こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

物思いの秋に。

2012年08月28日 | 未整理
今ここで、自分のフィルターがどうなのか、その点検は
平安感がもとにある幸福曲線で世界を眺めているか?それとも
不安感がもとにあるストレス曲線で世界を眺めているか?それを意識することからです。

あれこれと物思いに煩わされているときは、ストレス曲線におかれているので、
どうしたって自分を取り巻く世界も、灰色がかり精彩を欠いたものになります。

心配性とは、ストレス曲線が常態化したものといってよいかもしれません。

そんな常態化から抜け出すためには、とにかく何が不安なのか、
敵の正体をぱっちりと目を開いて、見つめることから始めるしかないようです。
今、不安に感じていることがいくつあって、
その中で、今いちばん気にかかっていることは何なのか。

いちばん気にかかっていることを一つ意識化できたならば、いちばん気がかりなそのことが、
もっとも好ましくない方へ進んだ場合どうなるか、自分にとって最悪な状況を想像してみます。
最悪を想像したならば次は、気がかりなそのことが、もっとも好ましい方へ進んだ場合、
自分にとって最高と思われる展開を想像してみます。

こんなふうに不安感を意識化して整理するだけでも、心は落ち着いてくるものですが、
意識化した心配事の成り行きを上記の作業で、しっかり検証してみると、
二つの想像のうち最悪の想像の方が杞憂に終わることが殆どであるのがわかります。

この秋は、あれこれの物思いの推移を、しっかり見届ける秋…目指すことにしましょう(^^ゞ
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余計なコトを考えないで

2012年08月27日 | 未整理
“余計なコト考えないで、〇〇もただ一生懸命生きればいいんだよ。。”
動物の生態を美しい映像で見せてくれるテレビを見ながら、親友が呟きました。

その言葉には、動物のように(?)一生懸命生きていることを認めてくれている響きと、
でも余計なコトをごちゃごちゃ考えては平安を乱されている私を、
いい加減(そんな傾向は)止めにしたらと少し哀れんでいるようにも聴こえました。

妙にその言葉が心に沁みて、ありがたく身に沁みて、時々心の中で反芻しては、
ほんとうにそうよね…と親友の呟きに同意しているわけですが、
前回の“灰色がかったフィルター”とごちゃごちゃ考えて心を乱される傾向は深く関係しています。

ふるいフィルターを外して、意識して新しい目で(フィルターで)世界を眺めなおそう!
そんなことを考え出した矢先の親友の呟きだったので尚のこと身に沁みたようです。

ごちゃごちゃ考える傾向は心配性にも通じます。

余計なコト考えないで(心配しすぎないで、、)すっきりとコトに当たってみれば、
それで十分すべては上手く流れてゆく、後味もわるくないし疲労感もない…これでいいんですね。

様々なコミュニティーのお付き合いで、人間関係を楽しむよりも疲労感が勝る傾向には、
心配性~ごちゃごちゃ考えすぎる~灰色がかったフィルターのことを、
思い巡らせてみると、何か気付く事があるかもしれません。

今を生きる現在の自分のフィルターがどうなのかを、時々意識しながら、
人生の時間には限りがありますから、自分のためにも大切な人のためにも今ここで、
新しいフィルターで世界を眺めなおし、幸福曲線の時間を大切に生きたいものです。
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世界を知覚しなおすとき・・・

2012年08月25日 | 未整理
森羅万象の受け皿である私の身体が、心(成育史の)と体(生物としての)と
魂(時空を超えた愛そのものの)の3つの要素からできているとして、
この身体の質を改善したいなあと、最近とみに、強く意識するようになりました。

意識するとどうなるか。とても単純なコトですが、言葉で表現するならば、
五感を通して世界を眺めるときに、無意識で多少灰色がかったフィルターをかけていたのを、
知覚を意識したならば、意識して旧いフィルターをはずして、
世界をクリアーに眺めなおす、新たに感じなおす…そんな感じです。

フィルターを付け替えて知覚しなおす。。。これこそ、
やらなければならなかった基本中の基本だったのではないかなと思うのです。

いちいち意識するとどうなるかというと、ふと感じると―それはたとえば、
窓を吹き抜ける風のときもあれば、小鳥のさえずりのときもあるし、
今キーボードを打ち込んでいる行為もそうですし、
運転しながら目に入る、おばあさん達の立ち話の光景とか、
意識して知覚する現象のすべてですが-ふと意識して知覚しなおすと、
いつも、なんとなく口元がゆるんでしまう。微笑んでしまうことが多いですね。

新鮮な感受性をもって世界を知覚しなおすことで、
森羅万象の体験を意識的に幸福曲線に移行しているわけですが、
すべては幸福曲線で世界を受けとめる確かな身体をつくるためです。

この身体がなくては、人生を悔いなく生き抜くことはできません。
今やっていることは、わたしの幸福な人生の核心の課題なのだと思います。
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炎天下の草引きにて

2012年08月02日 | 未整理
外作業は朝夕の涼しい時間以外はありえないと思って、実際そのようにしてきました。
夏場の戸外作業でいちばーん嫌なのが虫に刺されることで、
どんなに防虫対策を万全にしても、ぶんぶん煩いのや、
ネットの隙間をぬって進入してくる小さい虫たちに悩まされっぱなしです。

ふと虫刺されにイラつくより炎天下の熱さに耐える方がましではないかと思いました。
人が過ごしやすい時間は虫にとっても過ごしやすく、
酷暑の炎天下は虫もなりを潜めているようです。だったらその時間に作業しよう!
そういう訳で今年はじめて炎天下の外作業に挑戦してきました。

これまでとは違う家事のやりくり、順序を工夫して、
毎日へとへとになりながらも、これまで経験しなかった達成感があります。
たかが除草されど除草で、こんな小さな変化が人生の核心に通じているような気もします。

台風の影響で今日は雨だろうから一息つこうと思っていましたが、
お天気はすっかり回復、青空が広がっています。
疲れすぎている、でも作業したい、、。ちじに乱れながら、
とりあえずテーブルにうつ伏して、まどろんで、
ちょっと眠って目覚めつつ浮かんだことが、
“ステージは自分でつくらなければ…”ということでした。

ステージとは、これ我が人生のステージなり。。。と解釈しましたが。
ちょっと大仰な言葉ですが、たぶん今朝からのちょっとした葛藤に対する答えだと思いました。

人は誤解や見当違いをし合って生きているようなところがあります。
人生の経験が違うのだから、どんなに想像力を駆使しても限界はあります。
誤解にいちいち反応しても、それは私の核心を逸れさせることでしかないように思います。

小さな日常を私が日々のステージをきっちり生き抜くことだけが、最終的には
誤解を解くことにも、人と人が理解しあえることにも繋がる確かな道なのだと思います。

さてお昼を済ませたら今日も炎天下の作業に励むとしましょう。
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