威風堂々

晴れ晴れと、伸びやかに日々を過ごすために。
「心」と向き合うことで、日々の健康を大切にしましょう!

体にピタッとはりつかないヒートテックはないのか

2020年02月09日 | 第五章 和解と平和


厭世観で、俺に救いはあるのか。

寒くなると、昔は厚着していたが、今は「ヒートテック」に上下とも頼っている。だが、この商品は体にピタッと張りつくので帰宅すると直ぐに脱ぎたくなる。体が締め付けられているとリラックスした感じがしないのだ。

コンタクトレンズも同じで、目に異物感が感じられて帰宅と同時に外したくなる。(私はハードレンズのためよけいにそう感じる)事ほど左様に、余分なものを身につけていると窮屈である。リラックスとだらしなさ、ラフな恰好は相関関係にあるようだ。

人間は何かと忙しい世の中を生きていて、特に日本にいると時間通りの秩序だった整然としたスケヂュールと言うのが当たり前であり、遅刻やだらしなさは赦されない風土となっている。人間関係はぎすぎす(ノーフレンドリー)する傾向にあり何かと自分の利益だけを優先するような気がしている。費用対効果優先というやつだ。このトレンドは留まるところを知らない。

私は、かれこれ30年近く社会人として働いてきたが、一向に日本社会も世界の情勢もゆったりとした平和な感じにはなっていない。詰まるところ人間は拘束されていたり、偏狭なそして猥雑な自分達のグループさえ良ければ\(^o^)/という自分中心主義からは抜け出せないようである。もう私は諦めている。なので、自分の好きなことをやってゆこうと思っている。だが、宮仕えをしていると「我慢」をしないといけないことも多くて困る。最近はしみじみ、漱石がよく主人公に語らせていた『厭世観』というものが分かりつつある気がする。









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停滞感 その2

2020年01月26日 | 体験の解釈


父親が 介護老人保健施設へ入所して、父母の住んでいた家を片付ける段取りに入った。住民票移動やら、家の処理など面倒なことは様々にあり、これから春にかけて粛々と後始末を始めるわけだが、母は、特養、父は老健、バラバラの施設で預かってもらうことになる。
育てていただいたご恩返しをどうしてゆくかであるが、現状はこれで精一杯なのだ。

日々を明るく生き抜くことは結構難しい。だが、自分の趣味を見つけてそれに向けてあれこれと思考を巡らせていると明るい感情に変化してゆく。年齢が高くなると健康面でも煩わしい事が増えてくる。病院へ通院することも定期的になるし、薬も何種類か飲み続けるようになる。場合によっては手術の経験もしないといけなくなる。

趣味にしろ病気にしろ先立つものはお金である。あれば安心だ。だが、必要十分な額ではない。

今は何となく停滞の時期なのだと感じる。

山は自然と動くときがくるようだ。神の摂理かもしれない。今はじっとしておく時期のような気がする。自分で「えい」と動き出す時期かどうかは、直感で決める。

精神的には落ち着いている時期で、自分では事態をゆっくり眺めている感じでスムーズである。






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停滞感

2020年01月21日 | 「今、ここで」



今年の目標は自分を大切にすることを優先して考える、である。その為には、面倒なことは極力避ける必要がある。だが、雑事は様々に降りかかる。一度きりの人生なので自分がやりたいようにすることが一番いいと思うのだが、果たしてそうなるだろうか。


最近、精神状態はどんよりしていて晴れていない。

無駄な思考を止める

自分がコントロールのきかないことまで不安感を抱かない

このようにして様々な雑事をやり過ごすのが最良の方法だと思う。

停滞感。今の私は低いところで停滞している。これを打破するのは難しい。後、20年ぐらいを楽しみながら生きるからには、先ずは健康を維持したい。もう5年になるが、禁煙が出来た。後はダイエットだが、これがままならない。お腹が空いたら食べてしまうのだ。





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絶望感 ー ええーい。やっちゃえ!

2020年01月11日 | 第九章 愛

絶望感

ある友人が就いている仕事は、きれいな仕事で、容易くやり過ごそうと思えば過ごせる仕事です。だから、そんなに高給ではありません。しかし、利益が上がればいいという金銭で仕事の成果が計れるものでもないので、結構ストレスが溜まる職種です。

私も経験がありますが、仕事上の困難に直面して、絶望感を味わうことが何度かありました。事象解決の糸口が見つからない場合がそうです。自分に対して抱くときもありますし、当事者である他人や取り巻く人々に対しても。

結局、大いなる不安感から絶望はやって来るので、そこを乗り越えるには、今までの経験値と蓄えてきた生き延びる知恵を総動員するしかありません。自分を危機から脱却させる知恵は遠望すると「やり方が汚い」と見える場合もあるでしょう。でも、それも個性といってしまえばそれで澄む話です。

それと、絶えず「愛」って何だろうと自問する事が大変重要な気がしております。訓練して身につけたいですし、勉強して理解して行きたいと思います。

知恵を振り絞りましょう。他者からどう見えても構いません。数日前のテレビニュースを見て思っちゃいました('-'*)






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混乱させるもの

2020年01月03日 | 第五章 和解と平和
自己混乱感


私は結構、直ぐに自己混乱に陥る。原因はまだ見ぬ「不安」。最悪の展開を予想してしまうからである。

・父が入院できたものの、直ぐに短期入所施設に入ってそこで、次の老人保健施設を待つという時の決断

・仕事上における様々な決断の時

だが、大正13年生まれで戦争体験もある父が、「大丈夫、なんとかなる」と入所させた施設を出るときにいった言葉は、私を落ち着かせはするのだ。父の人生に思いを馳せると、今の自分が背負っている重荷などはたいしたものではないと感じられるのである。

しかし、だ。

もはや、なりたかった自分の職業と違う事への抵抗感は少なくなった、というかもうないといえる。今の自分の給料、退職までの収入がはっきりしている中で、出来る贅沢と出来ない贅沢だって明確なのだ。前提条件としての「健康」があっての話だし、突然の災害がないとして。


現在の自分を混乱に陥れているもの、の姿が朧気ながらは見えているのだが、解決策が見えてこない。ずっと不安感が消えないのが「自己混乱感」のすべてである。カオスや混乱の源は「不安」。これは摂理だと思う。自分が制御出来ない出来事のことをあれこれ悩んでも仕方がなくて、時間の無駄である。理解は出来ていても、それがズムーズに実行できないのは何故だろうか。


だが、もうはやそれを実行して、無駄な思考は止める。サラリと生きてゆかん雲の如く。





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