こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

小さなカケラに気づくとき

2019年11月29日 | 自己実現
愛とはこういうものであるという理想に、知らず知らず長い間、囚われていたなあと。それゆえ日々時々に出合う事象において、“これは違う”という否定形で心が動き出す、気づかない内に、ごく微妙な否定形が心の流れに入り込んでいたことにハッとしました。

そうだったのか。。。これは小さいけれど一大転換をもたらした、最小にして最大の今年度一番の気づきであった。そう思っています。

愛という理想の「概念」から解き放たれた途端、何が起こったかといえば、素晴らしいこと、新しい人生が始まった!大袈裟ですが、そのくらい大きかったのです。“これは違う”から始まっていたものが、これもそう、これもあれもそう、出合う事象に端から小さなカケラを見つけられる(感じられる)ようになったとすれば、一大転換が起こったといわず何といいましょう、それ以外ないですね。

考えてみれば理想の愛は、なかなか出会えるものではありません。というか生涯、その完成形に遭うことは叶わないのかもしれない。でも、しかしです。小さな、未完成の愛のカケラが散りばめられているのが、この世界、この地球であるのだとすれば。。。「概念」に縛られていると、その小さなカケラを見逃します。見逃し見過ごしているうちに日々の感情生活に否定形が、知らず知らず入り込んでいたとすれば、、、その否定形はあまりに小さくごく微少なので私は長い間、それに気づかぬまま過ごしてきたと思うのです。

知らず知らず身心を侵食していたであろう微妙なた否定感は、小さな肯定感、ごく微少な肯定感が流れ込むようなあり様に一転しました。たとえば小さなイザコザでもめている若いカップルを見ても、ああ、愛だねぇ、、イザコザの中に小さなカケラが見え隠れしているのを認めたり、在るものの、愛の通奏を感じ取れるようになって、これまでになく和らいだ心で受け止めている自分がいるのですね。

小さな転機はその人にとって最良の、絶妙のタイミングで訪れるものですが、理想に囚われ過ぎるあまり小さな否定感が入り込んでいないか。知らず知らず否定感から始めていないか?時にはちょっと思い巡らしてみるとよいかもしれません。

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今、思うこと

2019年11月13日 | 自己実現
夕べは満月でした。
満月の日は、どのような心のあり方で過ごすのがよいのか。
余分なものを捨てる、手放すのが正解であると、
以前、読んだ記憶がありますが、それに加えて、
昨日は目指してきたものの進捗状況を省みることと、
感謝することを意識して過ごしました。

そうそう、気になっていた枯れ木を思い切って抜いてしまうのも、
満月を待ってと思っていましたが、枯れ木の根元に
思いがけず元気な葉っぱを数枚見つけたので、
引っこ抜くのは中止して深めの剪定だけしておきました。

音読の50回目が、ちょうど昨日にあたって、
今日から次の章に進みました。予感どおり、
暗記は成らなかったのですが手ごたえを感じています。
すべての章を読み終える頃には今より明確な何かが、
こころに入ってくるような・・・そんな予感があります。

ところで新月に向けて。感情について初心に返るというか、
あらためて意識してみたいことが加わりました。
感情が湧いて来た瞬間の反応というか、
取り扱い方というか、向き合い方というか。。。
自分自身に対して嘘がないか?ごまかしがないか?
そのあたりをきっちり見極めてみたいなと、思いますね。
ふわっと柔かく(きっちりと矛盾するみたいですが、、)見つめてみたい。
感情体験の瞬間のイメージをふわっと優しく見守るといったらよいでしょうか。

感情に嘘がないか?あなたの、他者の感情を認めるためには、
どうしたってまず、自身の感情の取り扱いが成ってなければ成りません。
感情を歪めて意識化してないか?素直に正直に意識化できている?
初心に返って気楽に緩やかに感情を見つめてみたいと思うわけです。

以上、月齢16日の今日、思うことでした。

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声に出して読書百遍。。。

2019年10月30日 | 自己実現
以前、音読のことを綴った後に、
声に出して読むことについて、興味深い話を聞きました。
同じものを繰り返し音読すると時間にして30分かかるものでも、
50回目にはすっかり暗記できてしまうと。
更に、読み始める時点で意味が解らなかった内容も、
50回繰り返すと、その人はふしぎと意味が解ってきたそうな。
へー、そんなことあるんだ、、、
自分の耳で自分の声を聴くところにポイントがあるようなのですが。

暗記できてしまうのは半信半疑にしても、
“読書百遍義自ずから見る”という言葉もあるので、
意味不明の内容が解るようになるのであれば、
50回の音読を試してみないてはありません。
早速、長く本棚に置き去りにされて読まれるのを待っていた、
古い古い伝説の冊子の音読を開始したのでした。

