こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

感情と理性

2008年10月31日 | 意識と知覚
10月も今日で終りですが、今月は予定通り、「源氏物語」の扉をちょっと開くことができました。

本を選ぼうと、書店での立ち読みのごとく、図書館で借りたり、検索して関連のブログなど開き読み散らしている内に、物語の終盤に登場する「浮舟」の人生と運命から、目が離せなくなりました。浮舟の在りように、時々現われる私自身の心の問題を重ねながら、複雑な人間関係を確かめるのに、行きつ戻りつしながら読んでいます。

私には、浮舟が人の優しさや気高さ、美しさ、煩わしさや不快なこと、様々なことを感受はするけれど、感じるだけでその先がない女性のようにみえます。感じることはできても、感情が働かない。だから、人生に望むこと、欲することに無自覚のまま、感情という川に流されるだけ流されて、遂にのみこまれてゆく・・・(ストレス曲線を極みまで上り詰めます)

感情とは、意識されて、行動を「選択すること」に結びついて、はじめて意味がでてくるものだと思うのです。どんなに制約の多い環境でも、その制約の中で折々の感情を意識して、理性の力で選択してゆくこと。おそらく、人生の分かれ目はここにあります。

物語と共に様々な感情が湧いてくることでしょう。湧いてきた感情とどのようにつきあうのか。楽しみですが、少しだけ理性の力を試されるような気持ちもしています。



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創作ダンス

2008年10月29日 | 無意識の世界
少女の頃を思い巡らすきっかけは、先週の能楽観賞にありました。はじめて能楽に触れたのが、中学校の授業だったことを思い出したことから、当時の記憶が少しずつよみがえります。

どちらかといえば消極的で、率先して何かを為すタイプではなかった。生徒会の役員に紛れ込んでしまったときは、何事につけても自信満々の生徒たちが丁々発止で討論している雰囲気が嫌いで、役員会のたびに憂鬱でした。今思えば、“自分を上手く表現することが出来ない少女だった”それだけのことだったのでしょう。

ところが記憶を辿りながら、例外的な出来事が一つあったのを思い出しました。中一の頃だったか体育の授業の“創作ダンス”で、5,6人のグループに分かれて自由にダンスをを創る課題が与えられました。音楽も自由だったので、張り切ってピアノで作曲(?)した覚えがあります。一本指で叩きながらリズムを刻むような斬新な曲にのせて、仲間とあれこれ話し合いながら、自由に形をつけていくのは、なかなか楽しい作業でした。

あんなに積極的に、仕切ってまで熱中した自分とは、なにかフシギな気もするのですが、そういう要素もあることはあるのでしょう。そういえば最近、YouTubeのお気に入りに入れたのはふたつとも、創作ダンスといえばそういえるもの。映画の中のお気に入りのシーンですが、今回の気づきの前触れだったのかなあと面白く思います。
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10/21 宇佐神宮で能を観る

2008年10月22日 | 魂と聖霊
前々から行きたいと思っていた宇佐神宮の“御神能”に、ついに行って来ました。菱形池の中島にある能楽殿にて、午前11時始。秋の陽光が木々の緑に煌く中、そよ吹く風も心地よく、日本人に生まれた幸せをしみじみ感じてきました。風雅ではあるけれど、宇佐の地で継承されてきた民衆のための要素もあるお能は、和やかで親しみある雰囲気の中、最後に都からの能楽師による能「藤戸」が奉納されて番組は終了しました。

生の謡曲に触れるたびに、“この馴染みの良さはいったいどこからくるのだろう”と、ふしぎに思います。頭の先から入ってきた音が、腹の底に気持ちよく納まる心地よさ。大小の鼓と横笛の響きに身を置くと、洋楽のコンサートで体験するような高揚感とは無縁の、えもいわれぬ安定感が得られます。

