こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

音楽

2009年07月29日 | 魂と聖霊
初めて、愛という言葉を自覚的に使ったのは、高校一年の音楽鑑賞の時間、パッヘルベルのカノンの感想文の中でした。愛とはこういうものという鮮明なイメージが湧き上がり、静かな昂揚感に包まれながら、“愛を感ずる曲”と書いた記憶があります。

カノンは幅広いジャンルで演奏されていて耳にする機会が多い曲ですが、最近になって、同じ頃に聴いていたレコードを、ふと聴いてみたくなりました。革新的と評さていたピアニストの奏でるバッハ。30年ぶりにCDで再会して、私の中に在って全く変わっていないもの、それを確かめながら、あらためて胸がいっぱいになります。

音楽とはふしぎです。長い年月を、探していたものを見つけたと喜び、見失ったと嘆き、求めていた大事なものに漸く辿りついたと思ったら、いつの間にか遠ざかり・・・こころがあちこちさ迷い歩いても、身体の奥底にしっかりと留まり、いつも変わらず私を支えてくれているものがあったことを、音楽はそっと思い出させてくれます。

人気ブログランキングヘ宜しくお願いします
ありがとうございます





コメント
この記事をはてなブックマークに追加

情動のパターン…

2009年07月28日 | 無意識の世界
外出から戻った直後や、作業がずれ込んで大慌てで食事の準備をしているときなど、空腹を満たしたい要求のまま、ものすごい集中力で動いている。“実に情動的、、”と可笑しくなりますが、これは自分にとって許容できる情動です。

情動にもパターンがあって、相手の言葉に反応して頭に血が上り、即、反撃するような場合は、対話は噛み合わないし、後味の悪さだけが残ります。

カッときても、直ぐに“いつものパターンだ”と思い出せれば、行動は思い止まれる…情動にも意味があるに違いありませんが、一呼吸おいて冷静になると、反撃しなくてよかったと、胸を撫で下ろすことだけは確かです。意味は直には解けませんが、“パターンから抜け出せた”成功体験にはなります。成功体験は余裕を生み出します。

実は、これは少し前に私に起ったこと、ほやほやの体験なのですが、情動の意味の追求はどうでもよくなっています。成功体験を重ねていくこと、パターンを抜け出すことに意味がある。そう思えてきました。意味を感じると、楽しみの要素が入ってくるのですね。次に、カッとくる日が待ち遠しいといったら、言いすぎかな。。。

人気ブログランキングヘ宜しくお願いします
ありがとうございます




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

愛の原型をめぐって

2009年07月26日 | 第9章:愛
成育史が宝物と言い切れる人は幸せです。頭の理解だけでなく感情的にも、自分の成育史は宝物と肯定的に言えるかどうかは、成育史の愛の原型への信認度にかかっているように思います。

愛の原型は一つとは限りませんが、これが一番という愛を意識するとき、そこに近親者の温もりがあれば、自分の愛の原型として、なんとなく安心を感じるのではないでしょうか。しかし、それがないとしても、成育史で体験してきた感情は人それぞれなのだから、いの一番に近親者との直接的な場面が浮ばないとしても、不安を覚える必要はないのでした。

夏のテラスでのお茶のひととき。私が真っ先に思い浮かべる原型には、家族と共にあるけれど直接的な触れ合いはありません。庭の自然と融け合ってしまったような静寂の時間。これが最も重要な愛の場面ですが、この原型を信じたとき心から、成育史は宝物と言うことができます。

自分にとって、これが愛だと思える場面を信じ切ってみることが何より重要なのだと思います。それを信じると、他にも成育史の愛が次々と意識化されて、身近な人との愛の場面も思い出されてくるから、ふしぎです。

人気ブログランキングヘ宜しくお願いします
ありがとうございます



コメント
この記事をはてなブックマークに追加

夏の畑にて

2009年07月23日 | 第9章:愛
開墾して一年目は、滋養たっぷりの山の腐葉土のおかげで、肥料無しで野菜はすくすくと育ちます。そんな畑で初収獲の大根と胡瓜に感嘆したのは、まだ家もなく仮小屋住まいの頃でした。

