こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

不安でいっぱい

2010年06月30日 | 五感と体感
今日は友人から近況報告の葉書と、別の友人から本の小包が届きました。
年上の友の近況には読み始めた本と次の勉強のテーマが書かれていて、
それが、最近わたしが大いに関心をもって指向しだしているテーマと
どんぴしゃと重なるので、なんともうれしく、
その友人との関係性や長い交流の経緯、
現在のわたしが考えていること、指向しているもの、
最近わたしに起こったこと、生まれた小さな出合い、それら全てが
友の近況が届いたことで、繋がりをもって一つの点描画として現れた…。
そんな気がして、妙に興奮してしまいました。

興奮というのは不安感が嵩じて錯乱した状態をいうのだな、
そんなことを考えながらも、鎮まるまでにはけっこう時間がかかりました。
というか、まだ興奮の余韻の中にいる…それが正直なところですが、
これを書き終えるまでにはしみじみとした平安感へ移行させたいものです。

こころを鎮めるためには、もう一人の友からの本が役に立ちそうです。
この本も、もちろん点描画の中の一点に間違いないのですが、
それについては次の機会に書くことにします。(もっと落ち着いたときに!)

(青人草・9)
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梅雨時の草引き

2010年06月29日 | 五感と体感
水引けのわるい粘土地の飛び石付近に、土砂が流れ込みました。
地面がたっぷり水を吸い込んで長い根がすっと抜けるので、草引きは簡単です。
グランドカヴァーになりそうな一種類だけ残しましたが、正確な名前がわかりません。
硬い茎の雑草で、感じとしては地を這うオトギリソウなのですが。。

(青人草・9)
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大きな自然体

2010年06月28日 | 第9章:愛
来日中のダライ・ラマの講演会に行ってきました。
長野市のビックハットは大きな会場で、わたしの席はアリーナでも、
講演者のいるステージは遥かかなた、人が豆粒ほどに見える席でした。
どちらかといえば、普段から講演会の類には消極的で、
講演よりも本を通して、著書を深読する方がずっと有意義と感じる方です。
しかし今回は足を運んでよかったと、しみじみ思っています。

(ダライ・ラマを意識するようになったのは一冊の本がきっかけでした。
“ダライ・ラマ、イエスを語る・中沢新一訳”は、1994年にロンドンの
カトリック・べネディクト修道会で行われたセミナーで交わされた
ダライ・ラマとキリスト教聖職者との対話を元に構成されています)

スクリーンに映し出される大人(たいじん)の自然体。
頭を掻いたり、日除け(壇上の熱いライト除け?)キャップをいじったり、
従者の耳打ちに応えたり、笑顔で会場を見回す姿…。
壇上のダライ・ラマの一挙一動、大らかな自然体を思い出すだけで、
今でも、安らぎが身体中を回るような気がします。
現実吟味力に長けた、ほんものの人の発する気配に満ちたあの場所に
与れたことは本当にラッキーなことでした。
わたしにはない機動力で、このチャンスをつくってくれた友人に、感謝しています。

(青人草・8)
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日向のカズラ

2010年06月27日 | 五感と体感
昨日書いたヒカゲノカズラのことを、ちょっと補足すると
ヒカゲノカズラのヒカゲは、日陰でなくて日影なので、
日向に成育するカズラのようです。
蔓草というより、ちょうど杉の葉を柔らかくしたような感じで、
冠やタスキなど自在に形作れる、多年草の元気なカズラに見えます。そして
万葉集の頃の梅の花は、外来植物として今よりもずっと華やかな立場にありましたから、
現代でいえば、ハイブリッドのバラの花といったところでしょうか。
“山の木陰にヒカゲノカズラを頭に飾って遊んでいるうえに、
どうして梅の花を飾りましょうか…”という乙女の心象は、今なら
“ノバラを飾って野に遊んでいるうえに、どうして豪華なバラがいりましょうか。
ノバラで十分です…”と、こんな感じになるのかもしれません。

(青人草:7-2)
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日影蔓/ヒカゲノカズラ

2010年06月26日 | 五感と体感
珍しく読書中の本に引用されている、和歌に惹きつけられました。
「あしびきの山下日影蔓ける上にやさらに梅を賞はむ(しのはむ)」大伴家持
山の木陰にヒカゲノカズラを頭にかざして遊んでいるうえに、
どうして梅の花をかざしましょう、“わたしはこれで十分なのです”。
この控えめな自己主張のトーンに好感をもちます、そして共感も。
この乙女は自分を知っている、アイデンティティが統合されていますね。
調べてみると、ヒカゲノカズラは想像していたより更に地味な植物でした。
天の岩戸の前で踊ったアメノウズメは笹の葉を手に、この蔓をたすきにしていたようです。
視覚的な想像が広がると、神話も身近で楽しいものになってくるから面白いものです。
和歌に対する己の感受性の乏しさに、せっかく日本人に生まれてきたのにと、
残念で引け目に感じていたのが、この一首をきっかけに多少変化するかもしれません。
作者の平穏でなかった人生と、それを映し出す作品の変化にも興味が湧いてきます。
わたしが変化すると、心惹かれるかれるものも変化してゆきますが、
日々の変化を怖れず・・・心惹かれるものを大事にしたいものです。

