こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

風通しのよい環境で。

2013年03月21日 | 未整理
あの件に関しては、ゆるしていないんですよー。
当の相手に笑いながら言えるとしたら。。。
目詰まりが解消されて、風通しがよくなり、
こころの環境はずいぶんよくなることでしょう。

相手に伝えないまでも、もし、ゆるせない気持ちが在るのなら、
こころの中で正直に意識化できていることは、とても大事なことです。

意識化こそが感情の分化・分別の鍵になると思われるからです。

あなたのあのときの、あの態度はゆるしがたいけれど、
あなたの好ましい面も、わたしはたくさん経験しているということを、
あなたに対する明暗両面の感情体験を意識化できているときはじめて、
ほんものの友好感も育ってゆくと思うのです。

そこに在る感情を、あってなきがごとく振る舞ってばかりいると、
知らず知らず風通しがわるくなり、こころの環境は目詰まりを起こします。

あの件に関しては、ゆるしていなんですよ。
こころの中でそっと感情を認めてやるだけで、ふーっと力が抜ける感じです。
感情を認めた時点で実はゆるしているのかなあ。。。そんな気もしてきますが。

できるだけ目詰まりのない環境で、風通しよく暮らしたいものですね。
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一山越えたい。

2013年03月18日 | 未整理
シンプルな感情を表現することに、ものすごく躊躇することがあって、
我ながら、へんな思考と感情と行動のパターンに嵌っているなあと思います。

思ったことを思ったように口にすることに、ものすごく怖れを感ずるのは、
小学校の頃の、あの場面と同じだと〇十年さかのぼって未だ囚われているのだから困ったものです。

そのパターンのせいで、はた迷惑とか自分に強いダメージをもたらすようなことはありません。
だからこそ長い間、温存してきてしまったともいえますが、
そのパターンがときどき顔を出しては、感情の流れを滞らせてしまうのは惜しいと、
最近になって思うようになりました。

ここで、一山越えたいところです。

パターンの原型が小学生の頃より更にさかのぼり、
思ったことを思ったように口に出したばかりにイヤな思いをした体験にあって、
それが子供の世界の、大人の目で見れば微笑ましくさえある出来事であるのも承知していますが。。。

思ったことを思ったように素直に表現することに自分でOKを出したい。

言語化することが、ときに自分を変える後押しをしてくれることがあります。
言葉にした時点で一山越えていたということも、よくあります。

それともう一つ、大事なコトを思い出しましたが、
思ったことを素直に表現して幸福曲線を体験している自分を楽しく想像してみる。。。
こんな大事なコトを忘れていました。小さなことから練習するのに、うってつけのテーマかもしれません。

いざゆかん♪やってみましょう。
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生きているということは。。。

2013年03月16日 | 未整理
今ここにこうして在ること、ここまで生き延びてきたことは、
どんなにハチャメチャだったとしても、どんなにウツウツとしてきたとしても、
今、ここからの“こころの”可能性に開かれているという意味においてヨロコバシイと思うのです。

破壊的なハチャメチャだったり、暗雲の中のウツウツでも、
かろうじて生き延びてきた人生を、今ここで、誰でもその気になれば、
自分の手で選びなおし、作り直してゆくことができます。

ストレス曲線(不安~怒り~身体症状~鬱~錯乱)で塗りつぶされていた人生から、
幸福曲線(平安~友好感~健康感~幸福感~統御感)を知覚することがぐんと増えるような人生へ。

生きているということは、こころの可能性に開かれていることであると定義したいと思います。

そうやって新しい可能性を生き始めるとき、こころを見つめなおす作業の中で、
ハチャメチャやウツウツのかろうじて生き延びてきた日々が宝物だったことにも、ハタと気付きだすのですね。

こころの可能性を生きなくて何の意味があるだろう。
感情の意味を生きなくて何の意味があるだろうかと、私など本気で思っているのです。。。
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魂の後ろ盾があれば

2013年03月15日 | 未整理
こころは成育史によって育まれますが、たぶん魂に拠っても育まれます。

なんだかんだいっても私は魂を信じていて、またそうでなければ、
不安感に留まることをよしとするなど、とてもできないと思うのです。

魂の後ろ盾あっての、こころと身体なのだとつくづく思います。

魂は100パーセント、OKです。
愛そのものである魂は、いついかなるときも100%自己肯定、そして100%の他者肯定です。

こころは生きてきた年月の中で、ごちゃごちゃと不純物が纏わりついて、
悲喜こもごもの感情体験も記憶されて、こころの要素が魂の100%を侵食している。

不純物は必要なものでもあるけれど、不要なものも含まれているので、
不要なまま、その人の人生で後生大事に持ち続けているものが多ければ多いほど、
100%の完全は覆い尽くされて、魂の働きが見えにくくなっている。。。
と、これが個々の人間に起こっていることなのだと私は理解しています。

魂の後ろ盾を強固にするためには、こころの問題を人生のどこかで、
今ここで生きる私に合うように、要不要を選択しなおす作業が必要なのだと思います。

魂は100パーセント、OKである。
不安感に留まることができるのも魂があればこそ。これがいちばん書きたかったことです。
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複雑な、感情

2013年03月14日 | 未整理
後ろめたいという感じは、複雑な感情です。
好き嫌い、怖い怖くないという感情から、
いくつも枝分かれした末に、ようやく生まれてきている感じがします。

