こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

人生が、夢の如しなら

2016年01月29日 | 
先に逝った身内と共に過ごした日々、
少女の頃、青年の頃、共に迷い共に悩み、
悲喜こもごもに大騒ぎした頃が、まるで夢のよう。
時折、生き残り同士、思い出話に花を咲かせるときも、
夢のように感じるねぇ、、と、同じ感想をもって締めくり終ります。

このごろ、その夢のように感ずる時期が短くなってきた気がして、
ついこの間のことも、ずいぶん経った出来事のように感じたりすることもあって、
人生は夢の如しであるな、という思いが強くなっているようです。

あちらの世界に行ってしまった人は夢の中で通り過ぎて行った人、
まだ、こちらの世界に居ても通り過ぎて行った人も数知れず、無数にいて、
そんな中で、通り過ぎずにいる人は一緒に夢を見ている人ということになって、
そのような人は私にとって生涯の友といえそうです。

姉の育児日誌は記されてから三十年以上経ちますが、
食に関心を寄せていたいたこともあって、一人娘の記録だけでなく、
姪によると折々の家族の食事日誌にもなっていたようです。
その中で実家の家族との外食では、妹である私が、
サーロインステーキを注文している記録があったと姪から聞いて、
本当に意外で、驚きましたが、ステーキを注文する自分というのは、
今はもちろん過去のセルフイメージから完全に抜け落ちていました。

21、2の頃はそうだったのか…。
そういう頃もあった。そういう私も居たとは、
なんだか知らなかった自分を知ったような、
忘れていた自分を思い出したようでもあり、ちょっと愉快です。

忘れている夢は数知れですが、忘れたままのものもあれば、
何かのきっかけで思い出す夢もあるでしょう。
何れにしても人生が夢であるならば、よい夢をみたいものだと思います。

よい夢を見るために。
日常の小さなことに、瞬間、瞬間の自由意志にかかっているということ。
瞬間、瞬間の選択が夢の内容を決めてゆくことになるとしたら、
この一瞬を。よい夢をみるための秘訣を生きぬきたいものですね!            

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瞬間、瞬間の~

2016年01月11日 | 
一瞬の愛、瞬間瞬間の愛。。。昨年末から
一瞬の~という言葉がよく浮かんでくるのですが、
愛というものが、これまで自分が思ってきたより、
もっと軽やかで、もっと瞬間的なものらしいことを感じだして、
日毎その思いは強くなり確信になってきています。

あたたかなものに触れるとき、
誰かのちょっとした心遣い、何気ない素振りに、
じーんときたり、ピンと張り詰めていた緊張が解れる(ほぐれる)瞬間、
あたたかなものを発信しているその人は気付いてないのです。
善いことを成している意識などはなく、その瞬間は、
たぶん、その人の「私」は消えて、同時に「あなた」も消えていて、
その瞬間は大いなる魂の内に溶け合っているとも言えるかもしれません。

素晴らしい音楽や絵画に触れて思わず息を呑む瞬間。
たぶんそれも同じ、愛と呼べるものです。
朝な夕なの息を呑む空の色、小鳥の囀りにハッとしたときも同じです。

瞬間、瞬間が勝負ではないかなと、思うのです。
さりげない瞬間に気付けるかどうか。気付いているかどうか。。。
気付いて気付いて、気付いた端からどんどん手放してゆく。

気付いて手放して、感じ入っては手放して。
それは瞬間瞬間に心を調えて、整えてゆくことだと感じます。

もしかしたら、“ああ、散らかったテーブル、、”とか、
“ああ、なんだか私、暗いトーンになっている、、”とか、
否定感を伴ってハッとした瞬間さえも、気付いた端から、
軽やかに手放してゆければ、一瞬にして愛に変身するのではないかな。

その瞬間に気付いて、手放して、
瞬間、瞬間に心を調えてゆく。まだまだ考え中ですが、
2016年、年の初めに感じている、私の愛です。
さて、あなたの感ずる愛は?いつか機会があったらきかせくださいね。

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初夢について。感じたこと

2016年01月02日 | 和解と平和
なかなかよい夢をみました。夢の中で私は、
公共施設のトイレの不備を(新年早々スミマセン。生理現象の影響かと)改善すべく
身近な人に話したり、行動しているのですが、
昨年末に「昔話の深層―ユング心理学とグリム童話」をパラパラ捲っていたこともあり、
直ぐに思い当たるところがありまして、
“問題を解決すべく話して行動していた”ところがポイントかとピンときました。

話している相手には、あのAちゃんもいましたが、Aちゃんは、
生まれてはじめて苦手を意識した(5歳~小6まで続いた、、)因縁の友です。
時間が経って細かな内容はどんどん薄れていますが、
夢の中で、問題を解決すべく意見を述べ、しっかり自分の気持ちを伝えていたところに、
アニムス(女性の内なる男性性)の統合とか父性原理の概念がチラチラ頭を過ぎっていきます。

高校のクラスメートだったSさんが登場してきたことに新鮮な驚きを覚えました。
親しいグループではなかったし、卒業以来○十年会う機会もなく消息も知りませんが、
一度だけSさんが示してくれた行動、さりげない思いやりに触れて感じ入った記憶があって、
今あらためて思い起こすと、しーんとあたたかく、慈愛に触れた瞬間だったとも思え、
かけがいのない原型の一つだったと思えてくるのです。
Sさんは記憶にもないでしょうが、本人に気付かれない無意識の行動の中に、
元型的なものが顔を出してくるようなことは、しばしばあるのかもしれません。

新しい大河ドラマの宣伝や関連の番組に接する機会が増えて、
夢にSさんが登場してきたことが察せられますが、
Sさんの出身地と人となりを思い出すにつけ、
大河ドラマの主人公の末裔であるという想像が、益々楽しくなります。

過去は変えられないが未来は云々という言葉が今ひとつピンとこなかった私ですが、
過去の出来事に対する見方、出来事に対する感受性が変化したり記憶が蘇ることで、
体験の解釈が変わるということは過去が変わるのと同じことだともいえます。
そういう意味では「過去は変わります」と声を大にして言いたいのですが。
私の初夢の結論です('-^*)ok

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