こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

ハジメテノ音

2016年04月12日 | 
その日に限って居間のテレビをつけたまま二階へ。
一眠りして戻ってチャンネルをNHKに切り替えると、
N響と初音ミクの共演がまさに始まろうとしているところで、
へぇ~すごいタイミングと、驚きながらテレビの前に座りました。

紹介された「ハジメテノオト」は私も時々聴いている曲です。
そういう括りで合っているのかわかりませんが、アニメにも疎く、
インターネットも最小限の知識でかろうじて繋がっている程度の私が、
ボーカロイドの歌を聴いている。自分でも意外ですが、
最初に入手したCD(Piece of Cipher+)は曲のことは何も知らぬまま、
モノトーンで描かれた森を思わせるジャケットのイラストに強く魅かれました。

数枚のCDを時々聴いているだけで、ちっとも詳しくなりませんが、
“来るべき未来に繋がっている感”があるのが好いのですね。
今のところ、それ以外はコメントするほどのことは何もありません。
私のレベルではN響に共演が歓迎されていたかどうかも些細なコトです。
ただただ、あまりのタイミングのよさに茶柱がたったときのような興奮を覚えて、
一眠りした後だったことも手伝ってウキウキと見入ってしまいました。

ニューイヤーコンサートでお馴染みの行進曲にもテレビと一緒になって楽しく手拍子して、
このウキウキの展開に満足してスイッチを切ったのでした。
(ボーカロイド:ヤマハが開発した音声合成技術及びその応用製品の総称/ウィキペディア)

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しなやかに、晴れやかに

2016年03月23日 | 
いかに拘りなく、さらさらと流れてゆけるか。
いかにしなやかに、その瞬間、いちばん必要なコトを選択してゆけるか。

約束していた打ち合わせの日時を変更したいという連絡が入り、
あれ、その日はとても無理。常識的にも無理なのに、、と思いながら、
丁寧に返信を打ち込んでいたら、
私と同じ立場の人から、無理!という返信があったので、
「(常識的に考えて)それはそうですね、あらためて日時を決めなおしましょう」
という旨の連絡が入りました。

非難めいた感情を多少でも自覚しているときは、
差しさわりの無い丁寧な返答を考えながら手間取りますが、
送信する前に目的が達成できたのだから、
最初の連絡に対する返信は無効にして、
「あらためて日時を決めなおす」という提案に、
「了解しました」と返信しておけばよいのです。
それがこだわり無く、さらさらと流れてゆくことで、
今ここで、いちばん必要なコトを選択してゆくことになるのでしょう。

気持ちを切り替えて新しい提案にスマートに返信するのが理想だったけど、
今日はそうはいかなかったなァ…と。(非難めいた感情が、そもそもの間違?)

この一件で感情を引きずる感覚を再認識しつつ、小さな再確認をしつつ、
後悔はさらっと流して、今ここで必要なコトを生きることですね。
しなやかに晴れやかに流れてゆくとしましょう!

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誰ですか~?

2016年03月04日 | 
枯れ草を捨てようとして斜面に近づくと、
足音に驚いたのか、一目散に駆け下りる黒いもの目に入りました。
咄嗟に猫かな?なんだろう?と目で追いながら、
“誰ですか~!”と一声。小さめのイノシシだと判って、
“そこに居たんですか~”ともう一声。
このところ土手の上の球根を掘り返されて、
埋め戻し作業を夫がぼやいていましたが、犯人は、このコだったのか。。。

“また来ていたんですね~”
茂みに見えなくなるまで思いつくまま声をかけて、
その間、長い斜面をダダーッと下りる足を止めて、
“何?”という風情で彼は2度立ち止まりました。
聞き耳を立てる様子が思い出すだに可笑しくて、
あちこち掘り返す困ったさんなのだけど、
まあ、仕方がないか…あちらの事情もあるしと、考えるともなく考えて、
もしも彼に気付くや、“こらァ~!!”と叫んでいたならば、
あの聞き耳を立てる姿も叶わなかったことでしょう。

これは「心理的接触」が成った最初ではなかったか?と、
彼との心理的接触の原型として心に留めておこう…などと楽しく考えます。

これは人にも応用できるかな。ちょっと苦手と感じている人に対して。
思い込みは脇において、“誰ですか~?”
“そこに居たんですか~?”と、やわらかな気持ちで語りかけたなら、
もちろん声には出さず心の中で語りかけたなら、
難しかった心理的接触も叶うかも。。。と。
心理的接触は無理でも、少なくとも、うわァ来た~!!っと戦々恐々となるより、
一瞬でも穏やかな気配に包まれるのは確かでしょうね。

