こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

悩みの、様相

2016年10月25日 | 自己実現
大体において、こころが乱れているとき、
混乱の渦中にいる本人の自覚の程度は、
実際の半分にも及ばないものかもしれません。
せいぜいが不安を自覚する程度で、
大混乱期が過ぎて振り返る余裕ができた頃になって、漸く、
相当、乱れていた、錯乱だったなァ、、と、
思っていた以上に深刻だったことに思い至ります。

以前に比べれば、最近は大混乱に上りつめる手前で、
不安感に上手く対処できていると思いますが。

少し前にこんなことがありました。
“ああ、すべてが間違っていたぁ、、、学びも何もかも!”
これまでの人生のすべてが間違っていた心境に突如なりまして。
でも人生を全否定している割には、どこかスカッとしている、
晴々と否定しているみたいな…妙な流れです。

友人に聴いてもらうことにしました。
“もう、すべてが間違っていたのォ、何もかも!”
電話の向こうで否定も肯定もせずに受け留めてくれました。
言葉と裏腹の明るい調子が伝わっていたと思いますが、
そこを理解してくれる人と判っていて、私は話したのだと思います。

“そんなぁ、人生が間違っていたなんて、そんなことはないわよ”みたいに。
自己否定の言葉に慌てるような人であれば話そうとは思わなかったでしょう。

聴いてもらうことで、自分だけの自問自答よりも更にくっきりと、
全否定から全肯定の逆転が成ったわけですね。
〔13〕
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中心が定まると

2016年10月23日 | 自己実現
体調の見通し、他諸々を考えて、
半年前から予定していた東京行きをキャンセルすることにして。
音楽会の3列目のチケットをふいにするのは残念ですが、
山頂登山を途中で引き返す勇気で諦めることにします。

音楽会に一緒に行くことにしていた人に連絡を入れて、
航空券を払い戻すために空港に出向く頃には、
車を運転しながら、出来事の意味を
こころ楽しく前向きに考え始めていましたから、
残念な気持ちより安堵感の方が大きかったのだと思います。
迷ったけれど、おさまるべきところにおさまった安堵感です。

その日は空港の隣にある里の駅のレジの人と、
航空会社の担当者と空港ショップの店員さんと、
それぞれと交わした短い言葉のやり取りが、
いつもより気持ちよく進んだ気がしました。
ありふれた日常のやり取りに、いつもと違う温かみを感じたのは、
おそらく安堵感や晴れやかな気分が影響した、幸いな投影だったのでしょう。

思考と感情が調和して自分の中心が定まることで、
他者との関係-心理的接触―も、それに相応しい形で現われてくるとしたら、
このようなことを意識して知覚するヨロコビは、
正直、音楽会へ行くことに勝るとも劣らないヨロコビかもしれません。

他者や自然と心が触れ合う知覚のヨロコビは、その気になれば、
いつでも、どこにいても経験できるヨロコビですね。
〔12〕
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察する、察しない

2016年10月20日 | 自己実現
察するのは、ほどほどがよいと思います。
さらっと察して、軽快に流れていければ、それが一番。
察しないのは、困り者。。。という見方がありますが、
察するということは、いつでも、
私というフィルターを通しているのだから、
そのことを忘れて、察したことについて、
ああでも、こうでもと延々とお喋りするとしたら、
時間の無駄であるし、それは美しくないことだと、
そこを忘れたら、察しない者より、もっと困り者…かもしれないな。

その人がどのように感じているかは私が察すればよいことで、
他人に同意を求めて、ああでもこうでもは必要ない。
察するのは、さらっと。軽快にいきたいもの。
〔11〕
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目がハート

2016年10月18日 | 自己実現
ステキな人!こんな人はこれまで見たことない。。。
海外の宣教地から帰国されたばかりのシスターは、
修道者としての召命を従順に、きっちり生き抜きつつ、
行動の端々には豪快で型破りなところも見えます。
いつもお会いしてお話しする機会を心待ちしていましたが、
ある時“目がハートになってはいけないよね、、”
ふと過度の期待に走りそうになっている自分を、
制するような気持ちになったのを覚えています。

