こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

喜怒哀楽の原型

2012年04月30日 | 未整理
小学生の頃、9歳上の兄が帰省したときの話です。
兄がどこかに電話して(黒色のダイヤル式電話の時代です)、
受話器を私の耳にあてようとしますが、
兄がまた何かたくらんでいると思って、逃げ回りました。
そうとうがんばりましたが、だいじょうぶだからと言われて、
内心ちっともだいじょうぶとは思わなかったけれど、私は怖々受話器を耳に当てます。

“コンニチハ、わたしはリカよ”と受話器の向こうから聞えてきました。
思いがけない声に安堵したけれど、半泣きの私は素直に喜べません。
安堵感より、無理強いされたイヤな感じの方が上回っていたからです。

子供時代は、歳の離れた兄姉の影響をストレートに受けます。
兄の感情の起伏に翻弄されて、おちおちしていられないところがありました。
私の成育史の感情体験-その原型には、兄姉の影がチラチラして、
最初に結ぶ人間関係として、よくもわるくも影響が大きいのです。

大人になれば大人同士、子供の頃の主従関係は存在しませんが、
兄妹との様々な場面、喜怒哀楽が私の傾向に少なからず影響を残しているということ、
それを意識化しておくことは、現在の人間関係にとってプラスになると感じます。

平素の行いのせいで空振りに終わった兄のサプライズも、私に大事な原型を残しました。
兄の困ったような苦笑いが、懐かしく思い出されます^^)
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呼気から、一日が始まる

2012年04月27日 | 未整理
この頃の習慣ですが、起床して、まずスワイショウから一日を始めることにしています。
以前は手を回す動作でしたが、今年に入ってから前後に振ることにして、
前に手を出すときに息を吐き、息といっしょに淀みを吐き出す気持ちを意識します。

夢のせいか寝覚めがわるく、トーンダウンしているようなときでも、
億劫でも始めると、手を振っているうちになんとなく活気がでてきます。
手を振った後に立禅をすると尚よく、すっかり陰気は後退して、
爽やかに一日の準備にとりかかることができるのですね。

重労働の翌日に、かなりの筋肉痛と疲労感で目覚めても、
スワイショウをすると、やる気がでてくるのがふしぎです。

母の胎内からでた新生児は息を吐くことから人生が始まりますが、それを考えると、
吐いて一日を始めるというのは、理にかなっているのかもしれません。
幼子は外界を吸収しながら成長して大人に成りますが、
吸収するためには、よく吐けることが、とても大事なことのようです。

上手に出して、人生のしめくくりは何を吸い込んでサヨナラするのか?
息はもちろん力でも何でもいろいろと出し切って歩む人生の方が、たぶん最後も上手くいくような気がします。
上手に吐き出す習慣を今から意識して身に付けるのはよいことかもしれません。
身心と魂の滋養になるものを吸収するためにも、人生の最後のためにも、
余分なもの不要なものは吐き出して、爽やかに一日を始めたいものです。
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困った現象に立ち向かう…知識は力

2012年04月21日 | 未整理
対人関係で、思い通りにいかないとすぐ怒り出す人。
意のままにならないと拗ねてしまう人。
大人になっても、ときには老人と呼ばれる年齢になっても、
子供っぽい反応で周囲を混乱させるケースがあります。

いろいろなコミュ二ティーやグループの中で、
気に入らないと駄々っ子の振る舞いをするをする人に対して、
一人で立ち向かうのは、相当の覚悟と勇気と精神力が要ります。
立ち向かうといっても、もちろん相手と対決して改めさせようという話ではありません。

駄々っ子の迷惑な現象は現象として冷静に受け止めて、
その人と敵対することなく、グループの混乱を最小限に留めるべく
自分の思考と感情と行動を整える努力をいとわないこと。
これが立ち向かうことの中味ですが、グループの中に一人でも
自分と同じ観点で現象を理解する仲間がいると心強いものです。

私が生き甲斐の心理学の知識を広める価値は、ここにもあります。
勉強会を続ける中で知識が深まるほどに、暮らしの現場で、
以前だったらストレスの元でしかなかった困惑する人(現象)に対して、
その人が自らだした答えに添って、統合した行動がとれるようになる。
コミュニティやグループにとって、これほどの財産はないないと思うのです。

