こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

2021/06/14

2021年06月14日 | Weblog



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いったん受容

2021年06月09日 | 自己実現
ありのままの~♪ありのままの自分っていうのが、いったいどのような状態を指すのか。わかっているようでわかっていなかった、ここがはっきりしてくれば、あとは意識して知覚して体得へ向かうだけ…でしょう。

ありのままの自分というのは、いったん受容している、その状態を言うのではないかと。ありのままの自分であるとき最強であるとか、ありのままの自分であるときにエネルギーが得られるとか、そうであるなら、今ここの、現状を「いったん受容する」感覚を自然なあり様として体得できれば、それこそ悠々自適というものではないですか。

いったん受容したあとどうなるのか。魂が個性を通って表れるのだとすれば、ありのままの自分であるのがその前提にあるのでしょうか。こうやっている今ここでも絶えず小さな受容の必要がやってきているのを感じながら、人生の、日々の幸福曲線を優位にさせるのは「いったん受容する」この体得に委ねられているような気がしてきました。。。(自己受容)

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「考える」前に…

2021年06月08日 | 自己実現
以前考えていた"ああなればいいな…”を裏返すと、そうならなければ嫌だとか、怖いなとか、それは避けたいいう気持ちがあって、むしろ避けたいことからくる、ああなればいいなぁだった気がします。

そのようなときは不安感(嫌だ、怖い‥)の抑圧+知性化、合理化、置き換えetcという展開になっていたのでしょう。

イヤだとか怖いとか正直な感情を意識化したうえで、そのような感情を一旦受容して、そこではじめて「未来を考える」に最適なこころの環境が得られるように思います。(意識と知覚0601)

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そうなればいいって、本当?

2021年06月07日 | 自己実現
ああなったらいいな、きっと幸せになれる、きっと今よりよくなる、、、なんとなく思い描いてきたことがいろいろあって、それら大小さまざまなことが一つもそうなっていない。ああもこうも、何一つそうはなっていないのに不幸を感じることもなく残念とも思わないのはどういうわけでしょう。

考えられるのは、それが本当に欲しているものではなかったから。自分が見えていなかったから本心からの願望がわからなかったということでしょう。

はっきりしているのは今ここで未来を思い描くとしたら、本当に自分の欲しているもの必要とするものから思い描けるということで、何が違うって当時に比べれば今の方がずっと幸福曲線の度合いは増えていますからね。
 
ストレス曲線の中で考えることって、しばしば徒労?徒労が多かったかもしれないなと、思います。(五感と体感)

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受容する

2021年06月06日 | 自己実現
受容のプロセスをしっかり踏んでから、さてどのように乗り越えようか。落ち着いて考えられる心の環境が整ったところではじめて、意識的に防衛機制を使って乗り越えることもできるのでしょう。

ストレス曲線の中で考えることはできない。できればストレス曲線から幸福曲線への途上、真ん中あたりで思考できれば、それがベストかもしれないと思います。受容は真ん中あたりの状態であると、この感覚を掴んでおくとよいのかもしれません。

とりあえず当面の目標は「受容」です。言葉以前の感覚にフォーカスして、そのあとに、どんな言葉が生まれてくるのか。どんな思考が現れてくるのか。

受容する…「受容」について感じて考えて、思い巡らしていると、受容とは即ち愛の状態のことではないかと思えてきます…どうでしょう?(愛とゆるし0529)

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痛み 2

2021年06月05日 | 自己実現
私は体の痛みも自己表現の一部というか一つの形であると感じます。自己表現とは自分が自分であるという感覚を感じられること。だから体の痛みをしっかり感じている、痛みと共にいる感覚がなければ定義から外れることになります。

そうであるなら心の痛みも同じではない?心の痛みも同じこと自己表現の一つの形だと思ったら、また一つ気が軽くなるのを覚えます。

大抵の場合、痛みに対しては感じる感覚を無視して即、合理化、知性化、置き換え等々防衛機制のオンパレードで乗り切ってきた感があるし、乗り切ろうとするのが習い性になっていたのでは??

