こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

一日の始まり

2020年08月05日 | 自己実現
朝の瞑想から一日が始まります。

遠方の友人と毎朝、同じ時刻に瞑想をしようということになって、4月の新月から朝の日課になりました。6時半からと定めた時刻は起床時刻によって変動しますが、今のところ双方一日も欠かすことなく続いています。もっとも瞑想と呼ぶのは私の表現で、友人は祈りと呼ぶのがしっくりくるそうです。時折メールで近況を交わしますが、以前より言葉で伝え合うことは少なくなっています。

語るほど、こんがらがってくる。言葉で伝えきれない領域がある。表現は違っても目指すところは同じだということ。おもしろいことに言葉で伝えることに限界を感じるほど、少ない機会の中で大事に言葉を選び丁寧に発信しよう、そんな傾向が出てきたようです。

ふと思いました。友人と始めた新しい日課が、エリクソンの人格形成論で言われるところのネガティヴな感情傾向を拭き取り解消してくれる働きがあるのではないかと。解消までいかなくても和らげることは間違いありません。いつか体が消滅したときに解消となればよいので、この世界で生きる生身のうちは否定感を肯定感へ向かう中間点neutralへ持ち込めれば大成功でしょうね。

身体をつかって、誰かと毎日、意味を感ずる何かを継続する。ねば、べきの義務感など関係ない境地で続けながら、最終ラウンドの自我統合性と知恵のプロセスに入ってきているということでしょうか。そうありたいものだと思います。
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2020/06/22

2020年06月22日 | Weblog

新月の晩に鹿が、、
胡瓜の若葉を食べられました。ここまで入って来る?!

ツワブキは跡形もなく、、


去年食べ尽くされたので、今年は棒を立てて。
今のところ接近の気配なしですが、、



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感じて、手放して

2020年06月20日 | 自己実現
執着を手放せば楽になる、手放せば幸せになる、、、よく聞くフレーズです。当たり前ですが執着の中身は人それぞれで、それは物質的なものかもしれないし思い出のように物質的でないものに執着していることもあります。一人の中にも様々なレベル様々な形態の執着が存在しているというところでしょう。

手放すべき何か。手放すべき執着から目をそらすために別の何かに置き換えられることもありますね。思考とか自己概念の中にこそ手放すべき執着があるのに、それが投影される形で物質的断捨離に走るようなことも起こっているように思います。

執着とは手放すことを怖れている状態と表現することもできますが、だからこそ、これが執着だ!など安易に決めつけない方がよいと感じます。他者に対しては言わずもがな自分自身にも慎重であるべきなのは、手放すことの怖れはとてもで繊細な領域で時間をかけて丁寧に付き合ってやる必要があると感じるからなのです。

怖れの感情が厄介なのは直接的・身体的な危害と区別がつかないところかもしれません。

頭の中の、思考の怖れなのだから直接危害がおよぶわけではない。そこをしっかり理解したなら怖れを感じている自分と少しの間一緒にいてやることもできそうです。怖れを感じてやることを怖れないで、ひとときを共に過ごしてみるのです。そのように過ごしているうちに怖れを手放していくことができるかもしれないし、できないとしても「感じてみる」プロセスは、それをしなかった場合より、どんなに小さくても確実な一歩として心身に記憶されることでしょう。

言葉に逃げ込む前に「感じてみる」ことを大事にしてくださいね。深緑の木々や小鳥たちが耳を澄ませば自然界が、言葉で済ませてしまう現代人に向かって囁いている気がしますね。
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4-2
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そう思えば、慌てることもなく…

2020年06月11日 | 自己実現
いつか終わる。この感情もいつか終わる、、、そう思えば慌てる必要もなく、ゆったり構えて通り過ぎるのを待てばよい。慌てず騒がず感情を見つめる態度は、とりもなおさず感情を受け容れているということで年齢を重ねる中で出てくる態度といえるかもしれません。

以前の私であれば、この感情を感じないために即、行動していたような気がします。受容を飛び越して即行動、、とりあえず行動してその感情を麻痺させるみたいな。齢を重ねて判ってきたことは、感情が終わるのは行動したからでなく単に時間が経過したから。

ゆったり構えて感情を見つめて感じて受容するというプロセスの中で、時が来て感情が去ってゆく。その感情は一人で過ぎ越すことに意味があるので、感じないように逃げ回っている限りその感情の対局にも到達は叶わないということが、ようやく身に染みてきたということかもしれません。

