こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

かんしょう、鑑賞から観照へ…

2010年10月30日 | 五感と体感
茶の庭の写真集に見入って、感嘆しています。
そうとうの労力と時間をかけて手入れされている苔庭・・・
しかし、その労力をおくびにも出さず、
もともとこんなふうにありました、とばかりの自然体で、
鑑賞者を心地よい静寂の世界に誘います。

鑑賞・・・音楽でも絵画でも伝統芸能でも、深く鑑賞するためには
自分がやってみるに越したことはないようです。きっと、為してはじめて、
観照する-本質を見極める-ところまで高められるものなのでしょう。

わたしは、音楽も絵画も伝統芸能も、俳句、和歌、他諸々
今から自分が為すこと、始めることはためらいがあるのですが、
庭だったら、今以上に深く探求してみることは可能かもしれません。

慎重に選択された日本庭園の植物たち。
日本庭園や茶の庭を目指すつもりはありませんが、
“選択する要素”を、もっと取り入れることと、
ひたすらのルーティンワーク=除草作業に手間を惜しまないこと。
とりあえずこの二つ意識して、庭にチャレンジしてみたくなりました。

(91-1)
曇り空…さえませんね
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深層では同質…

2010年10月29日 | 無意識の世界
人を憎むのは、ものすごくエネルギーを消耗することです。
この感情が常態になると、知らず知らずに心身が蝕まれます。
それほど激しく憎む体験は、人生でそうあるものではないし、
また体験しないで済むなら、それに越したことはないのでしょう。

しかし、強力な憎悪とまではいかなくても、プチ憎い…
これはひょっとしたら憎しみだろうか?程度の感情は
平凡な人生でも、意識したり、よぎったりすることはあるでしょう。

そんなときには、フロイトが発見した
「感情の両面価値」のことを思い出すとよいかもしれません。
愛と憎しみは深層心理では同じもので、
愛の逆は憎悪ではないということを意識すると、なんとなくほっとします。

今、何らかの事情で湧いてきている感情も、いつか逆転する可能性がある。
それはいつかわからないけれど、今はみえないけれど、
憎しみの奥には、愛の感情への通路が隠れている可能性はあるのだから…。
深層では同質の感情だと知るだけで、自虐的になることは避けられそうです。

(90)
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何に恋している?

2010年10月28日 | 意識と知覚
昨日は、“世阿弥の戯曲に恋している…”という友のツィートに刺激されて、
さて、わたしは何に恋をしているだろうと、楽しく考えだしました。
即答できない自分を少し残念に思いながらも、対象になりそうなものを(ことを)、
あれこれ思い浮かべることは、それだけで楽しく、幸せな気分になります。

恋の対象を探すなど、実はへんなことだと重々承知していますが、
忘れ去っていた、ひょっとしたら葬り去っていたのかもしれない、
恋する感情をあらためて意識してみると、それだけでなんとなく明るい気持ちになる…
ふしぎですが、きっと生き甲斐と恋する感情は密接な関係があるのでしょう。

生き甲斐はなんだろう、生きる意味はなんだろうと問い続けること。
長年の友人曰く、“あなたはいつか掘り当てる輝く自分の発掘作業に恋しているかな”
…なるほどそうかもしれません。しかし、この発掘作業は膨大で、
心理学はもちろん歴史や古典、日常の諸々森羅万象が関わってくるので、
恋の対象として意識するには、ちょっと大きすぎるのでしょうね。

恋するに相応しい対象のことをあれこれ思い巡らし、思索する・・・
恋するに遅すぎるということはないのだから、この思索を大いに楽しみたいと思うのです。

(89-10)
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肯定して、解き放たれる

2010年10月27日 | 無意識の世界
最近になって、強力な抑圧から解き放たれて
人生が、ようやく歌いだした!そんな気分を味わっています。

少し前に、最後の「織機」をpcの作業台に改造しましたが、
ここ十数年、数えるほどしか使われなかった織り機です。

理想も、こうあらねばならないという思いも取り下げて、
そんなに楽しくないのなら、さっさとやめてもよいのだと、
理想と現実のギャップも埋めたはずなのに、なぜか織機は
織機のまま、部屋の隅にあり続けたのでした。

