自問自答。。。
人はとりたてて意識しなくても、いつでも何かしら
こころの内で対話しているものでしょう。
対話の要は「自問」より「自答」の方であるなと、
ふとそんなことを思いました。
意図せずに思考の流れはやってきます。
あれこれが期せずして浮かんできます。
浮かんでくるものに、どのように接するのか。
意識的であったり無意識であったり、
折々の状況で接し方はいろいろです。
浮かんでくる中身によっても接し方は違います。
心に生まれ来る自問に、どう答えてゆくのか。
*
「自答」が大事なんだと思ったときに、
「口に入るものは人を汚さない。口から出るものこそ人を汚す」
なぜか、この一節が浮かんできました。
理屈はわかりませんが、私に選択の余地があるのが、
「自答」と「口から出るもの」であるのかなと、
なんとなく繋がりをイメージしたのですが。
自答のあり様が人をつくり、
口から出るもののあり様が人をつくる。。。と思えなくもないですね。
聖書の言葉は不思議で、日々折々の思考の流れに、
唐突に現れることが結構あります。
いちいち繋がりを考えて分析したりしませんが、
意外と身体に染み透っているのかもしれないなあと。。。
地上の教会と出合う前から交わしてきた対話、
あの頃の「自問」を思い出しながら、あらためていま、ここで、
聖書を開いてみようか。そんな思考が流れてきています。
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人はとりたてて意識しなくても、いつでも何かしら
こころの内で対話しているものでしょう。
対話の要は「自問」より「自答」の方であるなと、
ふとそんなことを思いました。
意図せずに思考の流れはやってきます。
あれこれが期せずして浮かんできます。
浮かんでくるものに、どのように接するのか。
意識的であったり無意識であったり、
折々の状況で接し方はいろいろです。
浮かんでくる中身によっても接し方は違います。
心に生まれ来る自問に、どう答えてゆくのか。
*
「自答」が大事なんだと思ったときに、
「口に入るものは人を汚さない。口から出るものこそ人を汚す」
なぜか、この一節が浮かんできました。
理屈はわかりませんが、私に選択の余地があるのが、
「自答」と「口から出るもの」であるのかなと、
なんとなく繋がりをイメージしたのですが。
自答のあり様が人をつくり、
口から出るもののあり様が人をつくる。。。と思えなくもないですね。
聖書の言葉は不思議で、日々折々の思考の流れに、
唐突に現れることが結構あります。
いちいち繋がりを考えて分析したりしませんが、
意外と身体に染み透っているのかもしれないなあと。。。
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あの頃の「自問」を思い出しながら、あらためていま、ここで、
聖書を開いてみようか。そんな思考が流れてきています。
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