後ろめたさは、客観的な現実に照らしてみれば、
感じる必要などないのに感じてしまう感情でもあります。

たとえば偶々災難を免れたことに後ろめたさを感じるような感覚は、
外に発散させて解消させるには、あまりにデリケートなので、
悶々としたまま重たい時間を過ごすか、知らぬ間に抑圧してしまうことも多いかもしれません。

向き合う準備ができていなければ、心の安定のために抑圧が必要なこともありますが、
先延ばししても、いつか向き合う時がきます。一年前には無意識の抑圧と逃避だったのが、
今年は悶々と過ごすところまできたのだから小さな前進といえば言えます。

後ろめたさは簡単に解消できる感情ではないし、また解消すべきでもないのかもしれません。
後ろめたさを抱えながら、中途半端な自分に留まることをよしとする。
不安定に留まる覚悟をするとき、それが後ろめたさを感ずる人の唯一の道のように思われるのです。

その日、私よりもはるかに葛藤の大きい友人と語り合う機会があって、
後ろめたさを抱えながら中途半端な自分に留まることをよしとするというところで、
友人と私の出した答えは一致していました。

私などは苦しんでいるといえるほどのものでもないけれど、
後ろめたさという葛藤に苦しんでいる人は案外多いのではないか。

しかし、この葛藤について語られることはあまりないようなので書いておきたいと思ったのです。
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壮大にして、シンプルな物語

2013年03月13日 | 未整理
本を読み出す動機には、自分の中から湧いてくる必然によって本を手に取る場合と、
周囲の影響を受けて、おもしろそうと話題の本を読み出す場合の二通りありますが、
「五万年前-このとき人類の壮大な旅が始まった」という本は、私にとって典型的な後者の本でした。

最近になって思い立って、再読すべく本棚から取り出してきました。
今度は内なる要求にしたがっての読書ですが、
人類が生き延びてきた壮大な物語を読むことで、心の安定を得ているのです。

五万年前、アフリカを出発した150人が現生人類の祖先にあたり、
そこから世界に散らばって、今、私もこうしてここにいるわけですが、
現代は思考と感情と行動の回路が複雑になりすぎたゆえに、悩みが増えた。
そう思われる頭を休息させるのに、この物語はちょうどよいみたいです。

生き延びるというシンプルなコトが、どうしてこうもややこしくなるのかな、、?
あれを思い、これを思い。祖先が生き延びてきた物語に触れながら、
ちょっと離れた場所から世界を眺めてみる、その感覚にほっとしているようです。
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聴くこと。

2013年03月07日 | 未整理
年長の友人と四方山話に花を咲かせた後、電話を切ってから、
今日はもっと「傾聴」すべきだったと、少しばかり後悔することがあります。

会話の途中で、これこれしかじかがあったのだけど、
「あなたはどう思う?」とふいに訊かれて、つい咲いた花のノリで
「こう思う」と自分の見解をとうとうと述べてしまったりして。

相手の反応にハッとして、どう思っているのか、どんなことを考えているのか、
慌てて尋ね返したりしますが、もっと早く「聴く」ことに意識を切り替えていたら、
友人はもっと穏やかに気持ちよく最良の着地点に辿りつけただろうと思うわけです。

「どう思う?」と尋ねるときは、大抵、友人は心の中に答えをもっているのです。
答えはでているけれど、行動に移すべきかどうか迷っているときか、
複数の答えがあって、どれを選択するべきか迷っている段階のようです。

その友人にしても、最初から答えを出すために傾聴してほしいと思っていたわけでもなく、
気楽な会話の中で、ふと気になっていたことが浮かんできただけかもしれませんが、
気心の知れた相手にこそ、他愛ない井戸端会議で
「傾聴すること」をしなやかに、爽やかに活かしたいものです。

人と人の間で「聴くこと」に意識が向けられる場がもっと増えれば、
世界の平和の総量が増えるのではないかと、私など本気で思っていますが、
私を取り巻く様々な声、そして何より自分自身の心と身体と魂の声と。
「聴くこと」は、その大切さを意識するしないはともかく、
誰にとっても深くて身近か、大事な人生のテーマを含んでいると思うのです。
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大らかに、自己探求

2013年03月01日 | 未整理
私の場合、少々やり過ぎなくらい自己分析した時代があって、
今は以前に比べて、大らかに自己探求を楽しんでいると思います。

自己分析は大事ですが、今から思うと当時は、
知らず知らず評価的態度で自分に接して、分析内容が的確だとしても、
分析しては自己否定的な感情に落ち込むことも多かった。
そういう意味では分析作業をやり過ぎないことも大事・・・
でも、それがあって今があるのだから全て必要なプロセスだったわけですが。

近頃、人は(私は…)自分に為すことを他者にも為しているのではないか。。。
このことが以前より頻繁に意識化されて、専門用語でいえば投影ということですが、
自分が自分に為すことを知らず知らず他人にも為しているのではないか?
自分が自分にとる態度を知らず知らず他人にもとっているのではないか?

これを意識するようになってから、こわばった自己分析的態度から、
大らかな自己探求の態度に変化してきたように思います。

自分との関係、他人との関係、世界との関係を、あまり細かく見ないで、
少し離れたところから、大らかに眺めるのがよいかもしれません。

さて、今新たな関心が向いてきているのはストレスについて。
ストレスの感じ方、捉え方、向き合い方。
自分を幸せにするストレスとの向き合い方。
まず自分のストレスを正直に、正確に意識することから始めることですね。
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