こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

雑感から、宝物

2020年02月12日 | 自己実現
この頃とみに時間の流れが速く感じられ、用事で週一度会う20年来の知人とは、もう一週間なんて!はやいっ!齢のせいね、、、挨拶のようにそんな言葉を交わします。実際は齢のせいというより、世の中の流れが速くなっていることの方が速い!と感ずることの大きな要素であると思うのですが、どうでしょう。

夕食の記録が中心の数行の日誌を付けていますが、驚かされるのは、ほんの数日の間に感動の中身がどんどん入れ替わり、よき刺激をもたらしてくれた人の名前が何人も記されたりするわけです。感動しては次から次へどんどん流れてゆくので、ああ、そんなことがあったっけ、メモを見返して記憶が呼び覚まされることもしょっちゅうです。このごろ人に(友人に)対して言葉少なになっているのは、この流れによるところも大きいのかもしれません。

語る暇もないほど目まぐるしく変化しているともいえるし、体験している心の流れを正確に説明できそうもないので、どうしても口数が少なくなるということもあるかもしれません。しかし間遠の交流が、人によって一年に数度の人もあれば、ひと月に一度、数日に一度とか、それぞれの交流が、この目まぐるしい変化の中で以前にもまして輝きを増しているようにも思われるのですね。お互いの体験や具体的な出来事を知らなくても、深いところで繋がっている信頼感があれば、それで十分というか。表層で何をしたとかしないとかは、あまり重要でなくなってきているように思われます。

目まぐるしさは、もちろんインターネットでもたらされる情報の多さに起因していますが、目まぐるしく変化する日々にあって感情も目まぐるしく変化して、生起する感情の強弱、色調を大いに味わい、さらさらと軽やかに流して次に進むのであれば、感情生活にとって情報量の多さは何らマイナスになるものではありません。要は適切に使う、関わることでしょう。

意識の表層では忘れても感動は確実にインプットされていますから、雑多な感動を毎日毎日インプットして・・・今朝、起床前のぼんやりした思考の中で、”なんだか、AIみたい…“と浮かびましたが、日々折々に心が感動したことが脳に、身体に蓄積されて、さてどんなことが起こるでしょう?日々の雑感が宝物になるのだろうと思いつつ。以前よりずっと、私は感情生活を楽しんでいるなあと、感じます。

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