一直線に慕っている人びとを身近に見て違和感を覚えていたのと、
期待される側のシスターの心情もなんとなく推察されたからだと思います。

過度の理想化の戒めとして、シスターの一件は印象深く記憶していますが、
頼りになりそうな人に寄り添いたい感情は、ひょっとすると
日本人特有の「甘えの構造」も関係しているかもしれません。
私が引っ越してから程なく、シスターは再び海外に赴かれましたが、
日本に居るより、のびのびと本領発揮で活躍されているのではないかと思います。

過度の理想化は意識すれば自分で気付きやすい領域かもしれません。
ハートの目で、他者の大切な人生を煩わせたくないですね。
〔10〕
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ときには、暗い側面のことも

2016年10月15日 | 自己実現
搾取性とか他者の尊厳、権利をないがしろにするような、
人間の暗い側面について考え出すと、
どこぞの大国がパッと思い浮かぶのが常で、
個人の体験として考えようとすると、
なんとなく憂うつになって思考が止まってしまいます。

今朝は、また思考が止まってるなぁと思いつつ、
しばし留まっていると、体の方もしっかり硬くなってることに気づきます。

人の世の光と影。。。

大国のそれと違って、私がそれらしきものを体験したとすれば、
相手は故意ではなく無意識にそうなってしまう傾向があるケースで、
その人は、なぜか他人を“結果的に”利用してしまうことが多いので、
結果、友人がどんどん遠ざかってゆくことになります。
利用された方はモヤモヤと不快感ばかりが残ります。

しかし。意識の上では友好的な関係を望んでいるにも関わらず、
なぜか無意識の内にそうなって、結果的に他者を利用することになってしまう。
それで友人が離れていってしまうのだとしたら、
その人はその人なりの悲しみを感じているかもしれない。
そこのところをチラッと心に留め置くことは大事かなと、思います。

その人に偶々出先で声をかけらようものなら、
ギョッとして身が縮む思いでしたが、
もしもこの先、ばったり会うようなことがあれば、
硬直せずに、一期一会の友好感でサラッと挨拶できればいいなと思います。
〔9〕
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私が、私に気付くとき

2016年10月12日 | 自己実現
肯定的な意味では、のびのび天真爛漫に、
ちょっと否定的な意味をこめれば傍若無人に、
そんな傾向が成長とともに影を潜め、
感謝と礼儀をわきまえる大人になったとして。
影を潜めたのが、のびのびやり過ぎて叩かれたからと、
叩かれないためというそれだけの理由で、
礼儀をわきまえるようになったとすれば、
叩かない相手なら傍若無人が顔を出すことにもなりかねず、
そのような人を想像するとゾッとしますが、それはそれとして。

叩かれたことをきっかけに、あんな態度で恥かしかったぁ、、と
我が身の態度を恥じ入る感情が芽生えたとしたら、
表面的でない、本物の変化のきっかけになるかもしれません。
変化したその人にとって、相手の出方や評価に関係なく、
自分自身に対して私はどうありたいかという感覚、
そこから生まれた変化は本物であると思います。

さてさて。薪割りのことがチラチラ頭を過ぎりだす季節、
居間の薪ストーブの薪割りを始めて7,8年になりますが、
それまでの我関せずの態度は、どうしてあんなふうにしていられたのか!?と、
自分で呆れますが、或る日を境にガラッと心境が変化して、
やってもらって当たり前のことは一つもなかった。
この気付きがなければどうなっていたことでしょう。思うとゾッとします。
〔8〕
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目覚めるのか、はたまた眠ったまま終るのか。

2016年10月09日 | 自己実現
環境の激変で人が変わったようになる。
それまでの環境では眠っていた能力が、
きっかけさえあれば突如、目覚めることがある。
DNAがオンになったりオフになったり、
そして外的な環境の変化によるだけだでなく、
心の在り方によっても眠っていたDNAが目覚める可能性があるとは、
私にとって、うれしく希望のもてる仮説ですが、
できるならこの身を呈して証明してみたいものです。
もちろん、よき変化を起こすオン、オフにおいて。

