こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

九月のみどり

2009年09月30日 | 五感と体感
キリムは草木染の毛織物ですが、キリムを敷くテーブルを、直射日光に弱い敷物にあわせて、壁際に移動させることにしました。壁には親友の描いたミイラの絵が掛けられています。メメントモリ(死を想え)を承知している住人はよいとしても、訪問者の中にはミイラを目の当たりにして抵抗を感ずる人もいるかもしれません。

もう少し無難な絵に掛け替えようと、居間の絵や写真、仕舞いこんであった額も取り出してきて、あれこれ試して、最終的に小さなイコンの額を掛けました。これなら、間近に観ても圧迫感がないばかりか、絵から醸し出される穏やかな気配さえ感じ取ってもらえるでしょう。

仕舞い忘れていた額の中に、“九月のみどり”と題する絵葉書がありました。黄緑の中に、水を想わせる白線が2本走るシンプルな抽象画です。大沢昌介という画家の創った緑色。私には、実りの緑、はじまりの緑、友好の緑、穏やかな緑、そして自己肯定の緑色に感じられます。

現在の心情にぴったりの “九月のみどり”を見てはうきうきしていますが、感情と五感の関係を深め、益々体感する秋を楽しみたいものです。

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まずは日常のささやかな事から

2009年09月28日 | 意識と知覚
人間は、光と蔭の要素をあわせもっているので、わたしとあなたの関係も折々に、光に照らされたり蔭ったりしながら人生は進んでゆきます。そんな人生にあって、日常の瞬間瞬間、光を感じながら生きるか、蔭を感じながら生きるかによって、その人の人生の様相は大きく違ってくるはずです。

些細なこと、日常的な小さな出来事を、自分は明暗どちらに解釈する傾向があるか、微妙な心の動きを一度じっくり観察してみると面白い傾向が色々見えてきます。深刻な問題を取上げるのでなく、日常のちょっとした出来事に対する心の動きを観察するのは、意外に楽しいものです。

例えば今回、久々の東京で電車やバスの乗降に少し戸惑いましたが、わっ恥ずかしいィ~という感情を体験した直後、その体験の解釈が暗く流れる様子をじっくり見つめました。更に感情の切り替えがあまり上手ではない傾向も、しっかり自覚。。。

そんなこともあって今、微妙な心の流れを楽しみながら、日常の些事を明るく自己肯定的に解釈しているかどうか意識するようにしています。誰だったか、“習慣が性格をつくる”と言った賢人がいました。この言葉に大いに期待しています!

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気づき合うために

2009年09月27日 | 五感と体感
自分の偏った傾向、過剰な自己防衛にはっと気付いたときの驚きは、ちょっと口では言い表せないくらい感動するものです。幸福な人生から自分を遠ざけていた心の偏りに気付くのだから、明るい未来にぱっと視界が開けたような喜びでいっぱいになります。

偏向に気付くとは、強力な抑圧がとれたことを意味すると云って差し支えないと思いますが、気付きは新たな人生に向けて一歩踏み出す条件が調ったしるしと、私は受け取っています。抑圧しなくても生きてゆけるだけの力がついてきたときに、大事な気付きは起こります。

一人で沈思黙考しても気付きは起きますが、深く大きな、そして鮮烈な気付きはいつも、生身の人間関係の中で、受容と共感を知覚、体感しながら起こるように思われます。過去を振り返るのでなく、今この場所で、進行形の心の動きを捉えて起る気付きほど感動するものはありません。

幸福から人々を遠ざけてしまうような心の偏りに気付く場を提供しあうこと。勉強仲間との実り多き勉強会から戻り、我が家の小さな勉強会の意味を今、新鮮な気持ちで見直しているところです。

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熱く語るとき

2009年09月26日 | 意識と知覚
こころの探求に、とても興味があります。人がなんと言おうとも好きでたまらないもの、と云ってもよいかもしれません。この十年“よく飽きもせずに”と、その方面の読書に熱中している私を、親友は呆れながらも“本当に好きなんだ”と、その個性を肯定的に捉えてくれていたようです。

