こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

雪の大晦日に

2009年12月31日 | 五感と体感
毎年30日は知人の家でお餅つきです。鏡餅を一組と小さな丸餅を数十個、一臼分に加えて、今年は黒豆入りのなまこ(一晩置いて硬くなった、なまこ型を切り分ける)をふたつも頂きました。丸餅だけでも我が家には十分過ぎるので、いつの頃からか、東京の友人にお福分けを送るのが恒例になりました。

大晦日は大荒れの予報で外出は無理と半ば諦めていたのですが、午前中は日も射して無事に宅配便の営業所まで行くことが出来ました。街からの帰り道わんわんと舞い始め、今は一面の雪景色です。

思いついて鏡餅の傍らに蜜蝋の灯りを点しました。蝋燭の灯りは月影の気配にも似て、安らぎを感じます。お花は白のストックと紫のキクの投入れで、こうあるべきと思って来た従来のお正月花から完全に脱却です。鏡餅の背景にもイコンの額がごく自然におさまりました。

こころの自由が越年の設えにも投影されたせいでしょうか。今年は自分流に迷いがなく、すべてが心地よく感じられます。閃いて雪のマンリョウを庭から採ってきました。一夜飾りのタブー?気にしません。何といっても、いちばんの禁忌は自己否定。こころに留めるべきは自己肯定なのだと、思いを強める大晦日です。生き甲斐の心理学に感謝。(魂の自由:29)


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月のクール

2009年12月28日 | 五感と体感
否定も肯定もせずに、ありのままを受容してくれる・・・わたしにとって、その最たるものが月です。どの季節、時刻でも、どんな形の、どんな色でも、空の月を仰ぎ見たその瞬間に、穏やかな気配に包まれます。クールな優しさとでも言ったらよいのか。月は心身のざわめきを鎮め、こころの環境をニュートラルに調えてくれると感じます。

今夜、だいぶ膨らんできた月を眺めて想いました。

月のクール(cool)は、人間関係の一つの目標かもしれない・・・程よい距離の、理性の光に照らされた最良の関係は、淡々としたと表現される関係でもありますが、甘すぎない優しさが心地よい関係です。

可能な限り心の不自由から解放された、魂の自由に接近した“あなたとわたしの関係”を新しき年の一つの目標にしたい。月を仰ぎ見ながら、ふとそんなことを考えました。
(魂の自由:28)


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感情は宝物

2009年12月25日 | 五感と体感
心は自由だー!ある朝のこと、これまで経験したことのない感情を味わいました。目覚めて間もなく何の前触れもなく突然です。うきうきする感じに満たされて一日中、自由の喜びが心身を静かに通奏していました。その日を境に心の自由度がぐっと増したような気がします。

それから暫らく後のある午後の日、なんともいえない寂しさがやってきました。淡い思慕がしーんと身体を通り抜けてゆく。故郷と身内に対して、このような感情が生まれたのははじめてのことです。これからの人生、時々この感情と付き合うことになるのだろうか。覚悟しておこうと思いました。

自由の喜びも思いがけない寂寥感も、長い間コツコツと心を見つめ、内面を探求してきた一つの成果と感じました。準備が調ったとき、本物の感情はやってくる・・・。埋もれていた感情の意識化は宝物の発掘に等しく、ちょっと大袈裟かもしれませんが、労いのご褒美とさえ感じます。

大事な宝物に気付いたのは、どちらも今年の秋以降です。人生の一つの節目、天の祝福としてクリスマスに記しておこうと思いました。(魂の自由・27)
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大事にしたい成功体験

2009年12月23日 | 第9章:愛
悔いのない人生に成功体験は大事な要素です。成功のイメージは人によって様々でしょうが、わたしが大事にしたいのは“自己肯定の成功体験”です。悩みがもたらされたとき、いっときの感情に流されることなく落ち着いて出来事を見つめ、積極的に意味を見つけること。肯定的に解釈する努力が、しなやかで強い内面を築いてくれるように思います。

