こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

意識の作用ということ

2021年04月22日 | 自己実現
鹿よけネットの囲いの中に植物を集結させるため、耕したことのない場所を掘り返すと、すぐにスコップが硬いものに阻まれて、大小の石はもちろんのこと石以上に手を焼くのが木の根っこで、太いの細いの縦横無尽に張り巡らされて掘っても掘ってもきりがありません。見えないところで、すごいことになっているものです。

庭仕事していると無心のときもありますが、平素は忘れているような、過去のあれこれが思い出されたり、ああそうかと思いがけない気付きがあったり、無意識の意識化が起こるようなところがあって、それに対する自分の反応から、庭仕事は自分の感情生活の状態を判断するバロメータ―にもなっています。

ごみ捨てに出ただけなのに、偶々目に留まった草を一本引いて、そこからしゃがみ込んで本格的に草取りを始めてしまったり、思いついて植え替え作業を始めてしまうというようなことがよくあって、一歩外へ出ると室内では想像できなかった行動が生まれてくるのが本当におもしろく、その度に環境による作用の変化というようなことを、なんとなく考えます。

地中に張り巡らされている根っこたち。何やら心の無意識にも重ね合わせて、どういう意識で作業を進めてゆくのがいいだろう?しばし小休止、思い巡らします。(意識と知覚)
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私だったら、こうする、、

2021年04月21日 | 自己実現
私だったら、そうはしない。私だったらこんな対応をすると言う友人に、「〇さんて私だったらって、よく言うね」、自分の感じたままを口にしたまでですが、後日、言われてハッとしたと、「私だったら」は友人のお母さんの口癖で、まさか自分が無意識に母と同じ言動をしているとは思わなかった、驚いたと。図らずも友人の影(shadow)を指摘してしまったようですが、
友人にとってベストのタイミングだったようです。

それがきっかけで、今度は私が気付く番ですが、自分には、私だったら、私ならこうするのに、、、という発想がなくて、私が「私だったら、どうするだろう?」と思考するのは、よほど意識的に思考する場合で、反射的な反応として皆無かもしれないと。

よいわるいの問題でなく、どちらの傾向も使われ方、状況によって、プラスに作用することもあればマイナスに作用することもあるので、要はその傾向がその人にとって(自分にとって)どのような意味をもつか。友人がそうだったように意識化されたことで心の自由が得られる場合もあれば、もともと自由に羽ばたいている心が、自分ならどうするって発想は当たり前でしょ?だって自分が生きているんだからと明快に言い放つケースもあるでしょう。

自分の傾向は、それが当たり前で生きているので気付きにくいものですが、そうかあ、、と気付くことがあると、へーっと意外な驚きがあると、内的世界を探求することの最高の刺激剤になるものなんですね。(無意識の意識化)

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天国の住人とティータイム

2021年04月20日 | 自己実現
「幽明境を異にする」という言葉をはじめて聞いた子供の頃、母が独り言のように呟くのを聞いていた記憶があります。それは私が7、8歳の、母方の祖母が亡くなった頃だったかもしれません。

先に天国の住人になった身内に対して、なんとなく後悔が残る感覚、やり残した感がつきまとうのは仕様がないこと、生涯消えないものであると、その感覚・感情をようやく受け容れるようになってきたのは、たぶん天国に対する私の理解が進んできことも一因にあるのでしょう。

あえて幽明境を異にせず、境はないのだという意識で、いつか書いた妖精のティータイムと同じく天国の住人とお茶のひとときをもって、残る後悔を共にある喜びに置き換えて、感謝の時を分かち合うことができれば最高ではないですか!

このようなひと時の前では後悔もなにも、過去には何の力もないとわかるかもしれません。「今ここに、すべてがある」これを逃避の方便でなく、実践して実感することができたなら、そのときはじめて言葉の意味を真に生きていると言えると思うのです。(愛とゆるし)

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人それぞれの季節

2021年04月19日 | 自己実現
一日があっという間に過ぎて一週間経つのがとても速く感じられます。一年前に朝の瞑想が日課になってから、一年をかけて自然発生的に日課が増えてきて、小さなことも合計すると、けっこうな時間になるので、いよいよ時間が足りなくなってきて悩ましいのですが、どの日課も続けたいことばかりです。