とりあえず痛みと共にいること。ただ感覚の中で痛みを感じてみる。それができれば、それこそが「受容する」ということでしょう。

痛み止めの服用とか、誰かに話を聞いてもらうとか、受容を飛び越えて「感覚を無視して」対処するのは考え物です。ともかく一旦受容する。このプロセスを踏まないと抑圧の深みにハマる、、、そういうことが度々起こって常態化するということもありそうです。(受容0528)

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幸福感

2021年06月04日 | 自己実現
幸福の条件には他者が、成育史の身近な他者の思考が関わっているものであるとすれば、空気のように吸収して身に付けてきた思考が、私の幸福の条件と言われるものの大部分を占めているのだとしたら、やはり幸福の条件より日々の幸福感にしっかり焦点を合わせて、心身の声を聴くことに集中することが何より大事な気がします。

それには、とにもかくにも知覚を正直、素直に意識にあげるということ。疎かにしてきた知覚の意識化を、この地味で小さなことを淡々と続けていく。これだけですね。(意識と知覚0527)

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痛み

2021年06月03日 | 自己実現
目覚めと共に知覚する、からだの痛み
痛みも自己表現の一つ、、?
今朝はこんな考えが浮かんで、なんだか気が軽くなって。
からだも表現の一部を担っている、そうでしたそうでした。

こころと体と魂から成るわたし、そうでしたそうでしたね。(体験の解釈)

テイカカズラ

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ちょっと整理して

2021年06月02日 | 自己実現
感情生活について、ちょっと整理
①幸福の条件を満たして、感情は幸福感曲線(幸福感)へ
②幸福の条件が満たされず、感情はストレス曲線(鬱々感)へ
③幸福の条件を満たしても、感情はストレス曲線(鬱々感)へ
④幸福の条件が満たされなくても、感情は幸福曲線(幸福感)へ

私の日々は①②③④の思考と感情と行動が無意識的に展開して、これらが刻々入れ替わりながら日常が進んでいくとすれば、とりあえず無意識的に進行しても構わないのは①でしょうか。①は達成感(実はこの言葉あまり好きではないが)と親和性がありそう。

②の扱い方、心に何が起こっているのか自覚のあるなしが、こころの自由度に関わってくるので、感情の抑圧に注意。

③は自分とじっくり向き合って自分の思う幸福の条件を見直す必要がありそう。いろいろな要素が混じり合って複雑になっているかもしれないので、時間をかけて焦らず見つめなおす。自問自答や瞑想で。

④の場合、本人は幸福曲線で周囲をハラハラさせるケースもありそう。ポイントは「現実吟味力」とはいえ①も傍迷惑だったりハラハラさせることがあるかもしれない。とりあえず自分はどうか?自分中心に思い巡らす。

様々なレベルで絶えず環境の影響を受けながら止まることなく、思考と感情と行動の世界を生きる私たち。。。(思考と感情と行動)


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旅に出たい

2021年06月01日 | 自己実現
旅に出たい!ああ、旅をしたい。。。この感情は(情動は?)は、子供の頃のそれと同じです。私の場合ですが、未知の世界への憧れが情動という純粋形で残っていたのは、たぶん小6ぐらいまで。子供時代を過ぎると旅に出るのはストレス曲線の中で幸福の条件を満たすようなことになっていたのだから、へんですね。

子供心の憧れ、希求が大人の階段を上る中で忘れたり変形させてしまったものが、多かれ少なかれ誰の心の奥底にも眠っているような気がしますが、どうでしょう。

あの日の子供心を思い出して旅の憧れにとっぷり浸かり、幸福曲線の中で旅がしたいもの。この際、距離は関係なし。どんな近場でもあの頃の好奇心をもって、その時が来たらワクワクと出かけましょう。(思考と感情と行動)

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