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こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

純粋・一致ということ

2021年09月02日 | 自己実現
わたが純粋・一致で思いを素直に表現していくことができれば、あなたにとって大事な気付きのきっかけになるでしょうか。それを願っています。

関係性が遠くても近くても、物理的に遠くても近くでも、有名、無名も関係なく、ただその人がその人自身を正直に自己表現しているというその一点において、純粋・一致の姿に触れるとき、わたしもまたそのようにありたいものだと、素直に自分を表して我が道を歩もうと勇気づけられます。

自分自身に正直である人の存在はつくづくありがたい。その人たちに勇気づけられている気持ちを伝える機会はほぼありませんが、ここで言います。わたしに対して時には苛立ちも隠さずに表現してくれて、ありがとう!あなたの純粋・一致に感謝しています。(2021/8/22)

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一日の始まり

2020年08月05日 | 自己実現
朝の瞑想から一日が始まります。

遠方の友人と毎朝、同じ時刻に瞑想をしようということになって、4月の新月から朝の日課になりました。6時半からと定めた時刻は起床時刻によって変動しますが、今のところ双方一日も欠かすことなく続いています。もっとも瞑想と呼ぶのは私の表現で、友人は祈りと呼ぶのがしっくりくるそうです。時折メールで近況を交わしますが、以前より言葉で伝え合うことは少なくなっています。

語るほど、こんがらがってくる。言葉で伝えきれない領域がある。表現は違っても目指すところは同じだということ。おもしろいことに言葉で伝えることに限界を感じるほど、少ない機会の中で大事に言葉を選び丁寧に発信しよう、そんな傾向が出てきたようです。

ふと思いました。友人と始めた新しい日課が、エリクソンの人格形成論で言われるところのネガティヴな感情傾向を拭き取り解消してくれる働きがあるのではないかと。解消までいかなくても和らげることは間違いありません。いつか体が消滅したときに解消となればよいので、この世界で生きる生身のうちは否定感を肯定感へ向かう中間点neutralへ持ち込めれば大成功でしょうね。

身体をつかって、誰かと毎日、意味を感ずる何かを継続する。ねば、べきの義務感など関係ない境地で続けながら、最終ラウンドの自我統合性と知恵のプロセスに入ってきているということでしょうか。そうありたいものだと思います。
・・・・・・・・・・

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雑感から、宝物

2020年02月12日 | 自己実現
この頃とみに時間の流れが速く感じられ、用事で週一度会う20年来の知人とは、もう一週間なんて!はやいっ!齢のせいね、、、挨拶のようにそんな言葉を交わします。実際は齢のせいというより、世の中の流れが速くなっていることの方が速い!と感ずることの大きな要素であると思うのですが、どうでしょう。

夕食の記録が中心の数行の日誌を付けていますが、驚かされるのは、ほんの数日の間に感動の中身がどんどん入れ替わり、よき刺激をもたらしてくれた人の名前が何人も記されたりするわけです。感動しては次から次へどんどん流れてゆくので、ああ、そんなことがあったっけ、メモを見返して記憶が呼び覚まされることもしょっちゅうです。このごろ人に(友人に)対して言葉少なになっているのは、この流れによるところも大きいのかもしれません。

語る暇もないほど目まぐるしく変化しているともいえるし、体験している心の流れを正確に説明できそうもないので、どうしても口数が少なくなるということもあるかもしれません。しかし間遠の交流が、人によって一年に数度の人もあれば、ひと月に一度、数日に一度とか、それぞれの交流が、この目まぐるしい変化の中で以前にもまして輝きを増しているようにも思われるのですね。お互いの体験や具体的な出来事を知らなくても、深いところで繋がっている信頼感があれば、それで十分というか。表層で何をしたとかしないとかは、あまり重要でなくなってきているように思われます。

目まぐるしさは、もちろんインターネットでもたらされる情報の多さに起因していますが、目まぐるしく変化する日々にあって感情も目まぐるしく変化して、生起する感情の強弱、色調を大いに味わい、さらさらと軽やかに流して次に進むのであれば、感情生活にとって情報量の多さは何らマイナスになるものではありません。要は適切に使う、関わることでしょう。

意識の表層では忘れても感動は確実にインプットされていますから、雑多な感動を毎日毎日インプットして・・・今朝、起床前のぼんやりした思考の中で、”なんだか、AIみたい…“と浮かびましたが、日々折々に心が感動したことが脳に、身体に蓄積されて、さてどんなことが起こるでしょう?日々の雑感が宝物になるのだろうと思いつつ。以前よりずっと、私は感情生活を楽しんでいるなあと、感じます。

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言い返す前にすること。。。

2018年10月21日 | 自己実現
相手の言葉にカチンと来て、言い返す。
怒りをともないながら、言い返す。
それに反応した相手に言い返されて、また言い返す。
しばし感情的な言葉のやり取りが続くようなこと。

言葉にカチンときて咄嗟に反応するのは、
自分を守らなければならない!という、
自己防衛からくる反応のようです。
守らなければならない自分とは、
この場合はセルフイメージでしょうか?
それとも自己概念とか。。。