これを続けよう、日々の日課にしようと最初に決めていたのは、遠方の友人と始めた朝の瞑想だけで、それ以外はどれも、なんとなく始めたのが、気付いたら日課になっていたという感じです。エリクソンの8つの人格形成の発達という考え方がありますが、0歳から12歳までの信頼・自律性・自発性・勤勉性は、友好的に日課に励む現状を見る限りクリアしているといえるでしょうか。

けっこう長い間、5~7歳の目的志向性と自発性に関して、いじいじと自己分析に囚われていた時期があったのが今はうそみたい、あれは夢を見ていたのかと思うくらい遠くまで来た感じがします。人には人の、その人だけの季節の進み方というものがあるのですね。(エリクソン・8つの人格形成の発達)

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知覚したものを伝えていく

2021年04月18日 | 自己実現
目は口ほどにものをいうとか、目を見れば判るとか言われますが、私の場合は全体から醸し出されるもの、気配から察知する方が正確に判る気がして快不快、怖い怖くないなども、たぶんに漂う気配から判断していることが多く、目を見て判断する感じが人に比べて希薄なタイプかもしれないと思います。

この頃、意識するようにしているのは、手紙やメールで読みながら感じていること、全体から感じ取っているものを意識して知覚することです。言ってしまえ手紙の気配をしっかり意識して感じ取るということなのですが、文字で表現される内容とは別に、言葉の奥に見えているもの受けとったものを、相手に応答するとききちんと活かすことを心がけています。

相手がどう思うか?ということの方に意識が向かうあまり、自分の知覚を無意識に抑制してしまうようなところが私にはあって、そうとは気づかずストレス曲線だったなあ、、と、あるとき自分の傾向を反省したのでした。

素直に自分の知覚を伝えたなら、それをどのように受け取ろうとあとは相手の問題ですから、私のなすべきは知覚したものを丁寧に伝えること。出来ればしーんとしたよろこびと共に自己を伝えていくこと、そこまでです。それができれば、以前にはなかったかもしれない沈黙という「間」も含めて、余分な言葉が整理されてシンプルに伝えるべきことが伝わる心地よさがあります。ある意味これは、私なりの自主練、感受性訓練というところかもしれません。(自己の伝達)

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自己を表現すること

2021年04月17日 | 自己実現
何が起きていたのか、なんとなくわかってきた、薄々気付きはじめていた。そのような段階にあるものが、言語化という作業によってはっきりしてくる、言葉にして明確化されることで、すっきりと次の段階へ進むことができる。DVD使用の新講座のレポートに取り組みながら言語化の効果を実感、再確認しています。

最後のレポートから随分と時間が経っていたので、自分自身の変化も確認しつつ新鮮な驚きをちょこちょこ感じながら、私の好きな言葉「時にかなって」がぴったりの絶妙なタイミングを感じながら一つ一つのテーマに丁寧に取り組みますが、以前にはなかった、しみじみとした静かなヨロコビがあるのを感じます。

レポートを一つ提出する度に、こころの自由度が上がっているような気もします。行きつ戻りつ、拡張と伸縮を繰り返し、それでもたとえわずかずつでも繰り返しながら、こころの自由が拡がってゆくイメージですが、浮かんできたものを形にする。言葉にしてみたり、行動してみたり、生きるとはある意味自己表現の連続なので、自己を表現する方法は無数にありますが、何をするにせよ自分が自分であるという感覚をもてるやり方で、ここがポイントかと思います。(思考と感情と行動)

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お茶の時間

2021年04月16日 | 自己実現
季節ごとに催される「妖精茶会」なるものがあるらしいのですが、テーブルにお花を飾り甘いお菓子とお茶を準備する、開け放した窓から妖精を招き入れるために何か音を鳴らして複数人で和やかに・・・といった約束事があるようです。なんとなく西欧の香りのするお茶会ですが、おめかしするなら小花模様のワンピースや綿レースのブラウスというところでしょうか。<春分、夏至、秋分、冬至に合わせた妖精茶会とは、「森のイングランド」という本やケルトの妖精たちを想像して、それはそれで楽しそうですが。。。