意識してもしなくても、この身体には確実に、日本の自然、風土と文化に培われてきたものが内在しているのでしょう。杜の自然にいだかれて、宇佐のお能は心と体と魂を活気付けてくれたと感じています。

興味のある方のために番組を記しておきます。
・神歌
・狂言「口真似」
・仕舞「融」
・舞囃子「狸々」
・能「藤戸」

主宰の宇佐神能会の皆さま、ありがとうございました。
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魔女の一撃

2008年10月19日 | 意識と知覚
大掛かりの土木工事も大詰めを迎える段になって、親友がぎっくり腰になりました。連日の重機操作に加えて、冬支度の薪運びの作業と無理を重ねた結果です。ぎっくり腰のことを、欧米では“魔女の一撃”と表現するのだそうですが、何の前触れもなく突然、激痛に襲われる感じがよくでています。

親友の負担を減らすべく手伝いたいと思っても、私が手出しできることは僅かですから、このハプニングは、私にとっても大きな打撃です。しかし、ストレス曲線(不安感)を意識できていると、なんとか平安感を得ようと努力する気持ちがでてくるもので、作業を手伝うことで不安が小さくなるのはもちろんですが、更に、不安の渦中にあるときほど、五感・体感で幸福曲線(平安感)を得ることが大事なことを、実感しています。

とりあえあず不安材料は脇において、ヨガ風体操で“からだの気持ちよさを体感すること”。たとえ5分でも、今ここに生きている自分・身体感覚に意識を向けると、平安感が得られます。

ぎっくり腰は初期の絶対安静が大事だというのは承知していても、そうはしていられない事情があります。本日の作業をなんとかやり遂げ、夕ご飯には、蕪のバター煮を思いつきました。蕪の自然の甘みをバターの風味で頂く一品。土鍋で、ほっこり煮えた柔らかな味わいは、魔女の一撃も溶かす美味しさ…味覚の喜びです。

明日は助っ人が来て生コンを流すところまで、なんとかこぎつけました。まだまだ予断をゆるしませんが、幸福曲線を得られる方法を考えるのが、少し楽しくなってきました。

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こころ楽しき秋

2008年10月16日 | 五感と体感
今朝のテレビで、「宇佐八幡宮で10年ぶりに法華八講(ほっけはっこう)が執り行われる」というニュースを聞きました。法華八講とは何ぞや? それを検索したことから、宇佐神宮での、この法会の起原から、古典文学で描かれる法華八講の解説なども見つけて、なるほどと興味深く読みました。

そういえば、昨日もらってきたカレンダー! 某航空会社のカレンダーは古代から江戸期に至るまでの日本の芸術全般-庭園、建築、絵画や美術工芸の秀作ばかりを集めた、見ごたえのある写真で構成されています。説明も記されていて毎年、処分する前に観賞しなおそうと思っている内に10年分がたまってしまったという知人から、そっくり引き取ってきました。

読んだばかりの法会の時代の美術品を、カレンダーから探したい誘惑にかられますが、そんなことしているヒマはないはずと、思いとどまりました。

明日は、近くの神社のお祭りで、“秋の味覚”を出店する友人の手伝いに朝早く出掛けます。それに使うサルトリイバラの葉(柏餅の柏の葉の代わりに、西日本ではこの葉を使ってお餅を包むことがあります)をこれから、探しにゆかなければ。いにしえに思いを馳せて、あれも読みたい、これも見ておきたいと思いつつ、時間だけがどんどん過ぎますが、気忙しい中にも、神社のお祭りや行事に昔の人を偲びながら、なんだか心楽しい秋の日々です。
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夢だらけの人

2008年10月13日 | 愛とゆるし
気持ちのよい秋の日。窓の下では大規模な土木工事が進んでいます。こんなに大掛かりなことするとは、やっぱり性格は変わらない・・・呆れるのと、よくやるなあと感心するする気持ちが半々で、親友の仕事を眺めています。ふつうの人なら、一人でやろうなどと絶対思わないようなことを始めてしまうのは、いつものこと。それで見込みが外れて、自分が考えるより、ずっと時間がかかってしまうのも、いつものことです。

