こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

車中にて。

2012年05月28日 | 未整理
このところ信州⇔東京を新幹線でなく高速バスを利用しています。
あれこれ思考を巡らすのに、景色の流れと振動がバスはちょうどよく、
今回は好きか嫌いか、怖いか怖くないか。
数多の感情のもとになっている四つの感情を、
あらためて身近な人間関係に照らして意識してみると、
思うところ、気付くところがいろいろあって3時間はあっという間に過ぎました。

惰性でつきあえる関係ほど、よくもわるくも自分の素の部分が出ます。

基本的には好き。そして怖くなければ、それがいちばんハッピーな関係ですが、
そのような関係をあらためて意識してみると、
相手に対して少々感謝の念が足りなかったと、殊勝な気持ちになったりします。

怖くない相手の前では、抑制的なものが解かれて、
モヤモヤしたものを気楽に発散させてしまいます。
それで後になって自分の防衛機制の傾向にハッとして、
ああまたやってる・・・と気付いたりします。
怖くない相手の前では、ついタガが弛みますが、
怖くない場所でこそ、今ここでの知覚の精度を高めるべきかもしれません。

タガを弛めすぎない、ほどほどの安穏・・・どんな場所でも
高速バスの揺れ心地のように多少の緊張感をもって、生きてゆくのがよいのでしょう。
 20年前に手堀りした池。よい風情になりました。
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環境を変化させると

2012年05月17日 | 未整理

懸案だった鹿避けネットが、ようやくできました。家人の作です。
私の竹と木の枝の心もとないものと違って、四隅に太いポールを固定して高さも2m近くあります。
今朝見たら、ネットに沿って鹿の足跡がありました。
あれれ、はいれない、、・・・鹿の呟きが聞こえてきそうです^^)
とりあえず、まだ間に合いそうなオクラの種だけ撒きました。

この半年あまり日々のストレスの中味―不安感の中味が、だいぶ変化してきました。
昨年の今頃に比べれば、不安感の内容は激変しましたが、
自分ではどうしようもないストレスに巻き込まれるのは別にして、
自分の現状をよく吟味して、考え方を整理して、
ここ半年ぐらい、“環境を変化させてみる”ことを意識してきました。
その結果、ストレスをバネにして自分がそうありたい方向へ駒を進めてゆくことができるように
ストレスの内容を変化させることに成功したようです。

インターネットの交流を休止していることが、いちばん大きな環境の変化かもしれません。

自分で変えられる環境を思い切って変えたら、埋もれていた何かが動き出して、
もっと生き甲斐を感じるようになる・・・自分の中に埋もれている領域がないでしょうか?

ネットに沿った鹿の足跡を眺めながら、心の防衛機制を連想してしまったのですが、
ほどよく防衛機制を働かせながら日々のストレスをバネにして生きてゆく…私らしく。そうありたいものです。

今年ほど日々刻々の木々の移ろいを楽しんだことは、これまでなかったような気がします。
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不安感を意識する

2012年05月14日 | 未整理
わぁ、胃がへんになる・・・
追い詰められたような、圧迫感を感じ出す等、
知らず知らず身体症状にでるまで我慢していたのは、私に責任があります。
そうなる前に不安感をよく意識できたなら、もっと別の対応がとれたかもしれません。

どうもついていけない。あなたの話についてゆけなくなった。
暫くこの話題を中止したい。理路整然と説明できなくても、
自分が不安であること、あなたとの交流の中で覚える違和感を、
とつとつとでも相手に伝えるのは、早いほどよいのだと思います。

不安感を越えて、怒りや身体症状がでてくるまで我慢してしまうと、
もうこれ以上は無理と、脱兎のごとく逃げ出す羽目になります。
逃げるだけ遠ざかるだけで精一杯、そこに説明する余裕はありません。
取り乱して説明すれば、あなたを非難する言葉が飛び出して収拾がつかなくなりそうです。

自分を大切にするということは、不安感を意識して、それ以上
ストレス曲線を上り詰めることのないように、手を打つことです。
不安感のうちならば、あなたにも冷静に自分を伝えることができるとすれば、
不安感を意識することは、相手を大切にすることにも繋がるわけです。

自分を大切にしているか?という問いかけは、私にとっては、
不安感を意識できているか?と問うのと同じかもしれません。
意識できなかったばかりに、最後は無言で遠ざかってしまった。
意識できなかったばかりに、自分と相手を大切に出来なかった過去を思いつつ、
日常の中で不安を意識するということがどういうことか、あらためて考えています。
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共感能力について

2012年05月10日 | 未整理
日常生活の中で、誰かの悩み、愚痴を聞きながら、
あの人はちっとも解ってくれないのと、ぼやかれている対象の方に、
同情が湧いてきてしまうことがあります。