聞き耳立てていた彼は、“恐くないから、また行こう♪”なんて通ってくるでしょうか。
彼の動向と私の心と魂と。友好的感情に発展するかどうか。しばし様子見というところです^^)

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弛まず進みましょう

2016年02月15日 | 
もっと強い私であったなら出来たかもしれないけれど、
あの頃は、あれが限界だった。。。
力不足の自覚があって行動したこと(行動しなかったこと)は、
誰かの切実な願いに応じることができなかった結果になっても、
仕方がないことだったと諦めがついて悔いが残らないようです。
丁寧な自問自答とギリギリの選択によって為された行動だったと、
自分で思えるときには、行動に悔いはなく穏やかな気持ちで自己受容できるのです。

大事なコトは自分に正直であること。
今更ながらあらためて、そう思います。

丁寧な自問自答、言うは易しですが、
ガチガチの防衛機制の中で、しているつもりになっていたなんてこともあって、
そういうときの行動は、後から思うと自分に正直でなかったことが判ります。

深いところの思いと行動が一致することを意識していると、
自分に正直であるとき、孤独におかれることを実感します。
深く深く自分自身になるとき、人は孤独におかれるものかもしれません。

でもそれは厭うようなものでなく、
光の中の孤独感、宇宙に抱かれた孤独感と呼べるようなものです。

これまで知らなかった、清々しさを覚える今日この頃です。

自分に正直であることは魂に向かう道に不可欠の要素でもあるでしょう。
この道を弛まず進みたいものですね。

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お元気?…と、きかれたら

2016年02月10日 | 
お元気?、ご機嫌いかが?と声をかけられたら、
ハイ、好調ですと答えよう。ちょっとくらい風邪をひいていてもね。

人間は―私は、心と体と魂から成っているのであるから、
少々体調がわるいとしても、心にかかる小さな気がかりがあったとしても、
これからは魂である私に照準を合わせて答えるとしよう。
そう決めたからには魂の私に一致することを心がけなければならないし、
一致するのは難しいとしても、少なくとも魂の方に向かっている私でなければなりません。

魂は愛そのもの、体や心が病んだとしても魂は病むことがなく、
体が朽ちて物質としての私の姿が見えなくなっても体から離れて永遠に生き続けます。
そんな魂としての私を思い出している(意識できている)時間を長くしていけたらいいな。
これまでは魂を思い出して晴れやかな気持ちになっても、すぐに心と体だけの私に舞い戻って、
慣れ親しんだいつもの人生を歩みだす。。。それを繰り返してここまできたけれど、
そろそろ。逆のパターンを行きたくなりました。

自分一人で考えていても、外界との関わり、人々との交わりの中で表して行かなければ、
それを生きたことにはなりません。だから、
好調ですと答えるのは、それを表してゆくための一歩です。
(私の人生においてはで、誰にでもあてはまる方法ではないと思いますが)

気付いたら微笑んでみる。ちょっと上を向いて微笑んでみる。
魂としての私を思い出すために心がけていますが、
深刻になっていたら、体と心の私だけに同一化しているシグナルと思い、
意識を切り替えるのがよいのです、だから二コッと微笑んでみます。

魂の私は真剣に考えるけれど深刻にはならないのではないかな?
それもあって。お元気?ご機嫌いかが?ときかれたときには、
ハイ好調ですと答えてみたいと思うわけですね。
先日、実践しましたが、この次も、そうしてみようと思っています。

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人生が、夢の如しなら

2016年01月29日 | 
先に逝った身内と共に過ごした日々、
少女の頃、青年の頃、共に迷い共に悩み、
悲喜こもごもに大騒ぎした頃が、まるで夢のよう。
時折、生き残り同士、思い出話に花を咲かせるときも、
夢のように感じるねぇ、、と、同じ感想をもって締めくり終ります。

このごろ、その夢のように感ずる時期が短くなってきた気がして、
ついこの間のことも、ずいぶん経った出来事のように感じたりすることもあって、
人生は夢の如しであるな、という思いが強くなっているようです。