楽しい夢の実現が、やっているうちに、苦しみに変わることもしばしばらしい。もうちょっと内輪に計画をたてれば、そんな苦労をしなくて済むのにと傍は思うのですが、それじゃあ生きている意味を感じられないのだそうです。

夢だらけの人、夢に向かってイキイキ生きている人が身近にいるのは確かに楽しい。だけど、気がもめることの多いのも事実で、夢だらけの人と暮らすことは、本当に生き甲斐の心理学の勉強になります、というか勉強が役立つというべきか。
“壮大な夢の実現でいいわね~” 
“なんだか、ずいぶん時間がかかりそうだけど、林道まで、大丈夫…?”
イヤミにならない程度にチクリと釘を刺しておくことを覚えました。適当にストレス感情をだすことは、双方の身のためです。

少し時間がかかるのは仕方がない・・・でも、どうか今度こそ、林道補修までたどりつきますようにと願っています。
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こんな日もある

2008年10月11日 | 五感と体感
きょうは、なんだか調子のでない日でした。暑くもなく寒くもなく快適な季節。あれもやりたい、これもやりたいと家の内外の作業がメジロ押し。昨日は、心地よい緊張の中で、ちょっと根をつめ過ぎたのかもしれません。体が疲れ気味のことは確かです。

体だけかな? なんとなくモジャモジャする感じがあるのは、他にも理由がありそうだけど。あれかな、これかな?と不安感の出所を探ってみますが、これが原因といえるものはないのです。そうこうして日暮れが近づく頃、空に、ふくらみかけたお月さまを見つけて、なんとなくうれしくなります。

夕食を何にしようかな…何か、しあわせな気持ちになれるものを食べよう。材料があるもので、疲れているから簡単で美味しいもの…と考え始めて、思いついたのが鍋焼きパン。うちの定番ですが、第一次醗酵だけで手軽にできる、ナンのようなパン。ロースハムの買い置きがあるから、野菜を添えてオープンサンドにしよう!常温醗酵で種が倍の大きさになったら、平たく形づくって、厚手の鍋で両面を焼くだけ。食べる幸せを思い浮かべているうちに、なんだか元気がでてきます。

そろそろ倍の大きさになる頃です、焼くことにしましょう。明日は、どんな日になることか。今日よりは、調子がでてきそうです。


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たのしい街歩き

2008年10月08日 | 五感と体感
久しぶりにB市に出掛けました。銀行の用事でしたが、せっかくの機会なのでスーパーの駐車場に車をおいて銀行まで歩き、ついでにちょっと街を歩いてみることにします。銀行では順番待ちして窓口で用件を言うと、“それでしたらATMでお手続きできますが”と。繰越した新しい通帳が機械から出てくるなんて、ちっとも知らなかった。あっという間に目的の用事は完了したので、次は“昭和の街”へ。そこは昭和の商店街を再現して、観光客誘致に成功し、全国から視察団もきているという通りです。

何回か立ち寄ったことのある小さな古道具やさん。入り口のドアとウインドウを新調して、ガラス越しに覗くと、中は以前のままのようですが、なんとなく雰囲気が変わっています。新しい昭和の街に合わせてしまったのかな…? “閉店につき全品70パーセント引き”という文具店では、売れ残り商品の中から、ゼムクリップ二箱と鉛筆一ダースを購入。ここもきっと、新しい街の観光客のためのお店に変貌することでしょう。

どうも私は、テーマ ストリート(という言葉があるか知りませんが)には、あまり魅力を感じないようです。

大通りにでて、以前から気になっていたお宅の前を通って駐車場へ戻ることにしました。植物が“好きで好きでたまらない”ことが歩道まで溢れ出てしまっているようなお宅ですが、いつも車で信号待ちする度に、うっとり眺めていました。多種多様の植物が、広いとはいえないお庭にぎっしり植え込まれているのだけど、それがちっともうるさくない。株が増えそうな植物のためには、たっぷり空間が与えられ、それぞれの特性をきちんと見て植栽されているのがわかります。そして笹でアーチを作るなど、アイディアも独創的です。

