こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

声に出して読む

2019年09月16日 | 自己実現
声に出して読む、「音読」することを続けています。
なんとなくの決まりごとは一日一章ということだけで、
時間を決めていないので、ときどき忘れることもあって。
そういうときは翌日、二章読むことになります。
集中できず内容が頭に入ってこないことが間々ありますが、
はっとして戻ったら気にしないで、そのまま読み進めます。
(ときには、はじめから読み直すこともありますけど)

発声することに大きな意味があると思っています。
気が散って内容が頭に入ってこないことがあっても、
身体は聞いていると思っていて、それが重要と感じます。
時にはストーリーと関係なく目に入ったセンテンスやワードに
ハッとさせられることがあって、ああそういうことかと
現実に結びついた気付きに繋がることも偶にあります。

このような感じで音読は続いていますが、
日課と呼びたくないし習慣化は避けたい感じがしています。
できれば毎回、新鮮でありたいというところでしょうか。
音読を始めたころ、声の調子、息遣いが毎回違うことに驚きましたが、
本当はいつも同じ感覚、統御感で臨める方がよいのか?
そこのところはわかりませんが、その内、見えてくることがあるかもしれません。

あらゆる情報に思考があっちを飛びこっちを飛びしながら、
矢のように一日は過ぎ行くと感じる日々にあって、
音読するひとときが、何か私の心棒を調整してくれている、
無意識のリセットになっているなかな?そんな気もしています。

長い年月の中、受け継がれてきた書物でないと
音読の継続には耐えられないように思うので、
一日一回、万葉集や古典を声に出して、というのもよいですね。
私たちには音読したい書物がたくさんあって、しあわせです。

身心のリセット、健やかな感情生活ために、遠くを探さなくても、
案外、身近なところにタカラモノはありそうです♪

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意識して知覚する、人生の楽しみ

2019年09月02日 | 自己実現
湧いてくる感情の真意を探るときに体感を意識すること。
長年、体感はどうか?と自問することを大事にしてきたところから、
近頃は体感を意識することが殆どなくて、
ある意味、体感を重要視しなくなりました。
「あえて意識しないようにしている」というのが近いかもしれませんが、
意識するときしないとき、人にはそれぞれの季節があって、
現在の私にとって、体感を意識しない(気にしない)ことが、
日々の暮らしにおける、私の幸福曲線の秘訣であるわけです。

数年前から始まった身体の痛みが目覚めた直後がmaxなので、
目覚めて直ぐは体感に意識的にならざるを得ません。
痛みを意識しつつ呼吸に意識を向けたり、
直前に見た夢や浮かんでくるあれこれを思ったりしながら、
起床の準備に時間をかけたところで、そろりと起き出し一日が始まります。
動き出してからも意識すれば痛みの感覚はありますが、
あえて意識しない、体感は気にしないで活動するわけです。
ですから活動に没頭すること、行動する集中力は以前より増しているかもしれません。

考えてみれば目覚めて直後、呼吸を意識して身体を整えるひと時は、
この世界に私は生きている、生身を生きている自分を確認する
貴重なひと時のようにも思われます。
朝が来る度にまだ生きている部分を実感するということは、
限りのない部分(部分という言い方は違う気もしますが)の方へ
意識が少しずつ開かれてゆくことのようにも感じています。

加齢によって関節痛とか、あちこち不都合が出てくるのも、
私の意識が大切な場所に、いちばん大切な場所に、
開かれてゆくための贈り物なのかも、、、なんて思ったり。。。
限りある体とは別の、晴れやかで広やかな感覚の世界、
もしかしたらこれが魂に通ずる感覚かもしれないと思える軽やかさ、
地上にいればこその感覚世界を十二分に意識して知覚することは、
若い頃には望めなかった、これからの人生の楽しみといえるのかもしれません。

体感に代わって新たに意識して知覚するのは魂の感覚!というわけです。
歳を取るのもわるくないね、そんなことを思いながら今日も生きております。

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