身近に生き甲斐の心理学の勉強仲間をつくることは、
コミュニティのためになるばかりか、この一滴は世界平和にも通ずる一滴だと信じています。

コミュ二ティやグループにたいてい一人や二人の駄々っ子がいるというのも、
周囲に何か大事なことを気付かせようとしているのかなと、そんな気もしてきます。。。
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不満感の、傾向と対策…

2012年04月18日 | 未整理
いちいち意識しなくても、人は折々のストレスを適当に処理しながら生きています。
処理能力が高い方が人生は滑らかに進んでいくし、
能力が低いと出来事にいちいちつっかかるので、
人生に不満が多くなり、自分だけでなく周りの人生も重苦しくなります。

自分がどんなストレスに弱いか。何に不満を感じやすいか。
意識して自分の傾向を知れば、残る人生のために対策が立てられます。
いちばん最近、イラついたことはなんだったでしょう?

相手の態度が気に入らない、イラッとするのは、生きていれば日常茶飯事ですが、
ストレスとも思わず適当に処理しているのが殆どでしょう。
偶には、カチンときた感情が尾を引いて一日中不愉快なんてこともありますが、
そんなとき相手の立場や気持ちを推測して理屈で自分を納得させようとしても、
一度生まれた感情は収まるものではなく、抑えこもうとするのも心身のためによくありません。

気に入らないとか不満な気持ちを放置していると、恨みに発展する可能性があります。
日常の人間関係で尾を引くような不満は“プチ恨み”と心得て、
意識して今後の人生のために傾向と対策、処理の方法を考えておきたいものです。

処理の方法は、防衛機制という心の仕組みを利用する以外ないようですが、
そのうち<抑制><抑圧>は論外として、その他のどの防衛機制を使うのがよいか。
今回は<置き換え>で成功。あれこれ考えていると、なんだか楽しくなって来ます。
いろいろ試している内にどんどん処理能力がついて、人生はもっとよくなることでしょう。

(生き甲斐の心理学・第1章・愛の領域、第8章・14の防衛機制を参照)
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幸いな老人になるために

2012年04月16日 | 未整理
テレビの誕生日占いで、“〇〇日生まれは老後を幸せに送れる”と耳にして、
すぐに知人の二人の顔が思い浮かびました。浮かべながら、なるほどと思いました。
何を幸せというかは人によって違いますが、私からみて〇〇日生まれの二人は、
自分と人を大切に日々生き甲斐を感じ、幸せな老年期を送っています。
占いのことを告げれば“確かに…”と、本人もきっと頷いてくれると思います。

二人とも山あり谷ありの人生を送ってきました。
それぞれ人生の修羅場も経験してきた(本人の口から聞いたことがあります)二人が、
今、老年期を幸せだと言えるとたら、どのように人生を送ってきたのだろう?
老年期を幸せに送ることのできている二人の共通点は何だろう?
誕生日はさておき、二人の心の世界に興味が湧いてきますが、
両者に共通している要素は恨みを持ち越さない感情生活、これが核心にあると思います。

A子さんは物心両面で恵まれた少女時代を過ごしますが、結婚を境に感情生活は一転。
とりわけ中年期の後半には人間関係や経済的な面でも厳しい時期を過ごしました。
しかし老年に入りつつある今、恨みを残す感情生活とは無縁の心の世界をつくりあげています。
一方、A子さんと違ってストレスの多い、悩み多き子供時代を過ごした知人は、
生育史に根を持つ感情的な葛藤も深く大きなものがあったと想像できますが、
この方の場合も老年期を迎えた今、感情的な囚われから見事に解放されています。

恨みを知らないという人は多分いないと思います。
二人の知人とは対照的に、恨みを残して老年期に突入したケースを見るにつけ、
その人が暗い感情とどう向き合ってきたか、とりわけ恨みとどう付き合ってきたか。
長い人生の中で、恨みをどのように処理してきたか。
それによって老年期の感情生活が決まるといっても過言ではないようです。

生まれた日に関係なく、誰でも心がけと努力次第で幸せな老年期を目指すことはできそうです。
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新しい、愛の原型