自分流であれば、ちょっと違うテイストでと考えます。まずお茶は日本のお茶をいただきたい(戸棚に眠る茶筅の出番、、)。甘いお菓子は薄紙に包まれた球形の和三盆、お花は野の草花の風情で、着衣は麻または亜麻のシンプルなもの。妖精を呼ぶ合図はチューナーを鳴らし人間の参加者は単独でもよしとする、お招きするのは、ずばり芭蕉の精か。庭仕事するとき、えっ何?と風に揺れる芭蕉の音にいつも驚かされて、その度に新鮮で慣れるということがありません。それで真っ先に浮かびます。

あれこれ想像しているだけで楽しい木々草花の精とのティータイム、いつでも出来るように、ついでの折、お抹茶だけは入手しておくとしましょう。(五感と体感)

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日々の自分流・・・

2021年04月15日 | 自己実現
「他の人に働くことが、あなたに働くとは限らない。。。」どこかで読んで心に留めている言葉ですが、ほんとうにその通りで、人にはそれぞれの方法、やり方があって、それを見聞しながら、試行錯誤しつつ自分にぴったりのやり方に辿り着く、生き方に辿り着く。
小さな自分流を一つ見つけると、それが起点となって、様々なところでバランスの良い自分流、流れにのりながらも飲み込まれない「私」が始まるものかもしれません。

日課の八段錦に続く体操(?)は、まさに自分流の始まりの一歩、次なる段階へ進化の一歩だったといえば少々大げさですが、でもそんな感じ。踵の上げ下げをしながら、手のひらをぐーぱーぐーばー閉じて開いてを、足の動きはそのままで上半身は前後腕振りを数十回、それから深めのスクワットをゆっくり数回やって、最後は片足で立って合わせた腕を空高くグーっと伸ばしておろすヨガの木のポーズ~両手を合わせた祈りの姿勢で終わることにしています。

本を参考にヨガを試みた日々、前後腕振りを毎朝1000回と決めていた頃、あれやこれやと試して今の自分流が出来上がりました。自分が自分であるという感覚、こころと体と魂の統合の感覚、私に有効な自分流にようやく辿り着きました。(純粋・一致)

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よい夢を見るために

2021年04月14日 | 自己実現
一日があっという間に過ぎてゆく。夢のように過ぎゆくとは本当にその通りで、いつの日かその感覚が極まったところで、この世は夢だった、ではサヨナラと体を離脱してゆくのかな…そんなことをちらっと思ったり。

一日がもう少し長ければ、もっとあれもできるかもしれない。でも、あれもこれもとやるには体力が足りなくなっている気もして、実は体力に見合った中身をほどほどに実践できているのだからこれでよし、ちょうどよい流れで進んでいるようにも思えます。

決して外からは、そのようには見えないでしょうが、自分の感覚では毎日、くるくる動いてフル稼働している感じです。立ち止まって沈思黙考のときでも、止まらない感覚。「停滞」はしていません。

確かに。人生でやり残してきたことにせっせと勤しんでいる感覚があります。やり残してきたのは思考と感情面の「世話」をすること。自分と身近な人々に対して、小さな軌道修正を加えながら、人生のバランスを取るためにせっせと励んでいるのです。皆でよい夢をみるために。。。(エリクソン・8つの人格形成の発達)

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カスプ生まれ

2021年04月12日 | 自己実現
自分の傾向はどこからきているのか。この性格はどうやってできてきたのか、
成育史の自己分析でを繰り返し探求しつくして、ああ、ここまで。
ここから先はわからないというところに辿り着いたのが、
自己分析したことの、大きな意味だったと感じます。

あの時、あの場所で、あの環境、あの両親のもと、
わたしが生まれ落ちてきたのは、なぜか。
いくら自己分析しても、それを知ることはできません。

なぜなんだろう?答えの見つからない問いに辿り着いたこと、
ここに辿り着くことが重要なのかもしれません。
実感をもって、そこに立つ。降参して佇む、みたいな。

以前から心理占星術の分野は関心がありましたが、
占星術の「カスプ」という言葉を知ったのはここ一、二年のことです。
次の星座との境界線付近が誕生日の私は「カスプ生まれ」、
記述されている性格傾向を読んだときは、ああ、ここから来ていたのか、、
ある性格傾向の原因を成育史に探しても、しっくりこないわけを
生まれ星から来ていた傾向だったことを明瞭に、理解したのでした。

未知のことがたくさんありますが、なぜなんだろう?
天を仰ぎ、問いかけながら進む・・・こんな感じで行き(生き)ますか。
(体験の解釈)

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