内容が解るということは、理屈で理解するようなものでなく、
身体が解る感じかな?こころと身体と魂で、りょうかいする?
毎日読みながら、そんな想像を拡げてゆくのも楽しい。

そういえば子供の頃、いっせーのーせ、あーーーと、
どのくらい息が続くか姉妹で競いあったものですが、
発声しながら活気付き、めいっぱい声を響かせながら、
家の中の空気、気配を陽気にする効果もあったような、、、、
声を出す、発声することは元気が出ることだと、
シンプルな音読という行為を続ける中で再発見しているところです。

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もうすぐ新月

2019年10月26日 | 自己実現
新月が近づいています。
新月の日に、絹さやの種を蒔こうと思っています。

調べた記事に、移植、定植は新月の5日前から新月までとあったので、
一昨日はブロッコリーの苗を3本と、鹿に葉っぱを食されて、
なかなか大きくなれないブルーベリーを安全な場所に移植しました。

月齢を意識して種蒔きや移植をするようになって、
思考と感情と行動のバランスがよくなったような気がします。
バランスがよくなったから月齢を意識するようになったのか、
それは判りませんが、以前の私は月に対して多少依存的なところがあって、
しみじみと月夜に感じ入り、感傷的に眺めるようなところがありました。
それからしばらく―数年間は―殆ど月を忘れて過ごすような時期があって、
そして現在、ようやく心地よく自然な関係になってきたと感じます。

なんとなく月齢を意識して月の存在を意識するけれど、
昔のように月を探して、しみじみ眺めることはあまりなくて、
向き合わなくても月明かりを感じれば、それで十分です。

太陽に対する感じ方も変化してきているような気がします。
太陽と月と地球の私のバランスは以前より心地よいものになっている。。。
変化を表現するならば、そんなところでしょうか。
植物の育成に月齢を意識するようになって、
世界の見え方が少なからず変化してきたように思います。

太陽と月との関係は人それぞれでしょうが、
太陽と月と地球の私と。意識と無意識と自己実現と。
壮大にして身近、実におもしろいテーマが人間には与えられていると思います。

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声に出して読む

2019年09月16日 | 自己実現
声に出して読む、「音読」することを続けています。
なんとなくの決まりごとは一日一章ということだけで、
時間を決めていないので、ときどき忘れることもあって。
そういうときは翌日、二章読むことになります。
集中できず内容が頭に入ってこないことが間々ありますが、
はっとして戻ったら気にしないで、そのまま読み進めます。
(ときには、はじめから読み直すこともありますけど)

発声することに大きな意味があると思っています。
気が散って内容が頭に入ってこないことがあっても、
身体は聞いていると思っていて、それが重要と感じます。
時にはストーリーと関係なく目に入ったセンテンスやワードに
ハッとさせられることがあって、ああそういうことかと
現実に結びついた気付きに繋がることも偶にあります。

このような感じで音読は続いていますが、
日課と呼びたくないし習慣化は避けたい感じがしています。
できれば毎回、新鮮でありたいというところでしょうか。
音読を始めたころ、声の調子、息遣いが毎回違うことに驚きましたが、
本当はいつも同じ感覚、統御感で臨める方がよいのか?
そこのところはわかりませんが、その内、見えてくることがあるかもしれません。

あらゆる情報に思考があっちを飛びこっちを飛びしながら、
矢のように一日は過ぎ行くと感じる日々にあって、
音読するひとときが、何か私の心棒を調整してくれている、
無意識のリセットになっているなかな?そんな気もしています。

長い年月の中、受け継がれてきた書物でないと
音読の継続には耐えられないように思うので、
一日一回、万葉集や古典を声に出して、というのもよいですね。
私たちには音読したい書物がたくさんあって、しあわせです。

身心のリセット、健やかな感情生活ために、遠くを探さなくても、
案外、身近なところにタカラモノはありそうです♪

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意識して知覚する、人生の楽しみ

2019年09月02日 | 自己実現
湧いてくる感情の真意を探るときに体感を意識すること。
長年、体感はどうか?と自問することを大事にしてきたところから、
近頃は体感を意識することが殆どなくて、
ある意味、体感を重要視しなくなりました。
「あえて意識しないようにしている」というのが近いかもしれませんが、
意識するときしないとき、人にはそれぞれの季節があって、
現在の私にとって、体感を意識しない(気にしない)ことが、
日々の暮らしにおける、私の幸福曲線の秘訣であるわけです。