あれから○年、野菜よりも花の庭に気を散らせながらも細々と繋げてきた、畑の土作り。この夏はじめて初収獲の頃を超えるほどの胡瓜を収獲しました。少なくとも胡瓜とピーマンは買わずに済ませているのだから進歩したものです。トマトもナスも“昨年よりは”上手くいっているし。

世間を基準にすればお話にならないくらい低レベルでも、去年の仕事、自分のこれまでの取り組みと成果を基準に、これから先も野菜作りはマイペースで進んでゆくことでしょう。

あくまでも自分を基準に楽しめる世界は貴重です。更に自分の世界を楽しんだ結果として、その喜びが人に伝われば最高です。来年はポットに種蒔きする種類をもっと増やそう。収穫物はとうてい無理でも、せめてポット苗のお裾分けをと思うわけですが、想像するだけで、幸せです。

人気ブログランキングヘ宜しくお願いします
ありがとうございます


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ぽかんと浮ぶ

2009年07月20日 | 五感と体感
この頃、妙に浮んでくる“あっぷあっぷする”という言葉。平素は殆ど使うことのない表現ですが、ずっと以前、このように表現されている状況を目の当たりにして、しみじみ惨め、こういう状況には落ち込みたくないと思いました。

だけど気になるには気になるだけの理由があって、ある事に関して、どう見てもあっぷあっぷしている状況がはっきりと自覚されました。水に溺れて呼吸困難な様子、物事が上手く行かないでもがく様子を意味するこの言葉・・・言葉の意味を体で感じていると、なんだか人生の大半を、あっぷあっぷして過してきたような気もしてきます。

当たり前の話ですが、生まれて以来、私が確かに知っているのは、今ここでキーを打ち込んでいるところの、この心と身体だけで、体験したことのない未知の可能性が、自分に開かれていることなど普通は考えも及びません。

今ここで呼吸困難な自分を認めたということは、同時に、新しい可能性に開かれたことでもあります。スイスイと軽やかに泳ぐのが理想ですが、まずは、ぽかんと浮ぶことから。焦らずに、のんびりと空を仰ぎみる練習から始めるのが、実力に適ってよさそうです。。。

人気ブログランキングヘ宜しくお願いします
ありがとうございます


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

テレビ

2009年07月19日 | 魂と聖霊
テレビがきて、まる三年が経ちますが、今ではテレビがなかった頃が思い出せないくらい生活に馴染んでいます。テレビが無いと知ると人から、夜はどんなふうに過しているの!と驚かれましたが、ラジオを流したり、大半は本を開き、穏やかに対話していることも多かったと思います。そして動物の気配を感ずることも、今よりずっと多かった。

三年前、インターネットケーブルは大歓迎だけど、テレビまで来るのはちょっと迷惑…と感じていました。ところがいざ来てみると、来てくれてよかったと思うことの方が多く、テレビ番組やコマーシャルを通して世の中の動向を知る面白さと、単純に、それまでちんぷんかんぷんだった話題についてゆける楽しさがあります。

そして訳もなく流す涙が増えました。先端のカメラ技術を駆使した番組で動物の生態を観たり、小さなプリンセス、プリンスの愛らしいお姿に触れても涙ぐんでいるのです。このような生命に対する感動は加齢現象が原因だけとも思えず、この感情は、内なる魂に依拠するものと解釈すると、なぜかすんなりと胸におちます。

魂はいろいろなところで顕れたがっている…私はこの考え方が好きです。動物の気配に対する感性は多少犠牲になりますが、テレビは“時に適って”来てくれました。

人気ブログランキングヘ
ありがとうございます




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

感染する感情

2009年07月18日 | 無意識の世界
テレビニュースを見ながら、ああだ、こうだとよく喋ります。あるとき、やりきれないような気持ちで、“けっきょく人間は弱いということ、、”と私が呟くと、“結局という言葉は違う。こういうとき結局という言葉は使わない”と指摘されました。

言われてみれば確かに、結局と断定してしまうのは変です。そして何より“結局、人間は弱い”という言い方には、否定的なニュアンスがあります。敏感に反応してくれたのも、それがあったからでしょう。知らず知らずのうちに暗いニュースに感染して、人間の見方や感情生活まで暗くなっていたとしたらオソロシイ。要注意です。