そしてもう一つ。悩んでいるわたしに心を痛め、沈黙の内に受容と共感のまなざしを送ってくれる人の存在も忘れてはなりません。これは今のわたしに進行形の事実でもあるのですが、見守られている実感が、成功体験への道を緩やかにしてくれるのを感じます。

自由な心の世界で、受容的・共感的な愛を体感すること。

かの物語でも、「キサは、草壁皇子がこれといって楽しい遊びをしなくとも、勇敢に野山を駆けることができなくとも」、どんなときも皇子のありのままを見守ってくれる存在でした。曇った眼で、わたしのキサを見落とすことがありませんように。

体験の解釈の努力(これは自分を大事にすること、愛することです)と、見守られている愛を素直に感じとり、小さな成功体験をコツコツと積み重ねてゆく。ささやかですが、そんな人生を望みます。(魂の自由・26)


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人の世の光と影

2009年12月21日 | 無意識の世界
人生では、大事な道しるべとなりうる直感や直観が、心身の限界のために最良の形で活かされないことは多い、そんなことを考えていた矢先でした。草壁皇子の人生は直観に抗うことなく、未来を受け容れた雄々しく献身的な人生として、わたしの心を捉えます。

母に抹殺されるかもしれないという皇子の直観は、女官たちの鹿占いを機に、俄に現実味を帯びて意識されます。それでも尚、未来の悲劇と母の鬼の一面を知覚しながらも今ここで、自分に向けられる愛もまた母の真実なのだと信じきれる皇子には、威光に包まれる母が、光だけでなく母の父母たち、連なる祖先たちの影をも継承しなければならない現実、人間の過酷な宿命がよく解っていたのだと思います。

愛する父母の光と影を我が身の運命として生き抜いた、古の貴人の類稀なる物語。現代に生きるわたしにこんなにも染み透ってくるのは、光と影の問題が時代と貴賎を超えて、いつの世も人間にとって本質的、かつ普遍的なテーマだからでしょう。(魂の自由・25)

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直観を支えるもの

2009年12月20日 | 無意識の世界
梨木香歩さんの“丹生都比売(におつひめ)”を読みました。舞台は壬申の乱直前の吉野。不穏な時代の緊迫した空気を一身に受ける幼い草壁皇子(くさかべのおうじ)の底知れぬ孤独と葛藤の物語です。

皇子は自分を取り巻く人々の感情を敏感に感じ取り、とりわけ母の動静には全神経を張り詰めますが、ある日、母が自分を抹殺するであろう未来をも直観してしまう。育てていた燕が、ひ弱で目立たない雛には餌を与えない様を見ながら、宿敵を斃す鬼のような母の一面が、いずれは自分に向けられる運命に気付いてしまいます。

敵を憎むのは当然、斃すことのみが目的の生を体現している両親に違和を感ずる皇子は、絶え間ない孤独にさらされます。ストレスの極みに追い詰められて尚、草壁皇子を生き延びさせたものは何だったのか。邪気のない、キサとの交流が一筋の光であったのは、間違いありません。

直感、直観という、ときに恐ろしい見たくない閃きを感じ取ってしまうとき、人は、その感じ取ってしまったものとどうつきあえばよいのか。わたしの内なるキサ-丹生都比売に出会うことができるかどうか、そこに答えはあるのだという気がします。(魂の自由・24)


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喜びと悲しみの先にあるもの

2009年12月18日 | 第9章:愛
ふとしたことがきっかけで、過去の悲しみに引っ張られそうになって、慌てることがあります。目にしたり耳にした、ちょっとした言葉が刺激、引き金になるので、いつ記憶の層の悲しみの感情が頭をもたげるかは、全く予想がつきません。

突発的に襲われる感情は、わたしの場合、別れの悲しみが筆頭のようです。放っておくと、また別のネガティヴな感情が誘引されるので、できることなら悲しみでストップさせたい。

別れの印象が鮮明なのに比べて、出会いの記憶はぼんやりとして思い出されることも殆どありません。でも別れがそんなに悲しかったのなら、出会いはどんなに大きな喜びに包まれたことか。忘れていた喜びを追体験、意識して知覚してみたらどうだろう?こんな単純なことに思い至ります。