数年前から始まった身体の痛みが目覚めた直後がmaxなので、
目覚めて直ぐは体感に意識的にならざるを得ません。
痛みを意識しつつ呼吸に意識を向けたり、
直前に見た夢や浮かんでくるあれこれを思ったりしながら、
起床の準備に時間をかけたところで、そろりと起き出し一日が始まります。
動き出してからも意識すれば痛みの感覚はありますが、
あえて意識しない、体感は気にしないで活動するわけです。
ですから活動に没頭すること、行動する集中力は以前より増しているかもしれません。

考えてみれば目覚めて直後、呼吸を意識して身体を整えるひと時は、
この世界に私は生きている、生身を生きている自分を確認する
貴重なひと時のようにも思われます。
朝が来る度にまだ生きている部分を実感するということは、
限りのない部分(部分という言い方は違う気もしますが)の方へ
意識が少しずつ開かれてゆくことのようにも感じています。

加齢によって関節痛とか、あちこち不都合が出てくるのも、
私の意識が大切な場所に、いちばん大切な場所に、
開かれてゆくための贈り物なのかも、、、なんて思ったり。。。
限りある体とは別の、晴れやかで広やかな感覚の世界、
もしかしたらこれが魂に通ずる感覚かもしれないと思える軽やかさ、
地上にいればこその感覚世界を十二分に意識して知覚することは、
若い頃には望めなかった、これからの人生の楽しみといえるのかもしれません。

体感に代わって新たに意識して知覚するのは魂の感覚!というわけです。
歳を取るのもわるくないね、そんなことを思いながら今日も生きております。

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こころの自由、私の場合

2019年08月08日 | 自己実現

あっちからこっちから、出来事が同時進行する中で、
変容は様々な要素が絡み合って成ってゆくもののようです。
ここ数年、私のこころは以前よりずっと自由になりました。
様々に絡み合う要素の中からこの変容の要素を一つあげるとすれば、
生育史に対する感情の意識化が成ったこと。それが一番大きい気がします。

生き甲斐の心理学を長く学んでいる中で、
生育史の悲喜こもごも、ストレス曲線、幸福曲線の様々な感情は、
十分意識化されて、それなりに自己分析できていると思っていました。

しかし、今感じているような“こころの自由”を得るためには、
それだけでは不十分だったようです。
意識化が成って、なるほどと、はじめて気づくわけですが、
「生育史に対する否定感」をきっぱり言い放った瞬間、
ああ、私は自分の生育史がこんなに嫌いだったんだと、
驚きながら、とてもすっきり、スカッとした感覚がありました。

体験してきた折々の出来事に対する思考と感情とは別に、
「私の生育史」という括りにおいて、
嫌いだと一度は言い放つことが必要だったのですね。
長く、あるものをないもののようにガラス戸越しに眺めてきたものを、
いっきに窓を開け放ち解放させたというところでしょう。
マグマの受け取り手は同じ空気の中で育った姪だったのですが、
いとも簡単に軽やかに「わかる、わかる」と共感的理解を示してくれたのは、
まあ、両者にとって必然のタイミングだったからかもしれません。

自分の故郷が好き、嫌い。自分の生育史が好き、嫌い。
どちらも本当、どちらも私、それでよいのです。

感情の流れを塞いでいた石が取り除かれて、
流れの起伏を楽しめるようになったのを実感する今日この頃であります。

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感情を呟く・一冊の絵本から

2019年07月24日 | 自己実現
ヨシタケシンスケという絵本作家を、テレビで偶然知りました。
へーっこんな絵本があるんだと、画面に引き込まれました。
番組で取り上げられていた一冊は、
誰かを嫌いという感情に苦慮している子どもが
ユーモラスに描かれていて、最終的に、
嫌っている自分も嫌い、、というフレーズが出てきたときには、
クスっ、、わかるわかると笑ってしまいました。

子供だけでなく大人もヨシタケさんの絵本に魅かれている人は多く、
支持している人々の声が画面に映し出されますが、
平素、世間が(多勢が)支持しているものに「?」を感ずることが
少なくない私としては人々と共感できるとはなんと嬉しく愉快なことかと、
肯定感を共有するヨロコビを久しぶりに味わった気がしたものです。

「ものごころついてから、何もなくても悲しくなってしまうような子供だった・・・
そういう自分をもりたてたい・・・ネガティヴな感情を楽しさに変える・・・
世の中は考え方一つで捨てたもんじゃない・・・
何が自分を幸せにしてくれるのかを丁寧にさがす・・・」