<他者がどのように感じているかを、心で汲み取ることができない>
周囲から同意されることが当たり前の環境で大人になると、
相手の気持ちを汲み取る以前に、同意してくれない不満の方が先にたつようです。
それ以外でも、何らかの理由で共感能力を身につけてこなかった人の悩みを聞くとき、
とにかく、こちらが言葉に窮して、どうしたものかと…困惑します。

そういう態度をとれば相手がそうするのも当然と思うけれどと、
言える相手であれば、伝える方が親切かもしれません。
一時的にピシャッと心のドアを閉じられるのも覚悟の上で、ですが。
それでも尚、その人と関わっていく意思があればそうすべきときもあるでしょう。

共感能力の欠如は、他者に共感する能力だけでなく、
共感されるということがどういうことか、その感覚と体感も鈍いか、または知りません。
だから時間をかけて同意でなく共感する立場で、“傾聴に徹する”のも一つの方法です。
同意という甘言に慣れた相手には、なかなか通じにくいかもしれませんが、
愛の訓練とは、たぶんこういうことで、厳しい道のりだと思います。

また共感能力というと、他者を共感することばかりに意識が向きがちですが、
共感されることがどういうことか。誰かに共感されたときの知覚、体感をスケールとして、
自分の中にしっかりもっていること。これがとても大事と思われます。

同意されて安心する自分、知的に理解してもらって満足する自分が、
あまり長続きしないのに比べて、心で汲み取ってもらって安心するときの体感、
共感されたときに湧いてくるしみじみとした感情体験は、生きる力に結びついていくようです。

共感されるということがどういことか意識することは、一時的には、
これまで意識したことのなかったような孤独感を意識することになるかもしれません。
しかし、この孤独感を知ってはじめて、他者に対する本当の共感も生まれてくると思うのです。

(生き甲斐の心理学・第一章“愛の領域”を参考にしています)
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期待感について

2012年05月06日 | 未整理
“期待する”という心の動きは、未来に対する肯定感という意味で、
希望する心にも通ずるように思います。
よい意味での期待感は生きる張合いにもなるでしょう。
あまりよくないのは、誰かを当てにするとか、他力本願の臭いがする期待感です。

誰かに期待を寄せるというのは、期待はずれに合うこともあるので、
がっかりしたくないから人には期待しないことにしているという人もいます。
同じ言葉でも他者肯定の立場で語られる場合と、他者否定の立場で語られる場合があって、
前者は爽やかに我が道を歩いている感じがするのに対して、後者は強力な防衛機制を感じます。

さて私はどうだろうか?と考えてみると、期待することに抑制的な方かもしれません。
期待がはずれて落胆したくないからというより、期待がはずれたときの感情体験に耐えられないから、
つまり無意識的にストレス曲線の感情を極力回避するための“期待しない”なのです。
ここだけ見ると、なんだか逃げ腰の人生みたいですね。

それとは対照的に何度がっかりさせられても、懲りずに期待する人もいます。
落胆しても落胆しても、誰かに期待を寄せることを止めません。
この違いは、人それぞれ心を安定させる指向性の違いからきていると思われますが、
自己肯定、他者肯定で期待感をもつ人は、傍で見ていて爽やかな印象を受けます。

さて期待感を抑制することが心の安定に繋がるとしたら、それはそれとして良しとしても、
自他肯定と希望する心はいついかなるときも、しっかり育てておきたいものです。そして、
ストレス曲線があるから幸福曲線の感情も存分に体験できるのだということも肝に銘じておくことにします。
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印象が変わる、評価が変わる

2012年05月03日 | 未整理
新緑の若葉の中で、ざくろの赤色の若葉がよく映えます。
居間の窓から眺めては、きれいだわ~と、うっとりしていましたが、
あるとき赤色が妙にきつく感じられ、あんなに感激したのがうそみたいと思います。
木々の色合いは変化していくので、印象が変化することはありますが、
この間の感動がうそみたいと思うのは、木々の変化というよりは、
わたしの心の状態のせいで印象ががらっと変わってしまったのでしょう。

知り合いの中に、ときどき印象ががらっと変わる人がいます。
印象というより、“わたしの評価が”という方が正確ですが、
実は自分に起こるこの現象を、ヘンねと思いながら興味深く観察しています。

最初は自分の見え方に問題があるとは思いませんでした。
自分に見る目がなかったぐらいに考えていたのですが、
わたしの心の状態で印象が変わるらしいと気付いてから、
どういう状況で、わたしがそのように変化するのか興味が湧いてきました。

この場合の変化は、なんとなく他者否定的に傾いてくることで、
状況によって、わたしの心に他者否定が起こってくるようです。

自分に起こることは、できるだけ正確に表現するべし、と思いますが、
誰かに対する“自分の評価が極端に変わること”に気付いたならば、
自分観察の、よい機会が巡ってきたと捉えてみるとよいかもしれません。
きっと大事なこと、自分の傾向に気付くと思います。

今日は雨模様のお天気に、ざくの赤葉も落ち着いて滲むような美しさを感じます。
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