こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

時がきて、ヴィジョンを描く。

2015年08月24日 | 螺旋状に上昇する意味
詰めが甘いんじゃないの?
他人の自己分析に対して、そんな感想を持つのは、
もちろん投影のなせる業であって、
自分の中に同質の詰めの甘さがあるからです。

体験の解釈は、そのときそのときの実力に合った内容になります。
実力とは心の強さ、自己受容の度合い、しなやかな感情生活等など…
内面における生きる力の実力のことです。
よって実力が上がれば体験の解釈も変化してゆく、自然なことだと思います。

14,5歳の頃に抱いたイメージ。
心の奥底から湧いて来たのか、はたまたどこか上の方から降りてきたのか、
突如浮かんだ未来に対するイメージは、
自分の内面の理想が表わされたものであることと、生育史をはみだして、
もっと深いところからきたものであることまでは解りましたが、
それ以上は解釈の仕様も必要もなく、長く保留にしてきました。

それがここにきて、保留でなく、もっと積極的に取り上げるべきではないか?
もっと意識的にイメージを捉えてもよいのではないかと。そんな気がして、
ヴィジョンに昇格させるべきではないか?と、思いは強くなっています。

14,5歳の頃のイメージ。

あのときのイメージを追求してゆくことに、大きな価値を感じます。
たぶんイメージを具体的に人生に重ねてゆくだけの力はついたのです。
実現させるべきヴィジョンとして幸福曲線で想像するだけの力はついた。
そういうことなのだと思います。

体験の解釈はその人その人の感情生活、心の世界をそのまま映し出す鏡のようなものです。
その大切な鏡に向かって、詰めが甘いんじゃないの?などと無礼な態度で、
ときどき顔を出してくるヘンな防衛機制とも、これでさよならです。

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消耗する会話に、さよなら。

2015年08月21日 | 螺旋状に上昇する意味
久々に悩める心の愚痴に接して、
その対応の仕方に、ここ半年ぐらいで大きく変化した自分を感じました。
人と接することで自分の変化に気付いたり、
立ち位置を確認するということがありますが、
対応の仕方に変化してきている自分を再確認しました。

愚痴を聴くのは早々に切り上げ、すぱっと意見を述べている。
その時点で最良と思われる対応を判断、迷わず行動(言動)して、
現時点で最良の場所に着地して終結させる。。。
双方に後味の悪さを残さず、微かな希望を残して電話をおく。
相手と私の関係性において相応しい対応が成ったと思えます。

ここ半年くらいで大きく変わったことの一つに、
他愛ない会話をゼロにしたことがあります。
否定的な感触は少し前から始まっていましたが、徐々に遠ざかり
体調を崩したことが契機となって会話の時間はゼロになりました。

あなおそろし、、今となってはそうなのですが、
かつての私はその他愛ない会話に肯定的な価値を与え、
大事な時間とさえ思っていたのです。
あらためて「他愛ない」を辞書で引いてみると、
思慮分別がない。子どもじみている。とりとめがない。と、ありますが、
今となっては否定的な意味において、その通りだと思えます。

その時には会話が必要だった。
バランスをとるために必要だった。それは重々承知の上で思うわけですが。

冒頭の変化、愚痴への対処が変化したことは、
他愛ない会話-無駄と感じ出した会話をゼロにしたことと無関係ではないようです。
私が、心身と魂を後退させる会話であると感じ、そのように判断したのなら
それは相手にとっても同じはずですが相手の自我が抵抗することはあるでしょう。

しかし最終的には。あなたと私の心と魂にとってよいと思われることを選んでゆく。
それしかないのだと思います。
消耗する会話に終止符を打ったことが、新たな実のある時間/会話を生み出した…
それを確認した朝でした。

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