ヨシタケさんが語っていたことを思わず走り書きしていましたが、
健やかな感情生活に対する示唆が含まれた味わいある言葉は、
フレーズの一つ一つから想像を拡げて、
生き甲斐の心理学に照らしながら語り合うことも可能でしょう。

正直な感情を意識できること。自分の好き・嫌いを、自分の本音を、
正直な感情を否定せず、捻じ曲げることなく(自分自身に)呟ける心。。。
これが私の生き甲斐の心理学の学びの出発点であり同時に終着点かと、
ふと、そんなことが浮かんでいます。

学び始めの頃に比べて多少なりとも心の自由を生きられるようになったとすれば、
自分なりの感情の取り扱いのコツを掴んだから。これに尽きる気がします。

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小道を、軽やか進みたい

2019年06月27日 | 自己実現
この感じは前と同じだわ、、、
同じ人々との関わりにおいて、以前経験したことのある、
同じ感情が出てきて、ちょっと心がざわつきます。
あれ、私は10年前とちっとも変ってない・・・?
愕然といってもいいようなショックと、いやいやそんなはずはないと、
ショックを打ち消したい思いがぶつかります。

(こんなふうに観察する余裕は以前にはなかったので、
それは大きな違いと言えば言えるかもしれません)

人間関係における感情体験は、直接的か間接的は別として
「愛の原型」が関係していることが多いので、
考えてみれば変らないのは当然と言えば当然かもしれません。
今ここで経験している感情と愛の原型との関連に思いが至り、
へぇ、こんなことでまだ凹むんだ、、それはそうだよね、
愛の原型に関係しているのだもの凹むよね…自問自答していると、
いつしか、ざわざわした感情は後退して入れ替わりに、
自分をクスッと笑ってしまうような、ちょっと愛おしいような感情が出てきました。

愛の原型に起因する感情のパターンは変らずとも、
大いに変化した自分のあり様にも気付き出しますが、
感情に縛られる時間がぐっと短縮されたことは大きな変化です。
感情を認めたなら、さらっと流して次のステップに進むことができる。
次のステップとは自分にとって一番大事なことに意識を向けることで、
自己実現の道の方へ意識を切り替えるといったら、ちょっと大袈裟ですが、
でも、そういうことだと思います。

凹んだ感情に縛られてグズグズと人生を停滞させていることが、
大事なことでないのは明白ですからね。

日々の感情の取り扱い、ちょっとした感情の取り扱いの積み重ねが、
人生を作っているといっても過言ではない気がして、
今ここの小さな歩みが鍵を握っていると、私には信念めいたものがあります。

愛の原型に起因する凹んだ感情について、しばし思い巡らした後、
自己実現の方に思考と感情を切り替えて、
夕べは美味しいシュウマイ作りに意識を集中させたことでした。
日々の小さなことの積み重ね、小さな自己実現の積み重ねが人生をつくっている。。。
(ではないでしょうか?)

軽やかに自己実現の小道を歩んでゆきたいですね。

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内なるもの、希求するもの

2019年06月10日 | 自己実現
平成から令和へ。改元の一連の行事に触れながら、
近代史に俄然興味が湧いてきました。
明治、大正、昭和を知ることは、自分の生育史で
合間見えた大人たちの生きた時代を知ることだったと、
今更ながら、こんな当たり前のことに感動しています、、。

大事件の顛末があって、そのとき何が起こっていたのか。
近代史では聞き取り調査の資料や、広範囲に渡り
分析作業を丹念に進めた著作やルポルタージュなど、
事件を巡って相対する両者の立場と言い分を
かなり正確に知ることができますが、それらを読み進めて、
そうだったのか!と新しい理解をいくつも得ることで、
それですっきりするかと言えばそうでもなくて、
どうして、こういうことになってしまうのか?
パタンと本を閉じては、けっきょく人間は何も変っていないし、
現在に至るまで同じ事を繰り返しているのだなァ。。。
そんな感情が湧いてくるのも正直なところなのです。

しかし、すっきりしない感情を抱きながらあれこれ思い巡らすことに
意味がある気がしているのも本当なので、
しばらくは興味と関心がこの時代に注がれることになるのでしょう。

生育史の背景にある薄ぼんやりしていたところに、
薄明かりが照らされたような、意外な意識化が起こることもあって、
ごくささやかなことでも、それはちょっと愉しいですね。
大正時代、上京していた祖父が丸ビルに居て大震災の難を逃れたという話を、
直接、聴いてみたかったと今になって思うなど想像もしませんでしたから。。。

歴史を知り思い巡らすことは鎮魂にも通じて、
内なる魂の希求であるかもしれない、ふとそんなことも思うのです。

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