あちらの世界に行ってしまった人は夢の中で通り過ぎて行った人、
まだ、こちらの世界に居ても通り過ぎて行った人も数知れず、無数にいて、
そんな中で、通り過ぎずにいる人は一緒に夢を見ている人ということになって、
そのような人は私にとって生涯の友といえそうです。

姉の育児日誌は記されてから三十年以上経ちますが、
食に関心を寄せていたいたこともあって、一人娘の記録だけでなく、
姪によると折々の家族の食事日誌にもなっていたようです。
その中で実家の家族との外食では、妹である私が、
サーロインステーキを注文している記録があったと姪から聞いて、
本当に意外で、驚きましたが、ステーキを注文する自分というのは、
今はもちろん過去のセルフイメージから完全に抜け落ちていました。

21、2の頃はそうだったのか…。
そういう頃もあった。そういう私も居たとは、
なんだか知らなかった自分を知ったような、
忘れていた自分を思い出したようでもあり、ちょっと愉快です。

忘れている夢は数知れですが、忘れたままのものもあれば、
何かのきっかけで思い出す夢もあるでしょう。
何れにしても人生が夢であるならば、よい夢をみたいものだと思います。

よい夢を見るために。
日常の小さなことに、瞬間、瞬間の自由意志にかかっているということ。
瞬間、瞬間の選択が夢の内容を決めてゆくことになるとしたら、
この一瞬を。よい夢をみるための秘訣を生きぬきたいものですね!            

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瞬間、瞬間の~

2016年01月11日 | 
一瞬の愛、瞬間瞬間の愛。。。昨年末から
一瞬の~という言葉がよく浮かんでくるのですが、
愛というものが、これまで自分が思ってきたより、
もっと軽やかで、もっと瞬間的なものらしいことを感じだして、
日毎その思いは強くなり確信になってきています。

あたたかなものに触れるとき、
誰かのちょっとした心遣い、何気ない素振りに、
じーんときたり、ピンと張り詰めていた緊張が解れる(ほぐれる)瞬間、
あたたかなものを発信しているその人は気付いてないのです。
善いことを成している意識などはなく、その瞬間は、
たぶん、その人の「私」は消えて、同時に「あなた」も消えていて、
その瞬間は大いなる魂の内に溶け合っているとも言えるかもしれません。

素晴らしい音楽や絵画に触れて思わず息を呑む瞬間。
たぶんそれも同じ、愛と呼べるものです。
朝な夕なの息を呑む空の色、小鳥の囀りにハッとしたときも同じです。

瞬間、瞬間が勝負ではないかなと、思うのです。
さりげない瞬間に気付けるかどうか。気付いているかどうか。。。
気付いて気付いて、気付いた端からどんどん手放してゆく。

気付いて手放して、感じ入っては手放して。
それは瞬間瞬間に心を調えて、整えてゆくことだと感じます。

もしかしたら、“ああ、散らかったテーブル、、”とか、
“ああ、なんだか私、暗いトーンになっている、、”とか、
否定感を伴ってハッとした瞬間さえも、気付いた端から、
軽やかに手放してゆければ、一瞬にして愛に変身するのではないかな。

その瞬間に気付いて、手放して、
瞬間、瞬間に心を調えてゆく。まだまだ考え中ですが、
2016年、年の初めに感じている、私の愛です。
さて、あなたの感ずる愛は?いつか機会があったらきかせくださいね。

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ほんの、ささやかなコト

2015年11月24日 | 
なんとなく再会が楽しみ。
中年には早いけれど青い時期は抜け出そうかという年頃のAくんに
以前にはなかった親しみを感じるのは、なぜかなあ?
考えるともなく考えて、思い当たることが一つありました。

“○ちゃん(私のこと)はマーケットって言うからおもしろい”、
Aくんが言っていたと聞きました。
指摘されるまで気付かなかったのですが、確かに私は、
スーパーマーケットをスーパーと呼ばずにマーケットと呼んでいます。
スーパーで買い物でなく、マーケットで買い物という言い方をします。
自分ではぜんぜん気がつかなかったけれど。。。

それで。そんな感想を聞いたことから、Aくんになんだか親しみが湧いて来たらしい。
おもしろいって呟くAくんの中に小さな少年の彼を見てしまったからでしょうか^^)
以前見せてもらった写真の中の彼、子ども時代のメガネの向こうのクリクリした瞳と重なります。
平素の対話では決して見せないお顔を垣間見て、なんだかほのぼのとして、
それが親しみの理由かと、思い当たったわけです。

