こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

信じてほしいのは、誰?

2019年12月17日 | 自己実現
私のことを信じてほしい・・・そう言ったときのその人の心境は?どんなふうだったのか。随分前のやり取りを思い出しては、そんな自問をしているのは、たぶん出来事の経験が自分の中で何かすっきりと結論が出ていない、落としどころに落ちていない感じがずっと残っているからなのでしょう。

信じてほしいと発するとき、その人の心はどういう状況にあるのでしょう・・・??(はじめから騙すつもりの詐欺師は別として)その心は不安定でありましょう。不安感から発せられる言葉であると思いますが、それで本人に不安定の自覚があるかといえば、きっとない。愛(情)から発しているとだけ思い込んでいて、けっこう強いストレス曲線に置かれている状況のように思います。ある女性が反抗している娘に向かって「お母さんを信じてほしい」と言うとき、その女性(母)のストレスはとても強いものがあるようにみえます。

なんとか信頼関係を結びたい。その切なる願いの切り札の言葉が「信じてほしい」なので、どんなに冷静沈着なトーンで言ったとしても、その心中には切羽詰ったものがありそうです。もちろんそれは発する側の切り札なのであって、受け手の心の状態によって、その効力はバラつきがあることでしょう。

あなたと私の関係において身近な人から、「あなたは信じてくれない」「信じていないから、そういうことを言うのだ」となじられたとして。何言っているんだろう、この人、、、歯牙にもかけない私であるならば、なじられたことで多少の怒りを覚えつつ、この人は自身に対する無意識の不満や自己不信を私に投影して、こんなことを言っているだけだと判断することでしょう。

そのように判断しつつ、不穏なやり取りを不毛な喧嘩で終わらせたくないのなら、生き甲斐の心理学を思い出すことですね。生き甲斐の心理学のテキストに、こんなことが書かれています。<自分は今、互いが幸福になる為に、相手の心の状態に比べて心を安定させ、統合させ、調和した状態にしなければ、この混乱と錯乱は防げない、よし、やってみようと想う必要があります。それが愛の心です。>テキスト31pより

あなたと私の関係の中で、あなたと私自身の怒りや混乱を意識、知覚したのなら、私の方が先ず目を凝らして愛のカケラを自分の中に必死に探して、「よし、やってみよう」と、そう想う私であれたらいいな。

遠い昔に言われた「私のことを信じてほしい」、そんなことを言ったのはその人が強いストレス曲線の中にいたからと結論づけることにして・・・決着をつけることにします。
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