ところが当の本人は、この“好き”の実感が足りない気がして、自分の人生に積極的に活かしてゆこうとする迫力に欠けていました。これは旅に出る前の私のことです。自分の現実の捉え方に少々偏りがあった。肝心なところにくると、すーっと引いてしまう微妙なこころの動きに、今回はじめて気がつきました。

そんな気付きの後、友人と語り合いながら、話題がこころと魂の領域に及ぶと俄然、熱く語り出す自分を強く意識しました。そして意識しながら“これが私の好きなこと、これでいいんだ”とOKを出しました。本人の知覚として、熱く語っているときはガンガン語るというに相応しい興奮があります。そんな興奮気味の自分は好きになれないから、語った後はすーっと引いてしまいたくなる。この繰り返しだったようです。

私には確かに好きな世界があって、好きなことに関しては熱中して語り出す。ときに興奮気味にもなるけれど、真に好きなものに対しては、そうなるのも自然なことだろう。自己肯定的に考え方が統合されて、とてもすっきりしました。

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旅の印象

2009年09月25日 | 意識と知覚
夕べ旅から戻りました。今回は一週間の前半を東京の勉強会(ワークショップ)に参加、後半を新幹線で一時間半ほどのN市へ母に会うため赴きました。東京方面の旅ではいつも、山暮らしの日常とは対照的にひっきりなしに人に会う日々を過します。

一年ぶりもあれば半年振りの再会も、初対面の人もいれば、十数年ぶりに顔をあわせた人もいましたが、人や物との出合い、すべての出来事が“人生に繋がっている…”と密かに感慨を覚えることの多い旅でした。

旅の印象を色でたとえるとしたら黄色。私にとって黄色は友好的感情のイメージで、他者はもちろん自身に対しても、旅の始から今回は友好感の度合いがいちばん大きかったように思います。勉強会のセッションがきっかけで、感情を色でイメージする楽しさを知りましたが、一人のワークでは得られない、このような楽しさの実感は仲間と共にある勉強会ならではの恵みと感じます。

N市の商店街で、黄色のギンガムチェックのブラウスを手に入れました。思い返せば親の意向で紺やグレイの地味な色を着ることの多かった子供時代。N市のデパートで初めて自分の意思で選んだのが、折り返しがギンガムチェックになっている黄色のコットンパンツでした。お彼岸の休日。亡き父との思い出の黄色を手に入れたような気がして、“繋がっている”思いを新たにしたことでした。

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見えないものを信じるとき

2009年09月17日 | 愛とゆるし
人が話すときは、その人独自のフィルターを通して語られます。聞く時もフィルターを通して聴きます。フィルターとは、成育史や人生体験の中でできてきた独自の考え方、感じ方のことです。

そういうわけで、話したり書いたりした後、相手の反応に、“そういうつもりで言ったわけではないのに、誤解されているみたい”と感じるようなことは多かれ少なかれ誰でも経験することでしょう。そんなとき誤解されていると思うそのような感じ方もまた、私のフィルターを通しているのだから、相手の反応を無闇に否定するわけにはいかないと思っています。

誤解を解きたくても相手の真意を確かめようがない場合。相手は不安感から反応している、ここまで推察できたなら、それで十分なのだと思います。相手のことは相手に任せて、今の私にできるのは自分の不安感をどのように平安にもってゆくか、それだけです。

もしも私の言動に配慮不足があったなら、いつかそれは私に返ってくるだろうし、もし相手の感じ方が偏っているのなら、それは相手に返ってゆくだろう。いちばん良いときに気付きは与えられる、こう考えると平安な気持ちになります。気付きを待つもの同士と思うだけで、なんとなく友好的な感情さえ生まれてきます。見えない感情は時空を超えて相手に伝わることでしょう。私はそう信じています。

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最初の不一致

2009年09月16日 | 意識と知覚
こころの仕組みを知らない身で、はじめて自分の不一致に気付いたときは、本当に驚きました。あるとき、ホンネと正反対の行動をしていることにハッとしたのがきっかけで、日々の葛藤をノートに書き綴るようになります。生き甲斐の心理学に出合う5,6年前、私の自己分析の始まりでした。

感情と行動が一致していたかどうか。毎日、神経質なくらいに反省するのです。行動の動機はなんだったのか。自分はなぜそれをしたいのか、したかったのか。今思うと、“感情を抑圧していないかどうか”を厳しく検証することで、こころの安定を保っていたようです。