愛の孤独感・・・孤独感を一人で過ぎ越すと愛が顕れてくる。愛と孤独は表裏一体ですからね。そして独りで過ぎ越した暁に友と語り合えたらいいですね。ときに逃避や依存的な関わり方があったとしても、本流は独り過ぎ越してから友と語り合うのがいいなと思います。

この感情がどうして来たのか。今ここでなぜ来たのか。たぶん感情を経験することそれ自体に一番の意味があるのではないか。そんな気がします。
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あ・愛の孤独感

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2020/05/29

2020年05月29日 | Weblog

鹿に気付かれたくない!菜園コーナー


本日は晴天 満開のハナミズキ


実家の母の庭&二人旅の記念写真のコラージュ 30年ぐらい前のちょうど今頃の季節に撮った植物は、左から時計回りにナツツバキ、ウツギ、ギガンチューム、クレマチス、アカンサス、ツツジ…
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賢者も頷いてくれる・・・

2020年05月27日 | 自己実現
そこは触れてほしくな、、、という心の領域に触れられて、もちろん相手は善意で触れてくるのでその瞬間こちらの心が凍り付いたことなど知る由もありません。善意の言葉にはまず「ありがとう」が礼儀だろうと頭を過りますが、それを言ったらさすがにギャップが大きく嘘を言うことになるので、そこは出来るだけ平静を装って双方にダメージがない会話を意識して和やかにやり過ごすのです。

触れてほしくない場所のことにまったく無意識であったなら(抑圧されていたなら)、躊躇なく感謝の言葉を口にして無意識のまま会話が進んで後からなんとなくモヤモヤして、、、という展開になることでしょう。無意識の方が会話しているとき葛藤がないぶん楽ですが、それでは真に自分が生きていることにならないし内面の闇を深めてしまうことになると感じます。

葛藤はあっても意識的な方がよいと思うのです。

なぜ、そこに触れてほしくないかといえば自己受容が成っていないからで、触れてほしくない場所に理想(自己概念)と現実のギャップが存在しているからと理由は明快です。いつかギャップが埋まるのか、生涯、埋まらないままか、埋まった方がよいのか、埋まらなくてよいのか今のわたしにはわかりません。しかしギャップが存在していること、今、自分ではわからないことを含めて、その状況の受容はできているようです。

どうしてあの人はそこに触れてくるのだろう?など考え出すのは止めにして相手からは善意だけ受け取って、時間をかけて自分の問題に取り組めばよいだけの話ですからね。

葛藤を感じながら葛藤があるという現実をそのまま受けとめて(受容して)あなたはOK、わたしもOKの自他肯定で行動(言動)を選択しながら進んでいくのがいいなと思います。それにはまず日常の小さなことから意識して、練習することでしょう。

小さな葛藤に事欠かない日常生活は、意識的に生きる最高の訓練の場所といえますね。

こんなふうに綴っていると触れられたくない領域をもっていることそれ自体なにやら宝物のような気がしてきますが、葛藤を感じながら生きていく、葛藤の中で意識して選択して進んでいくのが正解というところでしょうか。
賢者がその通りと頷いてくれている気がしますね。
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生きているのは、誰?

2020年05月24日 | 自己実現
わたしたちは平素、意識の大部分は無意識に置かれたまま何の不都合も感ずることなく生きています。そして、いざ人生途上で様々な問題にぶつかって悩むとき、無意識だった思考と感情が意識化されることで、それに導かれて解決に至るということもしばしば経験するところだと思います。

問題にぶつかって悩む状況というのは、悩むことを通して意識の拡大が意図された状況に置かれるということではないか?そんな気がしてならないのですがどうでしょう。すべての出来事には意味がある、ですね。

生きるとは無意識の意識化のプロセスそのもので、人生とは意識の拡大を目指し歩み続ける旅なのだと、そんなふうに解釈するようになって「この状況にも大きな意味がある」と、日々のストレス曲線を意識した時の対処の仕方も自ずと変化してきたように思います。

無意識のままなされる行動(言動)とは「わたしが生きている」ことになるだろうか?無意識的に為された選択で進むことは「わたしが生きている」ことになるだろうか?無意識的な思考と感情のまま、あなたと向き合うことは「わたしとあなたが真に向き合う」ことになるだろうか?

