あっちからこっちから、出来事が同時進行する中で、
変容は様々な要素が絡み合って成ってゆくもののようです。
ここ数年、私のこころは以前よりずっと自由になりました。
様々に絡み合う要素の中からこの変容の要素を一つあげるとすれば、
生育史に対する感情の意識化が成ったこと。それが一番大きい気がします。
生き甲斐の心理学を長く学んでいる中で、
生育史の悲喜こもごも、ストレス曲線、幸福曲線の様々な感情は、
十分意識化されて、それなりに自己分析できていると思っていました。
しかし、今感じているような“こころの自由”を得るためには、
それだけでは不十分だったようです。
意識化が成って、なるほどと、はじめて気づくわけですが、
「生育史に対する否定感」をきっぱり言い放った瞬間、
ああ、私は自分の生育史がこんなに嫌いだったんだと、
驚きながら、とてもすっきり、スカッとした感覚がありました。
体験してきた折々の出来事に対する思考と感情とは別に、
「私の生育史」という括りにおいて、
嫌いだと一度は言い放つことが必要だったのですね。
長く、あるものをないもののようにガラス戸越しに眺めてきたものを、
いっきに窓を開け放ち解放させたというところでしょう。
マグマの受け取り手は同じ空気の中で育った姪だったのですが、
いとも簡単に軽やかに「わかる、わかる」と共感的理解を示してくれたのは、
まあ、両者にとって必然のタイミングだったからかもしれません。
自分の故郷が好き、嫌い。自分の生育史が好き、嫌い。
どちらも本当、どちらも私、それでよいのです。
感情の流れを塞いでいた石が取り除かれて、
流れの起伏を楽しめるようになったのを実感する今日この頃であります。
人気ブログランキング クリックありがとうございます