しかし、いくら書いても堂々巡りで解決には至りません。自己流では、自分の中にある答えにたどり着くことはできませんでした。心の仕組みを知らなかったからです。

当時は本音の感情を意識しても、そういう感情はもつべきでないとか、こんなことを感じるなんて間違っていると、いつも評価的に判断を下していました。知らないということは、おそろしい。この学びに出合って心の仕組みを知ってよかった、しみじみ思います。

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ときどき小休止

2009年09月13日 | 愛とゆるし
我が家の合言葉になっている、a-ma-ka-neという言葉。確か太平洋の何処かの国で挨拶や感謝、あらゆる場面で使われる言葉と記憶しています。ずいぶん前にラジオで覚えましたが、日本語の“どうも”のような言葉かしらと勝手に想像しています。

我が家では、人生は甘くないと言いたいとき、“あまかねだからね、、”という具合に呟かれます。人生は甘くない、厳しい。悟りの境地に達しないかぎり何かしら問題を抱えているのが常態、それが人生です。

私はそんな問題山積の日々を、できるだけ平和な気持ちで生き抜くために存在するのが、生き甲斐の心理学だと思っています。すべてのものは神からのもの。神に抵抗があるなら、宇宙、天、サムシンググレイトでもよいのですが、存在しているものをどのように活用するかは人間に任されています。心の仕組みも、その仕組みを解明した先人が残した理論も、すべては厳しい人生を生き抜くために与えられた神さまからのプレゼントだと解釈しています。

時には理論の学びに疲れることもありますが、そういうときは勉強から少し距離を置いて回復を待ちます。理論の勉強は疲れたときは無理をせず、幸福曲線の中でこそ深めたいと思います。

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講演会で・・・

2009年09月12日 | 五感と体感
少し前になりますが、知人の主催する講演会に出かけたときのことです。いよいよ会も終りに近づいた質疑応答のコーナーで、とても興味深いことが起きました。

最後の質問者は、質問の内容から講演が気に入らなかったことは明らかでした。語り口は静かでも、なんとなく嫌みな雰囲気が漂い、司会者の丁寧な“どうぞ手短に”の要請には、“答えの方を短く言ってもらえばいいんです”と驚きの言葉を返しました。

さて講演者はどんな応答をするだろうと、どきどきして聞いていると、“ご質問には大事な指摘がいくつかあったと思います”と質問への感謝と取れる一言から始めて、全ての問いにそれは丁寧に答え始めました。講演で言い足りなかったことを、これ幸いとばかりに語っているようにもみえて、否定されたことなど意にも介さず、悠々と自己実現した印象でした。

両者、語るという行為で感情を昇華させたことは同じでも、聴衆の一人として私が受け取ったものは雲泥の差がありました。何れも基にあるのは不安感です。その不安を前者は怒りで発散させ、後者は友好的に発散させたといえるでしょうか。知性化という衣を着けた表現や、感情と理性の問題など、考えさせられる両者のやり取りでした。

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混声合唱のような△

2009年09月11日 | 無意識の世界
無意識に動く心の仕組みを考えながら、まるで混声合唱みたいと浮んできました。あまり志向しない合唱を想うところが、自分の困惑を表しているようで、面白く感じるのですが、ユングの発見した内なる女性性と男性性を考えれば、こころの世界を混声と連想するのは、なかなか的を射ているかもしれません。イメージは意外に正確に現実を捉えるものです。

こころの歌声に耳を傾けるようになった或る日、問題があるのは抑圧というパートだと気付きました。抑圧、転移、逃避、知性化など、全部で14ある内の、どれに問題があるかは人によって違います。わたしの問題は抑圧でしたが、長年、声を張り上げすぎて、機能障害に陥っていたようなものでした。

こころの世界では、どのパートでも過度の使用は不安を生むといわれています。日々の不安感の中には14のどれかに問題があることを知らせようとして湧いてくるものもあるわけで、何かが上手く行かなくて悩みだすときというのは、内なる混声合唱の問題パートをあぶり出すチャンスともいえます。自分の思考と感情には、どんな傾向があるだろう?調子の悪い音を調整しなおして、何よりも自分にとって、心地よい歌声を響かせたいものです。

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