2012年04月12日 | 未整理
つくづく、お付き合いするのが難しい人です。
何がその人の怒りに触れるか分からないので、
いつも恐々として腫れ物に触るように接しなければなりません。
うっかり失言して、刃物のように鋭く反撃されたり、
言動を素直に受け取ってもらえず曲解されることもしばしばです。

そのような人は、そうせざるを得ない成育史上の理由がありますが、
本人にも、その理由はよくわかっていません。
離れて暮らせる関係ならば、距離を保ちつつ、
刺激しないように淡々とお付き合いするのが無難かもしれません。
誠意や真心が通じ難いので、生半可の覚悟ではこちらが深手を負います。

でも、もし身近にそのような人がいて、他に援助できる人は誰もいなくて、
わたしが関わる立場におかれていて、なんとかしたいと思うのならば、
その人には新しい“愛の原型”が必要であることを覚えておいてほしいと思います。

遠く離れて、たまにしか会わない人であっても、その人には、
そうせざるを得ない成育史上の事情があるのだと理解するだけでも
少し余裕をもって、穏やかな眼差しで接することができるかもしれません。
距離を保つ淡い関係の中でも、“その人の新しい愛の原型”を意識すると、
たとえ一瞬にしても、以前にはなかった暖かなものが流れてくるからふしぎです。

怒りや八つ当たり、猜疑心をまともに受けると堪りませんが、そのような人は、
わたしに向けているように見えても、実は世間と自分自身に向けて爆発しているのです。
それを知るだけでも、ずいぶん気持ちが楽になるでしょう。

愛の原型の「再教育を担当する人は余程出来た人物である事が要求されます」…そうです。
まったくその通りだと思いますが、心の仕組みを学び自分自身を訓練しながら、
身近な人の新しい愛の原型に関わってゆくことは可能です。相当の覚悟が必要ですが。。。

(生き甲斐の心理学・第一章“愛の領域”を参考にしています)
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自分を伝える訓練

2012年04月11日 | 未整理
人の苦労もしらないで批難するなんてヒドイ。
わたしの努力をまったく無視して、あんなこと言うなんて!…など、
わたしのことをちっとも解ってくれないと腹を立てるのだとしたら、
ちょっと考えてみたいのは、相手にわたしの気持ちを伝えてきたかどうか、
正直にわたしの大変な気持ちや苦労を伝えてきただろうか、ということです。

批難されたり無視されて、怒りだけでなく、ふて腐れたり虚無的に反応する場合も同じです。

ストレスを感じているところを格好つけて平気な顔したり、
無理をして不安を隠して楽しんでいるふりをしたことがなかったかどうか。
つまり素直に自己開示してきたかどうか、腹を立てる前に考える必要があります。

伝えているけれど相手に伝わらないのであれば、それは別の問題ですが、
とりあえず、わたしは気持ちを伝えているか、正直に表現してきたかどうか意識してみると、
相手が解らないのも無理はない…ということも案外多いのではないかと思います。

正直に伝えていなかった自分を意識できれば、そこから道が開けます。
自分の問題として意識できれば、相手を責める必要はなくなるし、
もし伝えることが下手な自分と思えば、なぜそうなったか考えるきっかけになります。
これまで考えてもみなかった大事なことに気付くかもしれません。

自分を正直に伝えようとすることは、
愛の訓練へ向けて、一歩踏み出すことなのだと思います。
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痛いところを突かれると…

2012年04月10日 | 未整理
“人は本当のことを言われると怒るよね”と友人が呟くのを聞いて、
なるほど、言われてみればそうかもしれないと思ったことがありました。
友人は自分の体験からそう結論しましたが、私よりずっと、
人を大事にすること、愛することをを実践していたからこそ、
体験的に人間の感情というものを、よく理解していたのだと思います。

今の私なら、その通り深層心理学でもそう言っていますと応じるところですが、
怒りは人を理解する上で、数多の感情の中でも大変重要な感情だと思っています。

こんなことぐらいで、こんなに腹が立つなんて!??
自分の怒りに手を焼く情況は本当にイヤなものです。
あまりの大人気なさに嫌気がさして、自己嫌悪に発展することもありますが、
なぜ怒っているか、自分が腹を立てる深層心理が解れば少し状況は変わってきます。

