ひだまり

あなたの心に暖かいおひさまの光がさします様に

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感謝

2019-12-31 23:40:20 | 第六章・螺旋状に上昇する意味


今年も終わろうとしています。

色々な出来事が、ここ数年ありました。

一番心を痛めたのは孫の虐待といじめの事でした。

その孫も子供の精神科の先生により、元気に元の孫になっています。後少しだと思っています。

次は、文章も良く書けなかった私を、このように書く事が出来るように指導してくださった恩師の死でした。

癌も来年の10月で、5年のホルモン療法も終わります。乳がんは、10年なので、残りの日々は医大の先生に見て頂けるようになりました。

足も良い先生に出会い、痛みも無くなりつつあります。リハビリの先生のおかげで、歩けるようにもなりつつあります。感謝の1年でした。

ただ、孫の事でストレス曲線上の日々を、数年間過ごすことにより、私の心は疲れてしまいました。ブログを書こうと思うのですが、どうしてもパソコンを開くことの出来ない日々でした。

この際新しい年をゆっくり過ごす事で、暫く心の静養をとる事に決めました。

長い間、ありがとうございました。

来年も皆様にとって良い年でありますように、お祈り申し上げます。

感謝と共に、またお会いできる日が来ますように・・・・・・。


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気づき

2019-12-01 02:13:45 | 第六章・螺旋状に上昇する意味


毎日が、リハビリの状態から、少しずつ普通の生活に戻っています。

天神の整形外科に通っていましたが、今はその先生のお友達の大分の整形外科に通うようになりました。治療のおかげで、痛み止めの数も減り、リハビリの先生のご指導での運動で、筋肉も強くなっているようです。まだまだ外での歩行は、長い時間は無理ですが、時間と距離は少しずつ伸びてきています。

体が、健康に向けて良くなっていると不思議に心も軽くなって来たようです。実は、外に出る事が、億劫になり、人との交流も大分弁で、よだきく(めんどくさい)なっていました。

家事も、立つことが、痛みで出来なかった頃より、少々痛いのですが、立ち仕事が出来るようになり、軽い食事も短時間なら作れるようになりました。

絵も軽いイラストに挑戦しています。我が家のスバル君も8歳過ぎたようですが、良く飛びはねています。其の後は、良く寝ています。その寝姿を、落書きしているのですが、私の書きたいかわいい猫ではなく、どちらかというと怒っている猫になってしまいます。

昔は、此処で書くことを、止めていました。私が描く理想のイラストではなかったからです。

先日、久しぶりに朝の連続テレビ小説を見ました。スカーレットという題名で、主人公が、絵付けの練習を、している場面でした。師匠に新聞紙を渡され、筆で何度も線を書いていくという場面でした。

私は、その場面を見ながら、はっとしました。今まで、私が描いた絵に私自身が、下手のレッテルを張っていたのですが、何度も何度も書き直して描いたことは、無かったのです。

頭の中の、理想の絵に近づかない描いた絵(現実)は、へたくそ(劣等感)と決めつけて、一番大事な努力を怠っていたことに、この年になって初めて気が付きました。

大分の芸術系の高校も落ちて、自分にダメな子とレッテルを張ってしまいましたが、あの頃画家の先生もその高校の受験を受ける事に背中を押してくれた事も、その当時の私は、他人事の様に思っていた事を思い出しました。

下手なのではなく“努力が、足りなかったのだ”と気が付いたことは、私にとって宝物を得たような喜びとなりました。

刺し子で、私の描いたスバルを刺したいと言う、希望が芽生えてきました。どちらも初めて間がないのですが、ゆっくりと作品を仕上げたいと思います。そのためにもスバルのイラストを何度も何度も描きたいです。あきらめずに・・・・・・。

ファイト


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遠い昔のお話

2019-11-01 15:58:52 | 第一章・意識と知覚


遠い昔を、思い出していました。

小学校の4年生頃だと思います。自分では、最高の出来だと思っていた、粘土で人の顔を作り終えた時でした。友達も良い出来だとその作品を褒めていた時、図工の先生が「こんなのが良いと思うのか」と周りの同級生に強い口調で話しかけました。

その時の出来事を、今でも思い出すということは、心が酷く折れてしまったのでしょう。

小学校3年生の孫を見ていると先生の一言は、励みにもなるし反対にやる気がなくなる瞬間でもあるように思えます。私にとって、その瞬間は、図工のすべてに自信を無くした出来事だったのだと理解できました。

図工の先生のその時の状態が、どの様だったか今は、計り知れませんが、指導の一環としての言葉がけだったのかもしれません。その時の4年生の幼い受け取り方では、理解できなかったのだとも思います。

小学校6年の孫は、担任の先生の、入院中も退院してからも、暖かい励ましで、遅れを取り戻そうとしています。また漢字の宿題で、良い出来だったときは、花丸に枝も葉っぱもつけて、チョウチョの絵も描いている中に、暖かい一言が、添えられていました。

