こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

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2014年06月30日 | 螺旋状に上昇する意味
痛い感情の発生源になっている思考から、
いつか解放される日がくるのだと信じて待ちながら、
そこには、待ちの姿勢に外せない大事な要素があると感じています。

待ち方の流儀とでもいいましょうか。しっかり意識した方がよいことがあって、
それは、心地よい感情を意識して増やすことなのですが、
まずは自分の心地よい感情のスケールを持つことから始めることかもしれません。

わくわくとは違う。興奮からは程遠い。明るい静寂の中で、しーんと満ち足りる。
ニュートラル…中庸(ちゅうよう)といった言葉が浮かびますが、私の場合なら、
絵画や音楽に触れて、しーんと感じ入っている。あの感じがスケールの基本でしょうか。

それで。スケールの基本はイメージの基本でもあると思っているのです。
心がざわついても、すぐ戻ってゆけるイメージの基本ですが、
すぐに戻ってゆけるイメージを持つことは外界の刺激から身を守るための砦になります。

だいたい刺激を受けるや即考え出してしまうのが人の常のように思いますが、
思考に逃げるクセはそろそろ止めにして(逃避、知性化etc.は止めにして)、
心地よい感情のイメージに立ち戻るのがいちばんではないかと思っているのです。

心地よい感情のスケールを、しっかり持って、いつでもそこへ立ち戻ってゆくことができる。
そのような日々が積み重ねられてゆくと、或る日、
痛い感情がいとも簡単に気付いたら手放していたということが、きっと起こります。

今時の季節、梅雨の晴れ間の自然の中で生まれてくる心地よい感情を、
ひっそりと増幅してみるのもよいかもしれません。

「人の身体は神の神殿」といわれていますが、神殿を守るのは私の大きな務めであるなと。。。
このところ人の身体は神の神殿、この言葉がちらちら頭をよぎっていたのが、ここで繋がりました。

考え出すよりも心地よい感情に立ち戻ること。私もしっかり心に刻んでおくことにします。
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痛い感情。。。

2014年06月29日 | 螺旋状に上昇する意味
人それぞれ、苦手な感情があるようです。
その感情がやってくると心は掻き乱されて何も手に付かなくなる。
一時的には再起不能になる感じ…です。

痛い感情。。。

特定の状況になると決まってやってくる感情が、
何のためにやってくるのかといえば、
「自己概念の再構成」を促しにやってきているのだと、
そう解釈してしまうと、とてもすっきりすることに気付きました。

思い込んでいる何か。考え方、信じ込んできた価値観を見直したら?
見直したら、もっとしあわせになりますよと、
感情が報せにきてくれていると捉えるのです。

なんと親切な感情!ようこそギリシャの神々!というわけですが。

だからといって急いで自己概念や考え方を探る必要もなく、
感情の訪問には大事な目的があるのだと信じることで、
掻き乱された心が沈静すれば、それがいちばん重要だと思っています。

強固な思い込みは自分で気付くほかはなく、
腑に落ちる言葉と自分が出合うまで、痛い感情と付き合いながら、
その日を待つぐらいの気持ちでいるのもよいかもしれません。

痛い感情の根っこにあるのは自己肯定できない領域が関係しているので、
たぶん根は深いのです。

痛い感情について認識している友と、ああでもこうでもと、
気楽に話題にしながら進んでゆくのもよいかなと思いだしている今日この頃です。
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見て、感じること。

2014年06月18日 | 螺旋状に上昇する意味
前々から訪ねてみたいと思っていたミヨタ町の縄文ミュージアムで、
「どちらが本物?…答えは出口にあります」と、
縄文土器が二つ並んでクイズになっていました。

遺跡から出土した本物と縄文様を忠実に再現したレプリカの鉢は、
二つを見比べている限り迷って、なかなか判断がつきませんが、
一つずつ、じーっと見つめていると、こっちが本物!と、直ぐ判断が付きました。
縄文土器について学識深き人であれば、見比べて直ぐに判断がつくのでしょうが、
知識不足の身としては、「感じてみる」ことに拠って判断するほかありません。

知識がないから楽しめるということもあるのです^^)

見比べると迷うけれど、一つをじーっと見ていると迷わないとは、
すべてに通じそうな話ですが、見比べることで判断が付くことも、もちろんあるので、
見比べるのは左脳の仕事で、一つをじっと見つめて感じるのは右脳の仕事、
思考することと感じることと、どちらを大事に進むのか。
時と場合によって、違ってくるということなのでしょう。