環境が激変して、よい資質が劇的に発現した例を身近に知っています。
変化する前の一時期に、酷い八つ当たりをもろに被り、
重く憂うつな日々を過ごしたことも今となっては懐かしい思い出です。

その人が、そうあるのは、どうしてなんだろう。
私が、こうあるのは、どうしてなんだろう。
しかし。そもそも表にでているのはほんの一部で、
人は内在する可能性のごく一部を生きているにすぎないらしい。
他人はともかくとしても自分の可能性は自分でなんとか出来るかもしれない。
ここのところは、しっかり押さえて生きてゆきたいものですね。
〔7〕
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ほどほどの満足感

2016年10月06日 | 自己実現
悩みの海に落ち込んでさまよっているような、
愛の孤独の海原を、ぽつんと一人漂よっているようなとき…
そんなとき、すーっと静かに隣に坐して語りだす人がいて、
その人も深き悩みを抱えているらしいことが察せられると、
自分の悩みは棚上げにして聴く役割に徹します。

こんなきっかけから愛の孤独という共通の悩みによって
引寄せられるように友情が始まったとしても、
それは一時的なもので、長くは続きません。
一時的に愛の孤独の海原に漂っているのと、
長く長く航海を続けているのでは渇望の深さが違いました。
もっと、もっと。もっと聴いてとばかりに、 
だんだん要求がエスカレートしてくるように感じられると、
一時的な漂流者の方はこれ以上は無理と、堪えられなくなります。

渇望と、思考と感情と行動の傾向に自分で気付くかどうか。
その辺が分かれ道のように思われますが、
ほどほどの注視と賞賛で満足できる関係があれば、
長続きもすれば一番ホッとできる関係ですね。
ほどほどの満足感に満足できれば、それが人生の日々の
地味で確実な滋味…と思います^^)
〔6〕
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こうありたい、理想

2016年10月04日 | 自己実現
こうありたい理想が高まる一つの典型が、
恋の病におちるときかもしれません。
対象が何にせよ、自分はこうありたい理想に燃える、
恋する姿は魅力的なもの。。。
振り返れば“こうありたい理想”に燃えて生きている人に、
自分は何度となく引寄せられてきたなあと思います。

最初は応援したい、力になりたいという思いから関わり始めて、
時間が経つほどに少々無理している自分の本音に気づきだして、
ある時、その人の理想の物語に巻き込まれていたことにハッとするわけです。
あたかも~のように(as if person)理想から外れないことが、
その人にとって最も大事なことなんだなあと、そのあたりも見えてきて。
巻き込まれているときには見えなかった相手のことが、
自分の気持ちに気付きだすと、見えてくるようになります。

その人が思い込んでいる理想の世界を闇雲に応援するより、
人生を応援できる方がずっとよいに決まっています。
それには相手のことが見えていないとできないし、
相手が見えるためには自分のことが見えていないと叶いません。
自分が向かう先がきちんと見えているかどうか。
まずは自分の人生をしっかり生きること。
他人の物語に巻き込まれて、疲れ果てているヒマはないのでした。
〔5〕
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いのなかのかわず、、

2016年10月01日 | 自己実現
井の中の蛙大海を知らず。。。
小学校の低学年の頃、学校の帰り道、数人の友だちに向かって
身近な大人から教わった知識や自分の小さな体験のことを、
誰もそんなこと知らないでしょう?とばかりに、
得意になって話して、引かれたこと。。。
「自己の重要性、ユニークさに関する誇大感」にどんぴしゃの体験で、
友だちに引かれた空気が記憶に残っていますが、
空気を察することで幼稚な行動が影を潜めたとすれば、
子ども心に現実吟味力がきちんと働いたということです。

他者の「自己の重要性、ユニークさに関する誇大感」に接するとき、
ときどき顔を出す程度なら微笑んでやり過ごすこともできますが、
それが常態で、性格になっているような場合にはきびしいものがありますね。
そうしなければいられない相手の心情を察しつつ、自分の限界も意識しつつ、
お付き合いの距離を見極めてゆくというところでしょうか。

大人の現実吟味力。。。発揮したいものですね。

〔4〕

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