さて、pcの作業台に変身させてから、なるほど…と気付いたのですが、
染織中心に暮らしていた20代の頃は、人間関係のイヤな思い出が満載で、
わたしの中では、織りの時代=惨憺たる時代と位置づけられていた・・・
このことに、はっと思い至りました。

それで、20代はそんなにヒドイ時代だったのだろうか?あらためて振り返ると、
確かに惨憺たる時代だった。この解釈は変わらなくても、自分にとって
生涯の大事な出合いが20代の頃に集中していた、これも確かなことなのでした。

自己否定的に過去を捉えるということは、たとえ無意識であっても
思う以上に、人を不自由にさせるものかもしれません。

惨憺たる時代への否定感を投影され、拒まれ続けてきた織り機は、
持ち主の都合で、pcの作業台として再出発させられましたが、持ち主の、
過去に対する肯定的な解釈(感謝の思いといってもよい)とともに、
愛着をもって大切されている今の境遇を、たぶん…納得してくれていると思います。

(89-9)
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囚われて、意識できない

2010年10月26日 | 無意識の世界
距離を置かないことには、とても進めない これ以上は無理・・・
あなたとわたしの関係で、ある日、そうとう無理をしていた自分に気付いて
これ以上は進めないとギブアップを認め、しばらく遠のく決心をしたとして。

回復するかしないかもわからないし、分離不安に置かれることも覚悟の上ですが
本音を自覚した上で、あなたとの距離を選択して得た自由に比べれば、
分離不安などごく小さなもので、過ぎてしまえば、あっという間かもしれません。

距離を置きはじめて、のびのびと生きだしてから間もなく、
意外にも、当のあなたに対して肯定的な反応を返している自分を
わたしであって、わたしでないみたい・・・とちょっと妙な気がしました。

本音にあって意識されない感情は、何もネガティヴな感情ばかりではないのですね。
“今は、距離を置いた方がいいのだ” という思考に囚われすぎると、
今度は、湧いてきている好意が意識できなくなるわけです。

思い込み、こうあるべきという思考はどこからでもすべり込んできますが、
ちょっとした違和感、小さな変化のうちに気付ければ、ギャップは小さくて済みます。
小さければ扱いも楽だし、なんとか自分ひとりの手にも負えそうです。

(89-8)
数年間一株のまま増えなくて、いよいよ絶えたかと諦めていた
レモンバームを草むらで発見 かろうじての大切な一本
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取り入れて、安定する

2010年10月25日 | 無意識の世界
取り入れることで安定を図る、せっしゅ、摂取・・・。
上手に摂取している人を、美しいと思います。

ずっと以前、ある聖女の言葉を紙に書き写し、お守りのように肌身離さず、
折々に紙を取り出しては、こころを落ち着かせていた時期があって、今思うと、
それは惨憺たる日々の逃れ場、藁をも掴む思いのあまりに切迫した摂取でした。

当時をふり返りつつ、惨憺たる日々の摂取だけではあまりに貧しくない?というわけで、
最近は日々のこころの安定にも、摂取を少し意識するようにしています。

何も困ったとき、不安なときだけでなくとも、
自分にとって暖かなもの、愛を感ずるもの、勇気付けられるもの、
それらを思い浮かべ、想像して、触れて、ときに対話して・・・
大切なものを意識して、もっと積極的に日常に取り入れたらよいのだと思います。

考えても仕様のないことにつかっていた時間を、摂取に振り分けてみる・・・
上手に摂取することで、より豊かな人生が開けてゆくように思うのです。

(89-7)
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不安から、逃走

2010年10月24日 | 無意識の世界
不安を見つめるのは、けっこう体力がいるし気力もいります。
だから人はつい逃避や置き換えに走って、不安感から目をそらしますが、
とりあえず平安感を得ることは大事なので、
逃避も置き換えも、必要に応じて上手に使ってゆけばよいのでしょう。