その人が大好きでやっていること、生き甲斐に結びついている仕事を見せて頂くのは本当に楽しく、よい刺激を受けます。これからもチャンスをつくって、身近な探検、街歩きを楽しむことにしましょう。
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むかし、むかし

2008年10月05日 | 無意識の世界
山の暮らし。 秋になり鹿の鳴き声が響き始める頃から、動物の訪問に困らせられる話がどうしても多くなります。そんな話を聞いている内に、なんだか猪や鹿や兎が怖くなってきたと言われました。こころの優しい方です。おとぎ話にでてくる鹿や兎を想って親近感を寄せていたところに、山の現実を知ることで、夢の中に、食料を略奪して人を困らせる動物がでてくるようになったりしたら本当に申し訳ない。。。

ふと思いました。動物に困らせられている現実があって、そういう体験がもとになって、おとぎ話は生まれてきたのかもしれない。たとえば、“むかしむかし、ある山にひょろ子さんが住んでおりました。ひょろ子さんが枯れ枝のように細くなってしまったのは、イノシシが毎日訪ねてきては、畑の野菜を端から食べてしまうからでした・・・云々。”という具合にです。(ちなみに私が細いのは、いくら食べても太れない体質のせいで、山の動物のせいではありません)

こんなふうに考えると、昔から、人は理不尽と感ずる現実をなんとか受けいれて、この世を生き抜くための知恵として民話や神話、おとぎ話を語ってきたのだということが、よく解るような気がします。

人が感じて、考えて、行動することはすべて“今感じている不安を解消するため”そして“幸福になりたいため”に、どこかでは結びついている。そういう視点で眺めはじめると、世の中のこと、人のいろいろな行動も以前より、大らかに落ち着いた気持ちで考えらるようになると感じます。古来、日本人の求めてきた平安感・幸福感とは…?読書の秋。こんなことに想いを馳せながら、古典文学や民話、おとぎ話の世界に親しむのによい季節が巡ってきました。
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理不尽な種まき…でも!

2008年10月04日 | 意識と知覚
毎日のように、イノシシが訪問してきているみたいです。畑の足跡と、ところ構わず土を掘り返してある様子から、子どものイノシシを想像していますが、リーフレタスがすっかり無くなっていたのは誰の仕業?イノシシがレタスを食べる話は聞いたことがない。だとしたらシカ?シカは葉っぱ類を食べます。シイタケも。

誰が来ているか定かではないけれど、イノシシが一頭きていることは間違いない。なぜなら自然薯(ヤマイモ)を掘った後があるから。あまりにも深く綺麗に土を堀あげてあるから、ひょっとしたら人間!?と頭を掠めたけれど、それはありえません。

夏草の山を引っくり返しているのは、下の腐葉土にミミズがたくさんいるためでしょう。ミミズは、いかにも子どものイノシシが好みそう。

“誰が来たか推理するのを楽む”ことで、動物の訪問(!)に対するストレスは多少減っています。でも、被害が大きくなれば、こんな悠長なことは言ってられずに、イライラが大きくなることは容易に想像つきます。そこで、種蒔きしても荒らされるのが目に見えているならば、鉢に種まきしよう。こんな山の中で、鉢植えするなんて、、、という考えは捨てて、コマツ菜とミズナ、ついでに深めの鉢にダイコンも蒔いてみました。

現実を受けとめて、今のストレスと、これから受けそうなストレスを推測しながら対策をたてる。現実を吟味する。畑がないならともかく、山暮らしで鉢植え野菜なんて、という考え方を捨てれば意外と現状を楽しめそうです。
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