こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

2020/06/22

2020年06月22日 | Weblog

新月の晩に鹿が、、
胡瓜の若葉を食べられました。ここまで入って来る?!

ツワブキは跡形もなく、、


去年食べ尽くされたので、今年は棒を立てて。
今のところ接近の気配なしですが、、



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感じて、手放して

2020年06月20日 | 自己実現
執着を手放せば楽になる、手放せば幸せになる、、、よく聞くフレーズです。当たり前ですが執着の中身は人それぞれで、それは物質的なものかもしれないし思い出のように物質的でないものに執着していることもあります。一人の中にも様々なレベル様々な形態の執着が存在しているというところでしょう。

手放すべき何か。手放すべき執着から目をそらすために別の何かに置き換えられることもありますね。思考とか自己概念の中にこそ手放すべき執着があるのに、それが投影される形で物質的断捨離に走るようなことも起こっているように思います。

執着とは手放すことを怖れている状態と表現することもできますが、だからこそ、これが執着だ!など安易に決めつけない方がよいと感じます。他者に対しては言わずもがな自分自身にも慎重であるべきなのは、手放すことの怖れはとてもで繊細な領域で時間をかけて丁寧に付き合ってやる必要があると感じるからなのです。

怖れの感情が厄介なのは直接的・身体的な危害と区別がつかないところかもしれません。

頭の中の、思考の怖れなのだから直接危害がおよぶわけではない。そこをしっかり理解したなら怖れを感じている自分と少しの間一緒にいてやることもできそうです。怖れを感じてやることを怖れないで、ひとときを共に過ごしてみるのです。そのように過ごしているうちに怖れを手放していくことができるかもしれないし、できないとしても「感じてみる」プロセスは、それをしなかった場合より、どんなに小さくても確実な一歩として心身に記憶されることでしょう。

言葉に逃げ込む前に「感じてみる」ことを大事にしてくださいね。深緑の木々や小鳥たちが耳を澄ませば自然界が、言葉で済ませてしまう現代人に向かって囁いている気がしますね。
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4-2
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そう思えば、慌てることもなく…

2020年06月11日 | 自己実現
いつか終わる。この感情もいつか終わる、、、そう思えば慌てる必要もなく、ゆったり構えて通り過ぎるのを待てばよい。慌てず騒がず感情を見つめる態度は、とりもなおさず感情を受け容れているということで年齢を重ねる中で出てくる態度といえるかもしれません。

以前の私であれば、この感情を感じないために即、行動していたような気がします。受容を飛び越して即行動、、とりあえず行動してその感情を麻痺させるみたいな。齢を重ねて判ってきたことは、感情が終わるのは行動したからでなく単に時間が経過したから。

ゆったり構えて感情を見つめて感じて受容するというプロセスの中で、時が来て感情が去ってゆく。その感情は一人で過ぎ越すことに意味があるので、感じないように逃げ回っている限りその感情の対局にも到達は叶わないということが、ようやく身に染みてきたということかもしれません。

愛の孤独感・・・孤独感を一人で過ぎ越すと愛が顕れてくる。愛と孤独は表裏一体ですからね。そして独りで過ぎ越した暁に友と語り合えたらいいですね。ときに逃避や依存的な関わり方があったとしても、本流は独り過ぎ越してから友と語り合うのがいいなと思います。

この感情がどうして来たのか。今ここでなぜ来たのか。たぶん感情を経験することそれ自体に一番の意味があるのではないか。そんな気がします。
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あ・愛の孤独感

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