それにしても、世の不正や施政の混迷のニュースを見るたびに、怒って過激なことを言い放つ当人から、否定感を指摘されるとは釈然としないものがあります。暗くさせている一端はあなたにもあるでしょうと、ちょっと言いたい。でもきっと、この強い自我の持ち主に負けないくらい健やかな主体性と感情生活を確立すべく、身近な存在として与えられているのだと解釈することにしています。明るく。

人気ブログランキングヘ
ありがとうございます

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

自分で決める

2009年07月17日 | 無意識の世界
生きてゆくのに必要な自己信頼感。自分に自信がないと、西の魔女がいちばん大切だと言い切る“意志の力”は発揮できません。自信をつけるためには“自分で決める力、それをやり遂げる力”を育てる必要がある。魔女修行の理論は単純明快です。

自分で決めることを、私はどの程度、実行しているだろう?これを意識してみると、意外に意思が曖昧なまま事を進めていることも多いなあ、と気付かされます。

自信のなさから、自分で決めることを回避してしまうようなこと。相手の意向を配慮するという美しく合理的な理由をくっつけて、自己決定を避けるようなクセがついているとしたら、自信がないから自分で決められないという、循環に陥ることになります。

これは人と比べて判ることではありませんし、相手を配慮することが本当に大事なことはあります。でも、もし“自分で決める力”が怪しいなあと感じたなら、日常の卑近なことから意識してみたらどうでしょう。右に行くか左に行くか、それぞれの可能性を想像した上で判断して、自分で決める。

けっきょくのところ、人生は小さなことの積み重ねで出来上がっているのだと思います。小さなことから始めてみましょう!

人気ブログランキングヘ
ありがとうございます




コメント
この記事をはてなブックマークに追加

甘いジュースか、それとも美味しい水

2009年07月11日 | 無意識の世界
自分にとって何が幸福なのか?どんなときに幸福感を感ずるのか、日頃から意識することが大事なことは、よくよく承知していたはずでした。

それなのにというか、それだけにというべきかもしれませんが、西の魔女が語る“幸福”についての発言が気になって仕方がないのです。それで考え出してはっとしたのが、私が折々に捉えている幸福感というものが“本物かどうか”、ときどきは点検する必要があるということでした。

本物の幸福曲線(平安感、友好感、幸福感など)は自己肯定・他者肯定といわれていますが、そこから逸れることは案外多い…(だからこそ本物を定義する必要がでてくるのでしょう)すぐ迷走をはじめるのが人間です、、、

本物が美味しい水だとしたら、それ以外は甘いジュースと考えると解りやすいかもしれません。気が付いたら、ジュースばかり飲んでいたというのでは体に悪いので、美味しい水の心地よさ、爽快さ、本物の幸福感について、時々チェックした方がよいのでしょう。人間には、美味しい水がどうしても必要です。

人気ブログランキングヘ
ありがとうございます


コメント
この記事をはてなブックマークに追加

いちばん大事なこと

2009年07月10日 | 第9章:愛
“西の魔女が…”の続きです。ある事件がきっかけで疑惑が自分だけでは手に負えぬほど大きくなったとき、まいがはじめて不安と怒りを伝えると、おばあちゃんは、まいの感情を受容しながらも穏やかに説得しはじめます。包み込むように優しく、それでいてきっぱりと語りだします。

大事なのは究明してみたところで取り返しようもない事実ではなくて、いま、まいの心が、疑惑とか憎悪とかいったものに支配されつつあること。そのような感情にエネルギーを消耗させるべきではないことを、おばあちゃんはまいに理解して欲しいと思いました。

切々と語るおばあちゃんから、まいは確かな愛を感じ取ります。そして、これが魔女修行の核心ともいうべき大事なことを理解します。怒りは鎮まりました。

まいの心の中で、侵入者が侵入者でなくなるときが来るまで(友に変容するときが来るまで)は、不安感はついて回り本当の解決には至ることはないでしょう。でも、今ここで祖母から受け取り理解した大事なことは、知恵の言葉となって将来きっと実を結ぶはずです。

大事なことは、今ここで自身の心を澄み渡らせるよう意志すること。魂にとっていちばんよいことを西の魔女は伝えようとしているのだと、私は解釈しています。

人気ブログランキングヘ
♡ありがとうございます♡


コメント
この記事をはてなブックマークに追加