たて続けに二つの絵画展を見た後の縄文ミュージアムでした。
その翌日は近くの徒歩でゆける小さな美術館にも十数年ぶりに足を運びました。

このところの、“見て感じること”への行動は、思考に傾きがちだった心を、
よりよいバランスにもっていこうとする内なる要求からきているのだと解釈しています。

内なる要求に忠実に進んでみることで何が見えてくるか?楽しみなことです。
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人は、見たいものを見る・・・

2014年06月10日 | 螺旋状に上昇する意味
人は見たいものを見るということが、すとんと腑に落ちた朝でした。
人は見たいものを見る。私は見たいものを見る。

この言葉に出会う直前の気づきはこうでした。

ある人の日々の在りようを眺めながら、この人は美しいものばかり見ている。
まるで美しいものばかり引き寄せているみたいに…!
どうして?…思い巡らし、美しいものを見るのは、この人が美しいものを、
見たいと望んでいるから、見ているのだということにハタと思い至ったのです。

同時に。見ているものは、こころの営みが映し出された結果であることも了解したのでした。

言葉がすとんとハートに落ちた朝は、ちょうど旅に出発する朝でした。
“人は見たいものを見る…"とつぶやいてみるとき、その意識の背景には
私は見たいものを見る。私は○○が見たい…
意志の力がしっかり控えているのがわかります。

私は何を見たいのか?自問の旅が始まりました。
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質問を思いつく。その心は?

2014年06月05日 | 無意識の世界
誰かに何かを質問するときに、答えを求めているのは実は二次的なことで、
本心は、質問して応答をもらう関係性に安心を求めているのではないか。
自他の行動を見ながら、そんな印象をもつことがあります。

知識に関することなら自分で調べれば済むことを、あえて質問したり、
心の迷いなら他人に訊くより答えは自分が一番よく知っているはずなのに、
なぜか他者に相談したり、質問する方へ心が動くというのは、
自分の中の不安感/ストレス曲線に無自覚なときに起こりやすい現象ではあるでしょう。

気楽に質問して、気楽に答えられる…軽やかなコミュニケーションの範疇なら、
もちろん問題はないのですが、そうではない場合、
質問に答えることは案外エネルギーをつかうことですし
無意識で関係性に安心を求めたくなる相手なら尚のこと、
誠実に応答してくれる人でしょうから、二次的なことで、
その人の貴重な時間とエネルギーを奪っているのだとしたら、
申し訳ないことこの上ない感じもしますね。

質問したいと思うのは本当に答えを求めているからなのか?
それとも、質問して応答をもらう関係性に安心を求めているだけなのか?
後者であることにハッとして行動しなかったこともけっこうあったような気がします。

本音をオブラートで包んで二次的な質問を思い立つというのは、
今から思えば幸福曲線よりストレス曲線の色合いが濃い時期だったと思います。

質問を思い立つ心の動きについて、時にはちょっと立ち止まって考えてみるとよいかもしれません。
自分のストレス曲線の度合いを知る一つの目安になると思います。

質問して応答をもらうことで安心を得たい自分に気付くことができたなら、
そこから。今度こそ本音の質問を投げかけてみるのもよし、自問自答を始めるのもよし。。。ですね。
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ストレス曲線を、どう捉える?

2014年06月03日 | 和解と平和
ストレス曲線を、いかに幸福曲線へもってゆくか。
人生の課題は、これにつきるような気がします。

ストレス曲線を経験したときに、その現象を
ふって湧いた単発に起きた出来事として済ませないで、
少し前の出来事と今ここで体験していることの間に微妙な繋がりがあるのを見つけては、
なるほど~と腑に落ちることを、近頃よく経験しています。

たぶん。最初にストレス曲線の微妙な繋がりを見つけた瞬間があって、
ああ、現象は繋がっているのだなと意識するようになったから、
繋がりが見つけやすくなったということもあるのでしょう。

繋がりを意識することはストレス曲線には意味がある、有益な意味があるという具合に、
ストレス曲線という体験を肯定的に解釈する一つの方法だと考えています。

たとえば、相手の言葉にイラッとした体験が(ストレス曲線が)、
一つ前の出来事の、別の相手との対話に繋がっていることにハッとして、
一つ前の対話で無意識だった自分の発言や態度の意識化が成ることもあれば、
進行中だったストレス曲線が数か月前の、ほんの小さな自己不信に端を発していたことに
ハッとさせられることだってあるのです。

私の場合には現象の繋がりを見出すことが幸福曲線に繋がっていくわけですが、
自分なりのストレス曲線の肯定的な捉え方を意識しておくことは、とても大事です。

思うに。ストレス曲線という現象の肯定的な解釈が明確になるほどに、
それを生きるようになるほどに、その人の個性も輝きだすのかもしれません。
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