威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

センター試験

2019年01月20日 | 「今、ここで」
センター試験


今回 古文の問題は予備校に言わすと簡単だったらしい。確かに文法や意味を辿ってゆくのは単語が簡単だっただけに難易度は低かったと思われる。しかし、短歌の意味は汲み取りにくいと感じた。


ほととぎす雲居のよそに音をぞ鳴く

ときて、

深き思ひのたぐいひなるらむ


つけ加えるこの歌の意味は、若者を初めとして、私にもわかりにくいものであった。

ほととぎすは、暗黒面、死後の世界と現世を行き来する鳥であり、やや暗いイメージを持つ鳥なので、あまり恋愛とは結びつけにくい文脈ではなかろうか。ここの設問に答えるには、選択肢の消去を滞りなく行うことになる。

さて、後2年もすると、国語の問題にも記述問題が加わるようである。どうやって採点するのか。若者達には頑張ってもらいたい。







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熊野本宮大社

2019年01月14日 | 第八章 魂と聖霊

伊勢は七度 熊野は三度 愛宕様には月参り


日本人は本当に信心深いと思う。お正月の初詣。赤ちゃんの初参り。など日本人の心性に基づく「神」なる形によって、現世利益から国家安寧まで様々な願い事を「神」なるものにお願いをしているようである。

祟りを鎮めるところから色んな神様が祭られることになるのだが、いつの間にか人間は、利己心の満足をかなえてくれるようにと願うようになる。人間は「利己的」な存在だ。


磐代(いはしろ)の 浜松が枝(え)を 引き結び 真幸(まさき)くあらばまた還(かへ)り見む(万・巻2-141)

(岩代の浜松の枝を今、引き結んで幸を祈るのだが、もし命があった時には再び帰ってこれを見よう)

陰謀、政略の暗闘の末、抹殺された、皇族の一人、有間皇子の歌とされているが、南紀の地は、温泉と信仰のスポットである。


今回、はじめて 熊野本宮に詣でた私は、また新しい日本の「美」と信仰に出会った気がしている。






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水に流す

2019年01月02日 | 第一章 意識と知覚


水に流す

これは、ヤクザの用語かも知れない。

ヤクザの伝統は実は日本人の深層心理に根ざした、思考・行動・感情のパターンの結晶といって過言ではないので、ヤクザ文化を探ることは日本人に迫ることになる。

水に流す

ゴミを川に捨てる傾向を我々は持つ。水は我々の穢れを浄化してくれる大切な自然である。禊ぎもそうだが、我々の生活から 水 は欠かせない。

さて、新年のブログから「水に流す」というフレーズをあげた。この行為は心理的に「合理化」の最たるもののように思われる。


さて、人間の真の本質は

・自分さえよければよい
・物質的に幸せになりたい
・楽して行きたい

ということに尽きるように思われる。今まで私はこういうことを一番醜いこととして、こういった行為の克服こそがみんなの幸せに繋がると確信していた。勿論そういった思いを葬り去って、例えばナチス万歳となるわけではないが、こういった人類の現実を大いに肯定することにしたわけだ。何が悪い?と。

あと 30年ぐらいは元気でいたと思う2019年。GAFA、プラットフォーマー、AI、少子化、中国対アメリカ、いやー人生は面白い。2025年2040年がどうなっているか。わくわくしております。






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あったことをなかったことに

2018年12月31日 | 第四章 愛とゆるし


2018年の最後。私の選ぶキーワードは

「あったことをなかったことにはできない」です。非常に嘲笑的な皮肉的なまた今の日本を象徴する言葉です。これは、「あったことをなかったことにする」風潮を悪いものとして捉えるから出てくる言葉です。
が、この「あったことをなかったことにする」風潮、これは日本人が選択した民族延命策のもっとも古くから存在する形であり、そして、重要で無意識下に平然と行われてきた慣習でもあります。特に仲間内ではこの慣習は最後の最後での決めごとであるようです。しかも、権力的上司が下のものに対して「分かったな」これはなかったことだぞ、と目を見つめて部下の両肩を手で掴みながら呟くわけです。身内の結束は固まるし、理屈で正当性をあれこれと論理で思考する必要もなくなるから、究極の必殺技のように作用します。
また、「じつはあったことをなかったことにされてしまったんです」、と暴露しようものなら、逆に裏切り者扱いをされてしまうわけです。困ったことです。
でも、未だに「裏口入学」や「仮想敵を作ってその敵に、憎しみ、不満を持つ層を取り込み、全体をヘイトへと駆り立てる」ナチスの戦術などが復活してまかり通る現実を見ると、暗澹たる気分を通り越してこういった現実を肯定しようと思うようになるのです。でも、それを選んでいるのも我々なのです。
さて、こういった現実を受け入れつつ、あたらしい希望を見つけようと思います。元号なんて古くさい象徴、面倒なものに固執する日本人。それも受け入れつつ、世界に羽ばたく人材を産み出しましょう。




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自分に気づくのはよいことだ

2018年12月25日 | 第七章 光と復活体


クリスマスのミサ


 24日は家族でXmasミサに与った。清々しい気持ちになった。何よりも神様は平和を私たちにお与えになる。ありがたいことではないだろうか。積極的に未来志向で平安を掴むべく日夜我々も努力を重ねて行きたいと思う。

 私は、怒りの感情処理が苦手である。何時までもある一つのことをそれに拘って、くよくよしたり、イライラしてみたりするわけだ。

「不安」と「恐怖」に対して私が陥るのは、

〔医〕つまらない考えや感情などが頭にこびりついて、抑えようとしても不可能な症状。
「強迫」である。漸く分かったのだが、私が感情処理が苦手なのは、実は苦手なのではなく、「強迫」が引き起こされているということに気づかされた。これは、名医である、M先生のカウンセリングを受けているときに認知した。非常に将来に対する光を見いだした瞬間であった。

 これは、私が社会的信用を得る一つの理由でもあるし、また、こうやって「強迫」で自分を防衛しているわけだから、実はよいことだと思う必要がある。


 こうして、また自分に対する理解が深まるのはいいことだと思っている。後何年生きられるか分からないが、こういう自己理解が進むと気分が楽になるからよいと思う。








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