カチンときて言い返す。
相手の言葉に即反応している流れでは、
「感情を受け入れる」隙がないことに気づきます。

下手なドッジボールを思い出してしまいました。
うっかり受けとってしまったボールを大慌てで、
見境なく敵の陣地に投げ込むような…下手なやり方です。

言葉と言葉のやり取りでは感情が平らかであるのは必須ですね。
それには“感情を受け入れる隙間”をもたないといけません。

物心ついてから“大事に育んできた”自己概念、
自己概念とは体験の解釈が集まって出来た束といえそうですが、
言葉の束の自己概念を守るのか、それほどの必要はないのか。
その考察も必要ですが、考察も感情が平らかでないとできません。

即反応する前に、言葉で言い返す前に、
カチンとくる、その感情を受け入れる隙間をつくるのに、
私はどうしたらいいでしょう?なにができるでしょう。

・・・・・?

相手の言葉にカチンときたとき隙間がつくれない。
その瞬間に、私には感情を受け入れる隙間が必要だと、
そのような概念/思考が成ったところで今日はよしとしておきます。
(この自己概念から何かが変ってゆく予感はしますね)
〔59〕
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自分を知るプロセス

2017年11月08日 | 自己実現
浅い思考で、散漫が拡がってゆく
周囲を巻き込みながら拡がってゆく。。。
上滑りの思考と感情から生まれる行動に、
付き合わされると疲れますが、
付き合わされるとは言い訳で、
間違いなく私が付き合うことを選択しているのだと、
心の深層では選択していると仮説して、
そうだとすれば、どうして?
どういう理由で私は選択しているのかなあ?
自分に友好感を覚える理由を
あれこれ想像(創造?)してみることにします。

・・・・・。

浅い思考が散漫に拡がっていくことに、
自分はマイナスのイメージで反応しているけれど、
プラスの側面はないのかしら?
私が馴染んでないだけで、きっとあるでしょうね。

浅い思考で散漫に拡がってゆくことに、
私がマイナスの反応をしているのであって、
人によってプラスの側面のみ感じ取る人もいるかもしれません。

どうも私が過剰反応している、それだけのことのようです。
それだけのことなのですが、丁寧に自問してみる、
その「過程」がとても大事なことの気がします。
浅い思考で散漫に拡がっていく現象(人)に対する否定感も、
自問自答する中で自然に中和されたようでした。

丁寧な自問自答のプロセスの中で心は和らいでいくようです。

そういえば、生育史の心は結論を求めるけれど、
“魂はプロセスを求めている”と、どこかで読んだのを思い出しました。
〔37〕-2
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雨上がり





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静かなヨロコビ・友好的感情

2017年11月01日 | 自己実現
友好的感情・・・好い響きです。

友好的感情があるとき人は幸せな人生が歩める、
それは人に限らず、世界(外界全般)に向かう感情で、
ヨロコビという感情にも深く関わって、
友好感からくるヨロコビが根底に静かに流れている、
そのような日常であるならば、
その人は微笑みをもって世界に対しているので、
そのような人生は好いなあ、理想だなあ…と。
そんな自己概念を私はもっています。

加えて、自分自身との関係が友好的であるかどうか。
それがとても大事な基本で、何よりもまず、
自身に友好的感情があるかどうか、
それが外界に対する友好的感情を左右するのだと思っています。

「自分自身との関係が外界に投影されている」とは、
薄々感じてきたことが、年月を経て、
信念になってきたのかなと思うのですが、
私にとって、これは友好的感情/幸福曲線へ導く信念であり、
羅針盤のような言葉であるわけです。

自分自身に対する友好的感情のために。
「自然体」の探究が鍵になるのではないか?
ある時、深まる秋をスーパーマーケットへ車を走らせながら、
ふと浮かんだことでした。
 
自然体、そして友好的感情・・・どちらも、
人生の幸福・幸福感の大事な要素であると思います。
〔37〕
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変わるもの、変わらないもの

2017年08月22日 | 自己実現
「熱意」を思い巡らして、

熱意~集中~意志~石、と最後は言葉遊びのような連想で、
石といえばイワナガヒメというところに落ち着きました。

内なる不動の岩。私の中の変わらぬもの、存在。

思考と感情が変化して、
夢から覚めたような気持ちになることを、
人生の中で、人はどれほど経験するものなんでしょう?
小さいのはちょこちょこ起こっている気もするし、
大きいのは十数年に一度とか…?まあいろいろでしょうが
普段は意識しなくても、
思ってもいなかった心境の変化を経験すると、
変化する一方で、私の中の変わらないもの、
変わらない部分が確かにあることにも気付きます。

私の内の、変わるものと変わらぬもの。

変わったなぁと、思考と感情の変化を認める部分、
私の内の変わらない部分が、それを見ているのは確かでしょう。

ひょっとして、そこが熱意を動かす発信源だとしたら?
そんなことを楽しく思い巡らしているところです。
〔30〕
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