(青人草・7)
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小道を整える

2010年06月25日 | 五感と体感
昨日は草引きの時間が全くとれなかったので、
今朝は雨が落ちてくる前にと、朝食の準備も早々に外にでました。
僅かな時間なのでとりあえず、気になりだした小道の草を取り除くことにしますが、
幅30cmばかりの通路に生え出した、僅か1,2cmのチヂミザサたち。
それを端から抜いて、ときどき振り返っては成果を確かめますが、
茶色の通路がくっきりと現れてくるほどに、“ああ気持ちがいいィ…”と、
思わずため息がでるほど、爽快な気分になります。
夏草の繁茂するグリーンの中に、くっきりと土の輪郭線が現れるだけで、
どうしてこんなにも気持ちがよいのでしょう。
いつも他の場所とは一味違う満足感がありますが、
たぶん目に見える庭の小道ばかりでなく、この作業は知らず知らずのうちに、
“わたしはこの道を行く”という、自分の進むべき道の余分も取り除き、
心の在りようまですっきりさせる効果があるのでしょう。
庭との関わりに、心の世界が映し出されるような気がしています。

(青人草・6)
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ほんものの理想

2010年06月24日 | 無意識の世界
“わたしが、わたしのことをちっとも理解していなかったのだもの、
不安に置かれて当たり前だった・・・”
今朝起き抜けに、なぜかこんな呟きがでてきます。

人間の本質は不安といわれていますが、本質的な不安に加えて、わたしには、
わたしという個人が意識の持ち方次第で抜け出せる、そのような不安感に
長い間、置かれてきたのだという自覚があります。
人は多かれ少なかれ、知らず知らずに個人的な不安感を身につけ、
不安を自分の一部として、何かへんだなあと思いつつも、
何がへんなのかわからぬまま、日々をやり過ごしている。

理想と現実のギャップが、不安感を生み出すといわれていますが、
知らず知らずのうちに身に付いた不安感は、どのような理想と現実から生まれたのか?
わたしの理想は~です、と明確に言えたとしても、
こうありたい、こうなりたい、このような人生を送りたい…などの理想が、
はたしてどこからやってきたものなのか?
これがわたしの理想です!と意識できている理想が、真にわたし自身の
心と身体から湧いてくる本物の感情によって裏打ちされるものかどうか。
そのような本物の理想が意識できて、その理想に向けて自覚的に生きられたときに
長い間おかれていた不安な状態から、はじめて抜け出せるようです。

“感情に裏打ちされた本当の理想を生きたい”という無意識の希求(理想)と、
五感と体感と感情を無視した仮の(借りものの!)理想を生きている現実。
わたしのほんものの理想を理解して、このギャップを埋めない限りは、
悔いのない人生は望むべくもありません。

(青人草・5)
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夕顔2

2010年06月23日 | 五感と体感
源氏物語の頃のユウガオは外来の植物で、
あまり知られていませんでした。
思いがけない時と場所で見つけた恋人・・・
出会いの意外性を象徴するに、ふさわしい植物だったのですね。

(青人草・4)
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大切なもの・庭

2010年06月22日 | 五感と体感
早朝、山の我が家に戻りました。
途中で買い求めたサンドイッチの朝食を済ませて、
ゆっくり休息する前に、庭と畑の様子を見てこようと外へ出ました。
予想通り10日の留守中に大量の雨水と夏の陽射しをたっぷり吸い込んで、
あっちでもこっちでも、のびのびと草が育っています。
けっきょく、ちょっと見回るつもりが2時間近く草引きをしてしまいました。
畑を囲むネットの際には、そこで長居をしたらしい鹿の足跡が深々とついています。
一番端に植えていたナスの苗が跡形もなく消えて、
弛んだネットから頭を入れたらナスにとどいたのでシッケイしました、
と、鹿の声が聞こえてきそうな痕跡が見て取れます。

植物と庭は、わたしの人生にとって意味深く大事なものです。
大事なものと関わるのに、苦労はつきもの…!
これから真夏にかけて、草引きに追われる日々が続きます。

(青人草・3)
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休暇の後

2010年06月21日 | 意識と知覚
ツクツクホォシが鳴いています。
里小屋の休暇も本日で終了、出発を前に荷物をまとめているところです。
毎日だれかれと会い旧交を温める日々でしたが、いつものことながら、
人と会い語り合う中で、なるほどなあと自分の無意識に気付くことがあります。
今回はふた回り近く若い人たちの在りように触れながら、
わたしの中で少々擦り減ってしまった大事なものを、
彼らがしっかりもっている。そのことに刺激を受けました。

出合いの不思議に素直に感動する、人に対する“瑞々しい信頼感”が、
彼らからひしひしと伝わってくるほどに、こちらの冴えない感性か際立ち、
“ちょっとした失望感が漂っていた…”らしいことに、はじめて気付かされました。
ある領域で無意識にもっていた感情がはじめて自覚されたわけです。
さてわたしは、どんな草になりたいのか? 楽しく自問しながら、
山の家までの長い道中、退屈せずに過ごせそうです。

(青人草・2)
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