こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

2022/1/13

2022年01月13日 | Weblog
雪が舞っています
            *

日々の薪割は大変だけどやりがいを感じている。この本音-幸福曲線を知覚できなかったのはそれなりの理由があって、たぶん過剰な自己防衛の癖、習い性のようなことかもしれないなと推察しています。過剰な自己防衛があると自分自身になれない感じが絶えずつきまとい自己不信感漂う物語しか紡げない気がします。過剰な自己防衛がないか点検するには身近な人間関係で確かめるのが一番ですね。過剰な自己防衛は素直に健やかに感じることから、その人を(わたしを)遠ざけてしまいます。ひねくれた態度というのも過剰な自己防衛から出てくるのでしょうね。

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2022/1/10

2022年01月10日 | Weblog
薪ストーブにつかう薪は夏場に割って準備して冬になれば積み上げた薪の中から燃やす分だけ室内に運び入れる、これがふつうかもしれません。すぐ燃やせる状態にして積み上げておく方が確かに楽ですが、夏場に夫がカットして積み上げてくれた大量の丸太から私がその日の分だけ割って室内に運び入れるやり方が私は気に入っていて、薪ストーブのための薪割の日課が幸福曲線上にあることは最近になって気が付きました。気付くまで意識の上では「やらされている感」があった気がして、そうだとすれば意識と経験の乖離が甚だしいことだったと呆れつつも遅ればせながら今、意識と経験の一致が成ったことが実に喜ばしく、よかったねぇという心境です。私の薪割は斧は使いません。丸太をよっこらしょと台に据え楔(くさび)を立ててハンマーを振り下ろすやり方です。

丸太の素性は様々です。節だらけで難儀する木も多く、楔をいくつも使って四方八方から打ち込んでも割れないこともあって、この木はなんだったのか。何年か前にものすごく苦労したのがあって、木片を記念にとってあります。

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2022/1/5

2022年01月05日 | Weblog
反動形成

知らず知らずおさえこんでいたものを、意識化。少しずつ慎重に。薄紙をはぐように意識化が進むとすれば、それに呼応するように思考と感情と行動が変化するのはごく自然なことでしょう。この変化を固まりで見れば「反動形成」と呼ばれるもののようでもあり、果たしてこの反動形成を終了させ、ほどよいバランスのもとneutral地点に振り子が落ち着く日が来るのか。地上に居る間にその日が来るのか。ちょっと心配になりました。

制限付きの時や心身の思考から離れて、今ここにすべてが集約されている生命・魂の視点で見るの忘れると、なんだか焦ってしまいますね。地上の旅の間にその地点に辿り着くのか着かないのか、ここでいくら考えても解るものではないので、反動形成の時であるのならばその時を、在るがままの素直で進んでいくとしましょう。

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2022/1/3

2022年01月03日 | Weblog
年末からリネン・ラミー生地通販のサイトをチラチラ見ています。夏場のワンピース、スカートなど衣服だけでなく数年前にシーツの快適さを知ってから、身の回りを麻生地で整えたい思いがふつふつ湧いてきています。子供の頃、麻生地の最初の記憶は夏用お座布団でしょうか。葦簀と竹製団扇立て、そしてシャリ感ある麻の座布団と。シックな色合いの花模様のワンピースは6歳上の姉とデザイン違いで作ってもらって着られなくなってから生地をペンケースに貼って再生利用したのを思い出します。リネン・ラミーといった生地は子供時代の夏の思い出と重なる部分があって、それも惹かれる一因かもしれません。生地を取り寄せて縫物を再開するとなると、ミシンをどうするか。それが迷うところです。三十年近く愛用した重いミシンは3、4年前についに故障して、新品を使いこなすようなソーイングはもうしない気がして今日まできたのですが。

わが身の耐久年数を考えてみたところで、わかりません。とりあえず、軽いミシンで軽やかに縫っているわが身を想像して、プリント生地の布団カヴァーがナチュラルな麻に替わったところを想像して高揚感があるならば実行しようと思いますが、さてどうなるでしょう。


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2022/1/2

2022年01月02日 | Weblog
いつもの当たり前の方法が使えない、、、少しストレスを感じる状況にあります。不安を解消すべくあれこれ試しますが原因に辿り着けません。こうなったらいったん諦めて今できる目の前のことに集中するしかないですね。ストレス曲線に取り込まれて消耗することのないように、今ここにあるエネルギーを最大限に活かすには?などと考え出せればもうだいじょうぶ、動揺は止まってそんなに一大事なことでもなかったと思えてきました。持てるエネルギーをどのような方向へ、いかに有効に使っていけるか。それは自分次第、瞬間瞬間の選択にかかっているというところなのでしょう。このところ心的エネルギーと感情について、関連性についてちょうど考えていたところでした。

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2022/1/1

2022年01月01日 | Weblog
今朝は外水道が凍りました


ある人が過酷な生育環境にも関わらず歪むことなく純粋無垢な本質を守り抜いて大人になったとして。大人になったその人が成育史の労苦が報われる人生を歩むためには、心の奥に押し込められている感情の意識化が条件になるかもしれません。本音に恨みがあったとして、それが無意識に置かれたまま進むのはとても危険なことで、意識化されるまで何度でも同質の人に出会う羽目になるとしたらそんな残念なことはありません。恨むべき人は恨む。本音を認め受け容れたときに相手の人生を、なぜその人がそうであったのか。その人はなぜ私に恨まれるような状況でしか生きられなかったのか。その人とわたしの真実、地上を旅する魂が出会っている意味もはじめて見えてくるような気がします。

人は依存したい相手には恨みーネガティブな感情を抱けないようにできているので、自分の本音を認め受け容れるということは自分の足で立つことを受け容れるという意味もあるのですね。

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