人は本当のことを言われると怒る。痛いところを突かれると腹が立つ。
自分でなんとなく認めたくない場所を突かれると、心がざわつく。
とくに、自分としては精一杯、試行錯誤で苦労してやっているのに、
それをちっとも汲んでくれないで批判するなんて…と思うとき、怒りは激しくなります。

他人からの批判や自分の失敗、挫折に対する感情的な反応は人それぞれですが、
そこに深い意味があること、感情的な反応には大事な示唆があることが解れば、
激しい怒りや虚無感に落ちてゆくことだけは避けられそうです。

まずは自分の反応を観察してみるところから始めるとよいかもしれません。
他人から批判されたときや失敗したとき、どんな感情が湧いてくるか。
自分のことが解れば過剰反応する人にも、以前にはなかった共感的な理解が生まれるかもしれません。
自分の感情的な反応を大事しようとすることが、人を大事にすることにも繋がるようです。

(生き甲斐の心理学・第一章 “愛の領域”を参考にしています)
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満たされたい、切実な願い

2012年04月07日 | 未整理
その人とメールのやりとりを始めると、最初の印象は、
大変丁寧な返信に、なんて誠実に返してくれる人だろうと感激するかもしれません。
こちらの文章を区切っては、短い応答の言葉が打ち込まれていて、
メールで傾聴してもらった気持ちになると思います。

そんなふうに始まった傾聴し合うメールのやり取りが、
だんだん苦痛になるのは、相手からのメールがどんどん長くなり、
こちらは相手の話を聴くだけというメールが増えてくる頃です。

友人関係のような対等な人間関係では、その人の中の、
<絶え間なく注視と賞賛を希求する自己顕示的態度>の要素は、
はじまりは心地よくても付き合ってゆくうちに、友人の方が、
一方的に悩みの聞き役を強いられている気がしてきたり、
“なんだか自慢話ばかり聞かされている”気持ちになるようです。

自己顕示的な態度の背景に“愛の孤独感”があるというのは、本当だと思いますが、
誰かに注目され賞賛されることで一時的に気持ちがよくなっても、
それは一時的な慰めになるだけで、愛の孤独が癒されるわけではありません。

人生を振り返り、自分が愛の孤独におかれたときを思い出すと、
相手の満たされたい切実な願いはよく解りますが、こちらにも限度があります。
その人に自分の孤独感と本気で向き合う気持ちがあれば、道は開けますが、
それがないときには、友はやるせない思いで、その人から遠ざかるほかないのです。
向き合うことは勇気が要りますが、それをしない限り果てしない堂々巡りは続きます。。。

(生き甲斐の心理学・第一章“愛の領域”を参考にしています)
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願望が内向すると…

2012年04月05日 | 未整理
こうなりたい、こうありたい熱烈な願望は、
押し付けがましさとか、人を巻き込む形で現れなくても、
内向するという形で、その人に居座るケースもあります。
言動や行動に表れないので周囲に気づかれることもなく、
知らないうちに理想と現実の混濁が進んで、
その人が本来進むべき幸福な人生から、
生き甲斐ある人生からどんどん逸れてしまう可能性もあります。

欧米で生まれた心理学に照らして自己分析しながら、
日本人である自分の思考と感情と行動が、生育史以前に
自分の個性に大きく関わっていることに気付くことがありますが、
理想と現実の混濁が内向するケースは、私の傾向であると同時に、
日本人に生まれやすい傾向でもあると思います。

ふり返れば現実離れした空想を修正する機会もないまま
うつうつと充足感がもてずに過ごした時期は、けっこう長かったような気がします。
見当はずれの理想にエネルギーを消耗するほどもったいことはありませんが、
現実離れした理想に生気を奪われて、人生の充足が得られないケースは案外多いと感じます。

そんなとき否定も肯定もされずに心の内をありのままに語れる場があれば、私がそうだったように、
温存してきた現実離れした理想を、これはへんだとはっとすることがあるかもしれません。
人は誰かに語り自分の耳で聴くことによっても、はっと気付くことがあるのです。

自分の理想はエネルギーを向けるにふさわしい理想かどうか?
意識、無意識に関わらず、理想の領域のチェックは案外難しいものです。
ねむの木のロン子
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