こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

大切な人を思うこと

2017年02月18日 | 自己実現
大切な人。。。
同じ屋根の下にいるかもしれないし、
車を2,30分走らせれば会える距離に住んでいたり、
年に一度も会えなくともときどきメールが行き交ったり、
折々に電話で語り合う、遠く離れた場所の友人や知人、
この世を旅立ってしまった人も、すべて含めて大切な存在。

私の人生において内的成長をもたらしたり、きっかけを与えてくれた人々。

大切な人のことを、あたたかく、やわらかく、微笑をもって思うこと、
積極的に思うことの価値を再発見しているところなのですが、
先ずはあたたかく、やわらかなものを受けとっているところから始めます。
言ってしまえば“愛”を、感じることから始めます。
それは“愛されている”とは少しニュアンスが違いますが、
ただあたたかなものを受けとっているのを感じていると、
その内に、個人を超えた大きな愛に包まれるのを覚えます。
そうなれば、それが全てで、今の私の大切な人を思うことです。

私が大きな愛に包まれるときは、あなたも大きな愛に包まれていると想像して、
私があなたの愛を感じているときは即ち、
あなたに愛が届いていることなのだと信じているのです。

大切な人を思うことは祈りに通ずると、感じています。
〔22〕-2
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がまんがならない!

2017年02月10日 | 自己実現
どうにもがまんがならないっ!
もう少し大人表現するなら、
どうしてもゆずれない!…そんな感情が湧いてくる。

そんな感情を持つことに、
罪悪感のようなものがチラッと頭の中を掠めだしたとき、
ここで罪悪感に陥るのは、いつものパターンを繰り返すことではないか?
そんな自問がおりてきました。

罪悪感に囚われて補償的な行動に出るパターンです。

それでとりあえず、罪悪感は放置して、
がまんならない感情に留まっていると、
全く同じような体験があったっけと、
四半世紀前の感情体験がよみがえりました。
がまんならない感情の強度が同質であること以外、
当時と今の出来事には何の共通も関連もないのですが。

当時、どうしてあのような感情の流れがあったのか?
理由は器が小さかったから。その一言に尽きるのです。
あれがガマンならなかったなんてね、、、今では、
懐かしいような愛おしくさえあるような思い出に変わっています。

今、がまんならない感情の理由も多分同じだなと、思いました。
器を大きくするために起こっている、それが今の状況であり、
感情体験の理由だと解釈すると、すっきりした体感があります。

自分という器を大きくするため。
大きく大きく、最終的には宇宙の果てまで拡がる。。。
生きている内は無理にしても、方向としてはこれだと確信します。

どうにもがまんならない!
やっぱり感情には意味があります。
スケールの大きい意味があるのですね。
〔22〕
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伝わらなかったけれど・・・

2017年02月08日 | 自己実現
伝え方を失敗したときのことを思い出しながら、
相手の発した一言が引っかかって、あんな言葉を発する心境って?
その人の心の世界を推測しようと試みますが、考えれば考えるほど
迷路に入り込み混乱が増すので考えるのは止めにして。

今もって大きな違和感を覚える言葉ですが、
その一言で冷静を失って私は子供じみた応答をした…と、
そこまで思い出したときに、その一言に反応した私の発言は、
地雷を踏んじゃったのと同じだったかもと浮かびました。
そして次の瞬間浮かんできたのが源氏物語の六条の御息所でした。

深い抑圧と完全性をキーワードとして連想されたのでしょう。

自分を上手く伝えることのできなかった相手を御息所に重ねて、
葵祭りときの御息所の心情に思いを馳せると、
付き合いきれない!という怒りの感情が影を潜めて、
なぜか気持ちが和らいでくるのですね。

はじめに御息所の要素の認識があれば、下手な伝え方をして、
不愉快になることも相手を不愉快にさせることもなかったとことでしょう。
でもこれから。御息所に想像を重ねることで、
出来る限りの最善・ほどよい距離でお付き合いできればいいなと、
明るいイメージが湧いてきています。
〔21〕-2
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自分を、伝える

2017年02月03日 | 自己実現
“年甲斐もなく”という言葉は、
この際、私の辞書から消すことにして。
格好悪さ全開でいい、ありのままの自分を伝えよう。

そう思い切って気持ちを伝えながら、不覚にも涙が、、、
ずいぶん子供じみていましたが、
昨日はそれでよかったのです。
結果、相手も私も安堵に包まれたのですから。

一方、別の人に格好悪さ全開、子供じみた態度で接して、
相手も自分も不愉快極まりなかったことも思い出します。

正直に伝えることが友好を深めることになるか、
それとも、その逆を進むことになるのか。
それは相手に対する思考と感情がどの程度自覚できているか。
現実吟味ができているかどうか。そこが分かれ道のようです。

友好感と理解を深める方向に進むのであれば、
年甲斐なく格好わるくても、正直に伝えよう。
そんなことをあらためて思った朝でした。
〔21〕
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