こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

2021/11/30

2021年11月30日 | Weblog

生前の母から届いたクリスマス・カード 他になにもしない年もこのカードだけは飾りたくなります

        *

室内に置き場をなくしたオルガンが、とうとう玄関の壁際まで押し出されて二年近く経っていたでしょうか。先週末偶々来訪したカップルがとても喜んで、そのために準備したかのような緑色のワンボックスカーに早速積み込み引き取っていかれました。聞けばクリスチャンだそう、日曜日の礼拝に通われていると聞いてオルガンはなんとよいところへもらわれたことか。クリスマスを意識するこの時期、タイミングも素晴らしく、きっと夫妻はわたし以上に感動していることでしょう。我が家から少し離れた山中にアトリエを構えているそうなのでオルガンは山から山へ移動したわけです。そしてもう一つ、もともとオルガンは20年以上前にわたしがクリスチャンの方から譲り受けたものだったので、オルガンは教会(カトリック)から教会(プロテスタント)へ旅をしたわけです。オルガンの長き旅路を思って、ニコニコしています。

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2021/11/29

2021年11月29日 | Weblog


極端な言い方をすると一番上の兄姉にとって年端もいかない末っ子などは人間とも思っていないんですって。へぇ~そう?!長子の心情など知る由もない末っ子のわたしは、ラジオから流れる衝撃の発言に驚き呆れながらも彼らの偽らざる本音の一端を聞かされて、なんだか爽快感さえ覚えます。あのオムツをあてていた赤ん坊が何を生意気を言うか、ワタシはすべてを知っているのだよ的な感情が未子が立派な大人になってからも、そのような感情が長兄長姉の脳裏をかすめるものらしい。少々極端な表現にしても長兄長姉の本音を知って、わたしはなんだかとても愉快、心が和らぎました。聞きたくない本音もあるものですが今回はハナマルです。

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2021/11/28

2021年11月28日 | Weblog
 ローソクストーブ

先日感じた知人女性の圧力といい、日常に起こる(経験する)ストレス曲線というのは意識の変化を促すための贈りものですね、きっと。意識を変えれば見える景色が変わってくる、見えてくる世界が変わります。そして意識を変えられるのは自分しかいません。変化は小さくてよいのです。最初は小さく小さく、すべては小さいことの積み重ねですからね。小さく小さく・・・神は細部に宿るともいわれます。圧力問題の片が付くのは数日後なので、今は意識の目覚めが後退しないように注意深く見守ります。それには好い香りやロウソクの柔らかな光の中で心身を整え世界に対する友好的感情を保つのがポイントになるのでしょう。

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2021/11/27

2021年11月27日 | Weblog


山の日常の愛用靴は黒い長靴です。モスグリーンや真っ赤を履いたこともありますが、今は普通の黒色実用的なものをホームセンターで適当に見つけます。寒くなってきたので朝の日課も裸足から長靴を履いて。寒さが増すと庭に出るのも億劫ですが、熱々の白湯のカップ片手に庭に出て間をとってから冷気に慣れたところで日課に移行する朝もあります。その後、風がなければ落ち葉集めも少々ガラス戸越しの猫たちに見つめられながらバケツ一杯分集めます。身体の内側と外側と変化する日々を楽しんで。

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2021/11/26

2021年11月26日 | Weblog
枯野に横たわる青年の横顔は知人の三十年以上前の卒業制作の石造で、関東地方から遥々やってきました。

          *

私は兄と姉がいる末っ子に生まれて、末っ子の立場から家族を見て感じて育ちました。父が亡くなってから物理的にも心情的にも育った家からぐーんと遠ざかる選択をして二十年以上経ちますが、よくもわるくも家族の影響を受け続けてきたところから、今ようやく「家族の絆」から自由になっ解放感のようなものを最近感じ出しています。絆は元々しがらみ、呪縛、束縛を指していたようですが、そのような家族の絆から今ようやく解放されてきているのを感じます。

家族間の関係性を末っ子という狭い視点で捉えていたところから飛び出して、より高く広やかな場所から、これまでよりずっと自由に感じて考えられるようになった気がしています。純粋・一致の関係性へ昇華された感覚といったらよいでしょうか。絆より遥かに好ましく感じられます。

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2021/11/25

2021年11月25日 | Weblog
今4,5歳上で同性の知人の発言に少しばかり圧力を感じています。ある事柄に関して、あなたがやるべきです、やらなければいけませんと暗に言われている気がします。知人は圧力をかけるつもりはなかったでしょう。でもわたしは圧力と感じました。さあ、ここから自問が始まります。なぜ私は、それを圧力と感じるのだろう?