孫は、その時以来、宿題も忘れずにやり遂げて、元気に学校に出かけています。

あの時の図工の先生が、一言温かい言葉を掛けて下さったなら、劣等感の塊のように私は、人生を過ごす事は無かったのではと悔やまれます。

この事を、暫く自問自答していました。何故、絵を書くのか、それは人に褒めて頂きたいと思う事も大事かもしれませんが、私は私、好きだから書くのだとの思いが、私の中に無かったのだとこの年になって、素直に受け入れる事が出来ました。手先できれいに仕上げた粘土の顔には、能面のような無表情な顔が、描かれていたのではと思います。

好きな事、嫌いな事を、自覚してもう一度、粘土ではなく絵を書いてみようかな。下手でもよいから、私が私であるために・・・・。60の手習いは少し過ぎましたけど。


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あきらめずに

2019-10-13 14:25:11 | 第六章・螺旋状に上昇する意味
毎日を、家の中で過ごしていると本来私は、出歩くことが好きでは無かったことに気が付きます。

中学生のころまで、家でゴロゴロしていました。何故なのだろうと疑問に思うことはあったのですが、深く考えることなく、人が嫌いなのかなどと思うこともありました。

それから年を重ねるごとに、外に外にと行動範囲が広がり、そう思うことも忘れていました。

今回、歩くことが、とても不自由になって、やっと車いすから歩く事へと移行できたのですが、家の中ではつえをついて何とか歩いています。残念ながら、まだ外に行って、長い距離は歩けない状態が、続いています。

痛みも強くて歩けなくなることもあり、人に会うことも、出かける事も億劫になってきています。かなしいのですが・・・・。

そんな折、師のブログを、読みたくなりました。記事の一つで、悩んでいたことの意味が、分かりました。私も退院してからの気持ちの中に、生きる事への虚しさを感じていた事です。幼いころからの病気続きで、癌になり、転倒して歩くこともままならない状態で、何をするのも人の手助けが、必要となり下の娘から介護されて、週2時間程度の家の掃除の支援を受けて、何とか生きている状態が、受け入れられていないことに気が付きました。

就職先に決めている幼稚園に、下の娘は実習に出かけて行きました。息子は毎日仕事に出かけて行き、余暇にゴルフ、自転車の競技に出るためのトレーニングに励んでいます。
虐待を受けた孫も、毎日運動会の練習に励み、弟が同級生にいじめられたと泣くとこうすればよいと話していました。

皆が、前向きに人生を歩み始めています。そのことを考えると私も子供達と共に、どの時も戦ってきたなあと心が軽くなってきます。

今度は、足の状態と闘って歩けるようになりたいと思えてきました。今の状態を、受け入れて慌てることなくゆっくりと前に進もう。今生きていることを大事にしながら・・・・。

ファイト。

追伸 病院を変えて、リハビリに行くことに決めました。診察を受けて、心から喜びを感じました。元のように歩ける。諦めずに、決めた結果です。やったー!

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入院2

2019-09-14 06:05:12 | 第九章・愛

パワフルなおばあちゃん達を考えていると入院中の事を思い出しました。

入院中は、5階の西側の角部屋で、私は窓側の西の空が見える場所で、遠くには山々が見える景色の良いベッドでした。

周りは、カーテンで仕切られているので、どの様な方がいるか分かりませんでした。次第に打ち解けて、カーテン越しに話が弾みました。この部屋は、良くなって退院が決まっている方が多く、次から次へと新しい人達との出会いがありました。

家庭の中で、専業主婦を長年経験してきた私は、生まれて初めてそのような環境の中で、生活をしました。おかげさまで、良い事も私にとって辛い事も一旦受容して、新しい気持ちに切り替えて、前向きな人間関係を築く事が出来、良い日々を過ごさせていただきました。
私にとっては、その様な人間関係を経験したという衝撃的な日々でした。

ふとその中で、大きな気づきを経験しました。

九州の宮崎の日向灘で起きた震度5の地震の際、格子状の雲があり、不思議に思っていました。その向こうには、海岸から山へと直線状に細く伸びた茶色の雲が、目に入ってきました。もしかしたら地震雲と思いましたが、まさかと思う気持ちが勝ち、ベッドに横たわりました。それからどのくらいの時間が経ったかは、覚えていないのですが、大きな揺れを感じました。

地震の後しばらく見えていた格子状の雲は、消えていきましたが、細く伸びた雲は、次の別の場所を震源とする地震まで、西の空に残っていました。地震雲は、存在するのだなあと感じました。

次に、段々と太陽の輝きが増す中で、家々の瓦が、光り輝く、上から見た家並みの変化を初めて経験しました。日々の生活では、体験できない景色を見て、思い悩み苦しんでいることが、小さく感じました。目の前に見えているものだけで、判断せずにもっと違う角度から物事を見て考えた時、どの様に見えるのか思い浮かべるだけでも体験していることが、変化するのではと気が付きました。

いやだなあと感じる人との出会いも、別れる時は良い人間関係で別れる事が出来ました。

そのお一人の、人生の大先輩のお母さんに、「良く食べなさい。元気でいなさい」と言葉を頂きました。退院する時は、部屋のお母さまたちに、エレベーターまで見送っていただきました。

これまでの人生で、経験したことのない、愛の体験でした。

嬉しかったです。 そして、実母との愛の交流の乏しかった私は、お母さんの愛に触れたように思います。親の愛に満たされた私が、此処にいるのです。

お母さんたち、ありがとうございました。いつまでもお元気で・・・・・・


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