こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

真実を、呼吸したい。。。

2018年09月20日 | 自己実現
3,4,5月は古代史の読書に集中して、
6月に入ってパタッと途絶えました。
しばし中断の後に再開すると思いきや、
いまだ兆しなく遠ざかったままなのですが。
6月以降は読むのではく朗読を聞く方に比重が移り、
最初は人の声は抵抗があってAIがお気に入りでした。

AIに抵抗がある方が多数派かもしれませんが、私は逆でした。
マリが、マリは、マリ、マリ、、、?ああシンリ、真理のことか。
マサヨシ? ああセイギ、正義ね。聴きながら笑っちゃいますが、
それがガス抜きの効果みたいに、心が和らいで、
或るとき、人の声で聴いてみようかという気になりました。

現在は人の声で聴く方がしっくりしていますが、
この流れから、なるほどと思うところがありました。

ここ1,2年人の声、歌声、朗読に対する抵抗感があって、
それが何故なのか、はっきり解らなかったのですが、
ある領域において自分の本心に抗って相当無理をして、
長い間、違和感のある内容を耳に入れたり、
無理をして場所に身を置いてきたせいで、その反動で、
すっかり人の声や歌声に嫌気がさしていたのだと、
そのように解釈すると、とてもすっきりします。

感情には意味があるし身体は正直であると、
この一件で一層その思いを強くしているのですが、
今、人の声の朗読、コーラス、ヴォーカルから、
美しいもの、真実を吸収できるようになったのは、
幸いの訪れ、祝福、真実の出会い。。。言葉では言い表せないほど、
私にとっては大きな大きな分岐点であったと、感じます。
〔57〕-3
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今ここに、耳を澄ませる

2018年09月13日 | 自己実現
リベラ Liberaの“彼方の光 Far away”、
美しい。。。我を忘れます。

曲が終わった後も夢見心地、つい余韻に浸りますが、
こんなふうに余韻を楽しむのは一見好いことに思えますが、
案外、落とし穴ではないかと、ちょっと警戒しています。

もう終わっている音楽に浸ることより、
今、耳に入ってくるものに意識を向けること。
過ぎた事の余韻に心をつかうよりも、
“今ここ”の現実に意識を切り替えることが大事かもしれません。
余韻を後にして今に意識を向ければ、窓から小鳥の囀りが耳に飛び込んできます。

今ここに在る現実を知覚する、
目の前の現実に耳を澄ませること。

意識の焦点をどこへ向けるか。
何気ない日常の一こまの意識的な切り替は、
記憶の執着を手放す練習にも通じると感じます。

今ここに在るのものに五感をつかう。
豊かな自然の営み、刻々移り行く森羅万象の“今”を逃しませんように。
〔57〕-2
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美しい。。。

2018年09月11日 | 自己実現
美しい、、、息をのんで聴き入っている、
自分にこういう日が来るとは。。。
音楽に触れること聴くことに用心深くなっていた時期があって、
それが過ぎてみると、以前には動かされることの少なかった人の声
―コーラスやボーカル―に、我を忘れて聴き入っているとは。。。驚きです。

音楽の余韻とともに、その後の在り様が変化するのがわかります。
思考が後退して、無心に近い行動が生まれるといったらよいでしょうか。
シンプルで軽やかな世界に移動(飛翔?)するといったらよいでしょうか。

美を感知することは何ごとにも代えがたい喜びです。

このところメディアで何度も何度も映し出される、
自分自身に素直で正直な言葉を聴きながら、
もたらされる喜びは、音楽からくるものと同じだなと思います。

内奥に潜んでいるものが呼び覚まされる感覚と言ったらよいでしょうか。

美しい。。。この感覚こそが思考に偏りすぎた私のこころを、
本来の私の在るところに、唯一導いてくれるもののような気がしてなりません。

内なる身体、魂の感覚を思い出させてくれる感覚といえると思います。
美を感受すること=生きる喜び

・・・・

〔57〕
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