このごろとみに無意識の意識化は人生のプロセスそのものであると、しみじみ思います。

なにも問題が起こるのを待っていることもありません。平素から無意識の意識化を楽しみながら意識の拡大を図ることもできるのではないでしょうか。わたしの場合は感情の取り扱いがポイントになると感じますし、毎朝の瞑想も欠かせないと感じています。

無意識の意識化を目指すことは、魂を生きることに限りなく近づいてゆくことに他ならないと思うのです。

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こころの、壁紙の色

2020年04月19日 | 自己実現
自分の中の否定感に気づくことに注意深くありたいと思います。対象に向けられる否定感ではなく、今ここでの心の状態がどうか。心のトーン、心の壁紙の色調が暗くなっていない?そんな感じです。

否定感のうしろには大抵、不安感が隠れていますから、暗い壁紙を感じ取ったら、そこを起点に不安感を探求してみると、なるほどねと貴重な気付きが起こるものです。わたしの場合は、とりわけ自己否定感の陰に不安感ありというのが、はっきり判かります。

この感じ、、注意信号だわ。感覚的な自分の心の否定感のスケールをもっておくのは大事ですね。

探求してみると、案外、繰り返しのパターンに嵌っていたりして、またここかと、おなじみの成育史の近親者との関係性のパターンが再浮上してきたりしますが、辟易せずに人間の性(さが)というか、本質であるところの不安感と上手に付き合ってゆきたいものです。

そこはかとない、微妙な壁紙の感覚に気付いていられるのも地上を生きていればこそですもの。不安感、自己否定感さえも、感情体験を十二分に経験してから、魂の離脱はそれからがいいなあと。。。

シンプルな願いですけど、それが叶ったなら、人類の意識の進化に多少なりとも寄与できたと思える気がしますね。
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なんでそうなの?と、思うとき

2020年04月16日 | 自己実現
わたしたちは相手の気持ちを推し量り想像しながら生活しています。そうでない人も目につきますが、ふつうはそうです。それがあるからお互い気持ちよく付き合えるし信頼関係を築くこともできる。わたしも長い間、意識するともなくごく自然に相手の気持ちを想像することをやってきました。

でもあるとき。場合によっては想像したい気持ちを強力に追い払った方がよいことがあると気が付きました。相手の気持ちに意識が向かうのを全力で阻止するのがよい場合があることにハッとしたのです。

あれ、なんでそうなの?相手の思いがけない行動に接して、なぜ?…?マークばかりが頭を駆け巡ることがありますが、驚きと混乱感がない交ぜのストレス曲線でいえば怒りの手前、怒りに差し掛かるか否かのあたりにいる感じですが、それまでのわたしは、どうしてそうなの?反射的に相手の気持ちを想像する方へ意識が向かっていました。今はそのような傾向は全力で阻止した方がよいと思っていますが、なぜかというと相手を想像するより前にやらなければならないことがあると知っているからです。相手を推し量ることで自分の感情を宥めてばかりいると、やらなければならないことが永久になされないまま置き去りにされてしまう。そのことにハッと思い至ったからなのです。

誰もが同じというわけもなく同じ状況で否定的な感情がぜんぜん出てこない人もいるのに、わたしがそうであるのは、わたしの方に原因の一端があるからで、強い感情であればあるほど、相手を推察するより自分自身の感情に意識を向けて、じっくり見つめてやることの方がずっと重要ではないか。そう思ったのです。

常々日々の感情を観察する中で、怒りの感情の後ろには悲しみの感情が控えていると、そのような感想を持っていました。わたしの中には悲しみの原型と呼べるものがあって、子ども時代の出来事の記憶は残っていなくても、感情は悲しみの原型として心の奥底に保管されていて、何かのきっかけで、その感情が表面化することがあるということだと思うのです。

相手はきっかけにすぎず、相手の行為に刺激されて現れてきた感情に気づいてやることが何より重要で、長い間、埋もれたまま気付かれなかった感情を今ここで自分でそっと受け容れてやればよい。それだけのことだと思うのです。それだけのことですが、しっかり身についた習性を変えるには、相手の方に意識が向いていることにハッとしたら止め止め!と頭を振って、それを振り払うような構えが必要になってくるのですね。

つい相手の気持ちの方に意識が向かう習性を修正するべく意識的に取り組んでいるところですが、相手でなく自分の方の意識の問題であるとは、なんと気楽なことでしょう。ほんとうに!
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2020/04/09

2020年04月09日 | Weblog



月夜のパトロールから朝帰り、おやすみニャンモナイト
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