りる。
住宅地を通り抜け、小雨の中、細い山道を徒歩で行く。
鎌倉時代のお地蔵様と、そこから600m先の不動明王まで。
お不動様には滝があり、小さな社殿の後ろには巨石が控えている。

ここで弘法大師が修行したのだという。

小さな境内はよく手入れされていて、
アメリカハナミズキと、園芸種のリラの苗木がが、ほほえましい。
外来の園芸木は一見ミスマッチのようだけど、手入れする人が、
仕事を楽しみ作業を喜びとしているのが伝わってくる。

ちょっとした登山で3キロも歩いてしまったが、帰りは雨も止みお日様が顔を出す。

問題のことが頭を掠めてくると、何のために生きているのか?自問する。
いちばん大切にしたいことは何か?を自問する。
問題は心の課題として、とてもハードルが高い。

何のために生きているのか?
何を大切にしたいのか?絶えず自問しては足場を確認する。

休息で車を止めるとき、何度もルーシー・リーの作品集を捲った。
やわらかな光の気配を掬い取って、心は落ち着く。

夜、9時前に目的地に到着。

(119-20-4)
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memo9 

2011年05月10日 | Weblog
斜面のオオデマリマリの上の辺りで鹿の角を拾う

聖堂の花活けお当番、家からモッコウバラとシャガ持参
JAマーケットでクンシランが二束!迷わず決める 会心のハーモニー♪

右手に1cmぐらいのナナフシがとまっていた
体をよじってダンスしているみたい
居間にいた子を表花壇のスミレの葉へ

鹿に食べられ放題だったシイタケ、
シーズン最後に思いがけず収穫叶う
雨降りの前日だったのも幸い  

以上のできごとが、山に留まる意思に対して
自然が応えてくれたように見えるのですね

(信じれば見えてくる・・・)
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memo8

2011年01月06日 | Weblog
きょうは迷走の日でした。
ストレス曲線をのぼったりおりたり、
強力な自己嫌悪というアクセントまでつきました。

混乱が大きかった分、最終的には得たものも大きかった。
“今ここに”留まることが苦手で、
心配性の傾向をそれは強力に、再確認しました。
きょうの迷走はこれでおしまい。
新しい明日を祈りつつ…おやすみなさい。
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memo7

2010年04月04日 | Weblog
たぶん、アブラは小動物(テンか、ハクビシンか、はたまた…)とたたかって、致命傷を負ってしまったのではないか。それで帰れなくなったと想像しています。これまでの日常を考えると、その可能性が一番高いと思っています。

先のアブラのくつろいでいる写真に、ひょっとして帰ってきた?と思われた方もいたようです。これからもときどき、ちょっと節目を意識したときなど、なつかしい写真を載せたくなると思います。。。
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memo6

2010年04月02日 | Weblog
昨日は時間をかけすぎているうちに、
タイミングをはずし、気がつけば迷路の中・・・
感情の伝達に大事なのは、
“時間の量よりも、質を与えること”
この言葉を忘れないように
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memo5

2010年03月15日 | Weblog
ここはひとつ大人の態度で。
統合された人の評価を真摯に受け止めつつ、
自分のプロセスを大事にしよう。

遠まわしに伝えてくれるのは、
配慮ある大人のやり方。。。
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memo4

2010年03月13日 | Weblog
今週は東京経由で信州へ。毎度のことですが、短期集中で人に会います。発つ前に外せない目的の前後に人に会う予定を組みますが、場所と時間は流動的にして会う直前に連絡を入れるようにしておきます。そして待ち合わせ場所で無事に会えたなら、後は天候と気分によって風の吹くまま気の向くまま…これが実に楽しい。思わぬ展開の余地があるよう、誰に会うときも予定にはゆるみをもたせておきます。

山の暮らしが穏やかな生成りと淡緑のトーンで流れてゆくのだとしたら、短期集中で人に会う日々は、相手から放たれる鮮やかな色味が強烈なタッチで入り込み、せわしく流れてゆく感じです。

帰途、搭乗待ちのひとときに会見のあれこれを思い起こしつつ“修行しなくては、、”という気持になるのもいつものことですが、もちろんこれは明るいトーンの前向きな呟きです。次のチャンスまで、出会いの刺激を山の淡い日々に気持ちよく同化させてゆくことにしましょう。

ところで信州から東京への移動前、都会の寒さはそれほどでもなかろうとハイネックのスェーターを託送荷物に入れてしまったのは大きな間違い。寒風と旅疲れも少々出始め、最終日の歓談は疲れ気味でごめんなさい。いつものようにふわっとした色彩で旅を締めくくることができて感謝しています。(○4)
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memo3

2010年02月11日 | Weblog
昨日のブログ、“そのために自分が生まれてきたと思える生き方”を“生まれたと思える”と打ち込んでいたことに気付きました。

たった二文字のことですが、印象が随分違ってきます。“生まれてきた”でなければ時間的なプロセスが感じられません。そして魂のはたらきも…。昨日お読み下さった方に、お詫びと訂正を致します。

“そのために自分が生まれてきたと思える生き方を、他をかえりみないで、徹底的に探究する”、この言葉は「須賀敦子が歩いた道」(新潮社・とんぼの本)、シエナの項で見つけた、須賀敦子さんの言葉でした。(○3)

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