こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

小道を、軽やか進みたい

2019年06月27日 | 自己実現
この感じは前と同じだわ、、、
同じ人々との関わりにおいて、以前経験したことのある、
同じ感情が出てきて、ちょっと心がざわつきます。
あれ、私は10年前とちっとも変ってない・・・?
愕然といってもいいようなショックと、いやいやそんなはずはないと、
ショックを打ち消したい思いがぶつかります。

(こんなふうに観察する余裕は以前にはなかったので、
それは大きな違いと言えば言えるかもしれません)

人間関係における感情体験は、直接的か間接的は別として
「愛の原型」が関係していることが多いので、
考えてみれば変らないのは当然と言えば当然かもしれません。
今ここで経験している感情と愛の原型との関連に思いが至り、
へぇ、こんなことでまだ凹むんだ、、それはそうだよね、
愛の原型に関係しているのだもの凹むよね…自問自答していると、
いつしか、ざわざわした感情は後退して入れ替わりに、
自分をクスッと笑ってしまうような、ちょっと愛おしいような感情が出てきました。

愛の原型に起因する感情のパターンは変らずとも、
大いに変化した自分のあり様にも気付き出しますが、
感情に縛られる時間がぐっと短縮されたことは大きな変化です。
感情を認めたなら、さらっと流して次のステップに進むことができる。
次のステップとは自分にとって一番大事なことに意識を向けることで、
自己実現の道の方へ意識を切り替えるといったら、ちょっと大袈裟ですが、
でも、そういうことだと思います。

凹んだ感情に縛られてグズグズと人生を停滞させていることが、
大事なことでないのは明白ですからね。

日々の感情の取り扱い、ちょっとした感情の取り扱いの積み重ねが、
人生を作っているといっても過言ではない気がして、
今ここの小さな歩みが鍵を握っていると、私には信念めいたものがあります。

愛の原型に起因する凹んだ感情について、しばし思い巡らした後、
自己実現の方に思考と感情を切り替えて、
夕べは美味しいシュウマイ作りに意識を集中させたことでした。
日々の小さなことの積み重ね、小さな自己実現の積み重ねが人生をつくっている。。。
(ではないでしょうか?)

軽やかに自己実現の小道を歩んでゆきたいですね。

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内なるもの、希求するもの

2019年06月10日 | 自己実現
平成から令和へ。改元の一連の行事に触れながら、
近代史に俄然興味が湧いてきました。
明治、大正、昭和を知ることは、自分の生育史で
合間見えた大人たちの生きた時代を知ることだったと、
今更ながら、こんな当たり前のことに感動しています、、。

大事件の顛末があって、そのとき何が起こっていたのか。
近代史では聞き取り調査の資料や、広範囲に渡り
分析作業を丹念に進めた著作やルポルタージュなど、
事件を巡って相対する両者の立場と言い分を
かなり正確に知ることができますが、それらを読み進めて、
そうだったのか!と新しい理解をいくつも得ることで、
それですっきりするかと言えばそうでもなくて、
どうして、こういうことになってしまうのか?
パタンと本を閉じては、けっきょく人間は何も変っていないし、
現在に至るまで同じ事を繰り返しているのだなァ。。。
そんな感情が湧いてくるのも正直なところなのです。

しかし、すっきりしない感情を抱きながらあれこれ思い巡らすことに
意味がある気がしているのも本当なので、
しばらくは興味と関心がこの時代に注がれることになるのでしょう。

生育史の背景にある薄ぼんやりしていたところに、
薄明かりが照らされたような、意外な意識化が起こることもあって、
ごくささやかなことでも、それはちょっと愉しいですね。
大正時代、上京していた祖父が丸ビルに居て大震災の難を逃れたという話を、
直接、聴いてみたかったと今になって思うなど想像もしませんでしたから。。。

歴史を知り思い巡らすことは鎮魂にも通じて、
内なる魂の希求であるかもしれない、ふとそんなことも思うのです。

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