出会いの喜びを意識して知覚する内に、いつしか感情の揺れは収まり心は安定してきます。出会いと別れ、喜びと悲しみは背中合わせなのだった・・・そんなことを考える余裕も生まれ、出来事への感謝の気持ちさえ湧いてきます。感情はいつでも、埋もれかけた大事なものに人を導こうとしているのかもしれません。(魂の自由・23)
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煙い問題と向き合う

2009年12月16日 | 五感と体感
家人の喫煙は7年前、こともあろうに世界禁煙dayに葉巻を試したのがきっかけでした。偶に香りを楽しむ程度なら良いだろうと、頼まれた葉巻を気楽に買い求めたのは、迂闊だったと悔やまれますが、それまでの嫌煙の様子を見れば、まさかこれほどの愛煙家に成長(?)するとは、とても想像できませんでした。

今も室内で吸うことはしませんが、本数が増えた分、不快な臭いが漂って顔をしかめたくなることはあります。禁煙して欲しい最大の理由は、やはり当人の健康を考えてのことで、喫煙の害が見えないところで進行していると思うと、心配でたまらなくなります。

しかし、ここで間違えてならないのは、わたし自身のために、わたしは禁煙を望んでいる。この現実をきちんと認める必要があります。正直に、素直に自分の感情を認めれば、あなたの喫煙は、わたしを不安にします。わたしの不安解消のためにも禁煙してもらえないでしょうか。自然とこんな気持ちも湧いてきて、煙い問題とこれまでのようにイライラせずに、落ち着いて向き合えるからふしぎです。(魂の自由・22)


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親しき仲にも

2009年12月15日 | 愛とゆるし
家族というのは知らず知らずの内に、お互いに感情を分け合ったり受け持ったりして自他の境界を曖昧にさせるもの。それが安らぎの素にもなれば、個の自覚を遠ざけて自己実現の道をぼやけさせてしまう場合も・・・などなど。家族が入院というハプニングのおかげで一人暮らしを半月間。普段なら考えないようなことを、あれこれ考える良い機会になりました。

家族に限らず、親しい人間関係にも同じことがいえるのでしょう。親しき仲にも礼儀ありとは、なかなか深い意味があるなあと思います。表面上、形式的な態度云々の次元でなくて、人格の尊重の仕方において。家族には甘えもあるので、けっこう無礼だったりします。

相手を尊重するとはどういうことか。考えるときは相手を思い浮かべ、できるだけ具体的に、その中味を検討することが重要です。

今のわたしの場合なら。喫煙者に対する世の中の、ときに過度と思える白眼視を批判するわりには、家人の喫煙には全否定の態度で臨んでいた・・・これはイケナカッタ、無礼だったと反省しているところです。(魂の自由・21)

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困惑と傾聴

2009年12月11日 | 五感と体感
相手が人間関係のあれこれを話し出すとき、それが友人であれ知人であれ、その人自身の悩みが語られる場合は、ごく自然に“聴く”体勢に入ることができます。ところが他人の悩みの顛末など語りだされると、なんとも居心地が悪く、どんな応答をしたらよいか困惑します。

ゴシップにありがちな、オブラートに包まれた他者否定の臭気。これに対するわたしの不快、拒否反応が強まってきたとしたら、古代ギリシャの賢人が云った“たましいは醜いものと出会うと、すぐさましりごみしてこれを拒絶し、目をそむけ、協調しようとせず・・・”に照らして、以前より魂の感受性が強まってきた証拠かもしれません。

体感としての不快や拒否反応は、魂のために大事にしなければと思います。

話の内容に囚われてしまうと拒否感ばかり強まりますが、本人は気付いてなくても、相手にはそれを語らなければならない(心と体の)事情があるのだと意識することで、困惑の度合いはかなり小さくなります。他者否定と揶揄の漂うゴシップに困惑したときは、感情を聴くことに徹してみる。傾聴に徹するほど、こちらの困惑-不安も解消されてくるようです。(魂の自由・20)

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