それはやはり、知人の発言が私のコンプレックスに触れたからでしょうね。しばし考えて自問してみて、私は知人の圧力に(正確には圧力と感じるものに、ですね)屈してみようという気持ちになっています。屈する行動をして、それを自分の肥やしにしてしまおう!とやる気満々です。もちろん体力がもたなければ無理はしません。でもチャレンジします、決めました。

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被る機会のなかったストローハットをランプシェードに
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2021/11/24

2021年11月24日 | Weblog

昨日から気温が下がり、いよいよ薪ストーブの季節、朝の裸足のアーシングも今季は終了にしました。            

             *

解ってほしかった、、、成人してから中には4,50代いやそれ以上の年齢になっても、親に理解されたかった幼少期の思いがくすぶり続けているケースは珍しくないようです。大抵は本人に意識されることなく無意識に大事に保存されている感じでしょうか。理解されたかった思いがあることを認めつつ幼子ではない大人の視点で、当時の若かった親のことを理解しようとする心持ちになれたなら、それが成熟への第一歩だという気がします。親のタイプによって愛する能力には幅があるものですし「理解されなかった」ことばかりに拘っていると大事なものを見落としてしまいます。

理解されたかった幼子の世話をするのは、たぶん自分しかいません。これを受け容れさえすれば、ぱーっと視界が開けることでしょう。退行から抜け出だし、いざ成熟へ。

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2021/11/23

2021年11月23日 | Weblog


プロセス・スケール

プロセススケールは心理的状況を把握するための手段として用いますが、私はわりと最近になって成育史の自己分析にこのスケールを使ってみて、とても腑に落ちる気付きを得ました。家族のひとりひとりに対して自分はどうだったのか?プロセススケールの流れはどのようなものであったかを思い出してみたのです。自分はその状況(その人)に対して本音が意識できていたかどうか。意識化はできていて、そのうえで抑制していたのか。本音と行動(言動)の不一致の度合いはどうだったか。感情表現、伝達のあり様はどのようなものであったか。以上を思い巡らしてみて、とても有益な気付きを得ました。

幼少期~成長過程における親密な関係のプロセススケールは言ってみればプロセススケールの原型のようなもの。今に至る私の傾向をよく示してくれているなあと感心しつつ健全と不健全と両方の流れを発見して、ここでバランスがとれていたのだなあと、自身の傾向への理解が進んだことでした。
(プロセススケールは生き甲斐の心理学のテキストの第3章に説明されています)

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2021/11/22

2021年11月22日 | Weblog
コンプレックス

劣等感という言葉に比べればコンプレックスは軽やかな感じがいいですね。コンプレックスが刺激されてストレス曲線(不安感~暗い感情の領域)にまっしぐらという経験は意識するしないはともかくとして深刻でないレベルでは、けっこう頻繁に起こっている気がします。知覚しそうになると慌てて蓋をするみたいな感じて対処していることも多いのでしょうが、それはもったいないことかもしれません。だって「感情には意味がある」ですものね。

あらためてコンプレックスの意味を調べてみると「コンプレックス(英:complex)とは、心理学・精神医学の用語で、さまざまな感情の複合体のこと。衝動や欲求・記憶などの、さまざまな心理的要素が無意識に複雑に絡み合って形成される。」とあります。コンプレックスとは感情の複合体であり、さまざまな心理的要素が複雑に絡み合って形成されているのですもの、自分を知る手掛かりに満ちているものであり慌てて蓋をする前に、ときにじっくり観察してみれば、ほおっと驚くような解釈が起こるかもしれません。コンプレックスは宝物!ストレスの元が、あっと驚く変身を遂げる、、、そんな日も近い予感がします。

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2021/11/21

2021年11月21日 | Weblog


置き換え

当に解決済みと思っていた感情、遥か昔の感情体験が意識化されるときには、大抵の場合「置き換え」が起こっているとみて間違いないようです。今ここで、経験している不安感が意識されぬまま過去に経験した不安感~怒りの形で意識化されるというわけです。意識して考えるべきは「今ここで何が起こっているのか?」いつでも「今のわたしはどうなのか?」これに思いを巡らせ、自問してみることですね。

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