問題の不安感を抑えこんで逃避したとしても、今度は、
問題を抑えこんでいるという、その不安感を抱え込むことになるので、
逃避はとりあえずの応急処置にして、あまり長居をしない方がよいのです…できれば。

人間関係で悩んだとき、自分に生まれた不安感はそっちのけで、
相手のこころを、ああかなこうかなと考えだす人がいますが、
人生でこれほど無駄なことはないと思います。
自分の後悔を踏まえて、つくづくそう思うのですが、
その傾向が顔を出しそうになると、あわてて自分にストップをかけます。

そうはいっても気付かないところで、出てしまうことはあるでしょうが、
自覚できれば抑制が利く・・・これぞ学びの成果です(^^)V。

(89-6)
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感情のレベルで、納得する

2010年10月23日 | 愛とゆるし
本音に気付いて、次の行動が軽やかに展開してゆくときもあれば、
本音に気付いたゆえに、湧いてくる感情と行動の不一致に気付きだして、
思考と感情がばらばらな感じがして、なんとも落ち着かない時を過ごすことがあります。

この落ち着かなさ・・・不安感はどこからきているのでしょう。
どんな感情にも湧いてくる感情には意味があると、頭では理解しても
感情を受け容れるということは、そんなに簡単なことではありません。

感情を抑圧して無理をしていたところから、一つのプロセスを経て、
今ようやく本当の気持ち、感情に気付くことができた。
この体験を肯定的に捉えることができれば、不一致からくる不安感は消滅するように思います。

感情の流れを大切に聴いてくれる誰かに、話を聴いてもらうのもよいかもしれません。
ノートに思いのたけを書き綴ってみるのもよい方法かもしれません。
わたしが、わたしの体験過程を認め、受け容れることが何より重要なのだと思います。

本音に気付いたことから生まれた不安定に置かれたときは、
これまでの出来事、体験を静かに見つめなおし肯定的に解釈する。
思考だけでなく、感情のレベルで納得する必要があるのですね。

(89-5)
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本音に気づいて、途方に暮れる

2010年10月22日 | 意識と知覚
無意識におかれているということは、当然
本音の感情は、その人の意識にのぼっていないので、
感情を無視して、無理していたことに気付くのは、いつも後になってからです。

ある日突然、自分の本音にはっとする。
意識化のプロセスは、様々なかたちでやってきますが、
その感情に対処できる力ができたときに、気付きはやってくるのだと思います。
(人間の生き抜く本能が、絶妙のタイミングを調整しているのかもしれません)

無意識におかれていた感情/抑圧されていた感情にはっとするとき、
解き放たれたような安堵感を覚えますが、それは一瞬で、
これまでとは違う、こころがざわつく感じ、新たな不安感におかれることがあります。

そのような感情に対して、わたしはどう対処してよいのかわからない。
そのような感情にわたしは不慣れで、どのように表現してよいか判らない。
湧いてくる感情に正直に行動するとは、どいうことだろう…?
途方に暮れるような状況に、しばらく置かれることがあります。

(89-4)
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本音を無視しないで

2010年10月21日 | 愛とゆるし
「無理をする」とは、たとえば、
本当は気が進まないなのだけど、本音に反して出かけてしまう
本当は居心地が悪いのだけど、長居をしてしまう
本当は口もききたくないのだけど、楽しそうに喋ってる・・・等など
本当は~の部分が、無意識におかれたまま行動してしまうことです。

本当は~の部分が無視されてしまうとは、いったいどういうことなのでしょう。
無視してしまうのは、それなりの理由があるのですが、とにかく
本当は~の部分が意識されるようになると、
これまで無視され行き場を失っていた感情が、
わたしの意識の中に居場所をみつけられるようになると、それだけで、
こころの中の尖っていた空気が、やわらいで
自分のことを、いろいろな角度から眺められるようになるのですね。

(89-3)
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