本当にささやかなことですが、他人への親しみの感情は、
こんな小さなコトがきっかけに生まれることもあるのですね。

(ささやかなコトを見過ごしませんように、そして囚われ過ぎませんように )

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天草で、ホームステイ

2015年11月07日 | 
熊本県は天草へ。飛び石連休を挟んで10日ほど、
姪の家にホームステイしてきました。
“うどん”という名の黒い犬(甲斐犬の混じった雑種)と
“ちゃんぽん”という名の仔猫(キジ猫系)と、
ほとんどの日をお留守番して過ごす文字通りのホームステイでした。

徒歩5分以内にスーパーマーケット、コンビ二、
鮮魚や新鮮な野菜、卵が調達できる道の駅があって、
町の中心部にある家ですが、国道が近い割には不思議なくらい音が気になりません。
片道3分の道の駅を往復する度に警察署の前を歩くので、
出動しようとしている白バイや隣接する消防署員の日課のランニングに
遭遇することもあって、へェ~っと感心しながら、
海辺の町の、私にとっては非日常の日常を満喫してきました。

もともとは大工さんの住まいだった借家に住みだして二ヶ月余り、
建て増しを繰り返したL字型の家と隣家に囲まれる形で
今は荒れに荒れた和風の庭があって、水が抜かれた池の脇には盆栽の残骸が、、、。
天草では住宅地を歩いてもドライブしながら眺めても盆栽のある家がけっこう目に入り
天草独特の点在する小島の風景が盆栽文化に影響を与えているのは間違いないのでしょう。

打ち捨てられた盆栽を眺めつつ、家に置いて来た実生のモミジ(3cmほど)の
植木鉢はだいじょうぶかなァ、水が切れていないか心配になりました。
行くまで天草の盆栽文化のことは知らなかったので、
最近の自分の興味と重なったことがちょっと愉快でした。
夫が初参加した、今年で10回目になる陶磁器展の次は、
同じ会場で大規模な盆栽展が開かれるようです。

ほとんどを家で過ごした日々の明日帰るという日の夕方に、
二階の窓から住宅の屋根越しに沈み行く太陽を見た途端、
こうはしていられないとばかりに道の駅の海まで速足で歩きました。
うどんを連れて追いかけてきた姪が隣で
これまでで最高の夕日かもしれない…と呟いています。
こうはしていられない!情動が湧いて来たことが、
なんだかとっても嬉しかった。

心と体と魂の…人を(私を)引き寄せる自然の力、太陽はかくも偉大ナリ。
天草ホームステイのハイライト、海に沈み行く夕日はとてもありがたい締めくくりとなりました。

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本来の私は・・・

2015年10月24日 | 
心理学的タイプの“内向”と“外向”、私の場合、
長い間、優勢な内向性を否定的に捉えて、
無理をして外向的に振舞う傾向があったようです。
無理しているとも思わず知らず知らず生きてきたわけですが、
ようやく老化という言葉がチラッと過ぎる今頃になって、
本来の内向性を素直に生きるようになってみて、
“本来”を生きるって楽だなぁと、しみじみ思います。

以前、心理学的タイプの分厚い本を読み込んでいた時期があって、
他所では話題にしませんが、家では事あるごとに持ち出して、
内向と外向と二つのタイプを理解することが、我が家ではとても役に立ちました。
ものごとに対する反応の違い、感じ方の違和感を、
タイプの違いが異なる反応を生み出しているのだと理解することで、
ストレスが和らぐということも少なくなかったのです。

タイプ論を著したユングが言うように、
本来のタイプを肯定的に理解して生きてゆくのがよいことを実感しますが、
おもしろいもので私が本来の内向的傾向を生きだしたのと、ほぼ同時期に、
相手も本来の外向性的な面がじわじわと現れてきて、
それぞれの人生が自然の成り行きで流れ出していると感じます。

必要に迫られてしぶしぶ始めたパソコン、スマホのインターネット生活が、
すっかり馴染んでSNSがほどよい息抜きと有意義な交流をもたらしているところは、
さすが外向性と感心していますが、その様子を横目で見ながら
そちらの世界から遠ざかる一方の私は、
人々と繋がるためにテレパシーの能力を目ざめさせるべきではないかと、
半分冗談、半分本気で考えているところです^^)

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