こころの羅針盤

私の人生に待ちうける「意識」の大海原・・・心と身体と魂と、日々の感情生活を語ります。

褒められれば嬉しい、でも…

2012年03月31日 | 未整理
褒めて相手をその気にさせることは、人間関係ではよくあることです。
軽いことから重い事柄まで、その気になって人生がよい方へ展開することもあれば、
その気になったばかりに人生が混乱して、収拾がつかなくなることもあるでしょう。

褒められるのは嬉しい。でも果たして本当にそうなのだろうか。
褒められる内容に、自分は素直に同意できるかどうか。
自分の現実をよく吟味することなしに、褒め言葉にうかうかのってしまうとしたら、
私の中の“自己の重要性、ユニークさに関する誇大感”が刺激されたせいかもしれません。

その気にさせる褒め言葉にうかうか乗ってしまうのは、こころが鈍磨しているときで
防衛機制に問題がありそうです。深い深い抑圧が関係しているかもしれません。
ある時期の私は褒め言葉を吟味するだけの余裕がありませんでした。

褒め言葉に対する反応も人それぞれで生育史の数だけ反応は違ってきます。
自分の中の“自己の重要性、ユニークさに関する誇大感”の要素を考えることで、
以前だったら“鼻に付くわ”とあっさり切り捨てていた相手の態度も、
どうしてそうなのかな?と興味が湧いて、相手を理解する余裕がでてくるかもしれませんね。
                              (生き甲斐の心理学・9頁を参照)
?形の尻尾のマヤ坊
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人間は好きか、嫌いか…

2012年03月30日 | 未整理
なぜ、こんなあてつけがましいことするんだろう?
もしかすると、相手はあてつけているつもりはないのかもしれません。
でも自分の防衛機制をチェックして、現実吟味に思いをいたして、
それであてつけと感じるのなら、それがわたしにとっての現実なのです。

人のやり方が気に入らないので、あてつけのような態度をとる。
こんな態度に接すると、たちまちストレス曲線に追い込まれて人間がイヤになります。
自分を率直に表したり、人と接することも怖くなります。

人が怖くなり、シュンとして縮こまってしまう。
そんなとき、素直に語れる友人が一人いれば人間嫌いは回避できそうです。
怖くなったりシュンとしてしまった心を否定も肯定もせずに聴いてくれる存在。
感情に寄り添ってくれる友が一人いれば、不機嫌な言葉(あてつける言葉)は放っておいて、
私は私の道をゆけばよいのだと、ふつふつと元気が湧いてきます。

更に、あてつける言動でストレスを発散させているらしい。
どうもそれは変わらない傾向のようなので、振り回されないようにしよう。
心の仕組みを理解していると、イヤな態度に対しても判断がつくようになりますが、
知識と共に、否定も肯定もせずに傾聴してもらう体験、
あなたとわたしの信頼関係において成される受容されているという経験が、
よい聴き手になるために、何よりも大事なことなのだと思います。


「自分は人間嫌いのカウンセラー、自分は人間恐怖症のカウンセラーと自覚した上で、
カウンセリングの勉強をしていくことが重要です。」
生き甲斐の心理学〔2〕人間の本質は不安p8より
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感情が、意識できると

2012年03月28日 | 未整理
否定的な感情があると、それを言葉で伝えなくても、
否定的なニュアンスが言外に、気配で相手に伝わっていくようです。

感情が意識できているときと、まったく無意識的のときがありますが、
意識できないまま感情だけが相手に伝わっていくのと、
意識しながら相手にそれが伝わるのを予想して行動するのでは、
自覚的に生きるという意味で、私は後者を望みます。

意識できることは素晴らしい。
感情が意識できてはじめて、コントロールするという次のステップに進めるのだから。

意識しながら、相手にそれが伝わるのを予想して行動する。
どの程度の感情をよしとして、その感情に基づいて行動するのか。
これが案外、人の器の大きさを決めてゆくのかもしれないと感じます。
コントロールの有り様が個性をつくっているとも思います。

相手への批難や若干の否定感、糾したい要求を意識したときに、
そのまま突っ走るのでなく、しばし留まり自問自答して、
肯定的かつ建設的な意識で関わってゆく態度がとれること。
周りを見回して常々、“すごい”と私が感心するのは、
そのような人々なのだと、あらためて思います。

さて相手の意識・無意識を問わず、否定感を感じ取ったとき、
人に生まれる感情はストレス曲線の感情です。
すごい人もすごくない人も、生まれる感情に大差はありません。
しかしそこからが分かれ道で、不安や緊張感から瞬時に抜け出す人もいれば、
不安感が膨らんで怒りだして、否定的態度に発展してしまう人もいます。

自分の感情に意識的に関われることが、幸福な人生への一歩だと思います。

「学問は大切ですが、もっとも大切な物、それは現在の自分の本音。
倫理・道徳も大切ですが、今の自分の感情・本音を倫理・道徳を越えて、
正直に感じ取ること。」生き甲斐の心理学・7ページ〔2〕人間の本質は不安より
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憧れが、埋もれている

2012年03月26日 | 未整理
いろいろと身辺で悲しいことが重なっている時期に、
友人に会って会話して、ほっとするどころかカナシミのダメ押しをされたような体験。。。
友人に理解されていないという別のカナシミが加わって、人生の中でも
ベスト3に入るくらいの最悪な時期の、忘れられない出来事です。

時が経ち冷静に考える余裕がでると、あの時は相手もストレスを抱えていて、
わたしを“聴く”だけの余裕がなかったのだ、仕方がなかったのだと解りますが、
思考で解決がついても、正直、感情の傷はまだ疼く感じが残っています。

思考ではゆるせても、感情的にはゆるしていないと自覚するとき、
会わないで、距離をおくのがいちばん安全なのでしょう。
しかし二度と付き合う気がないのなら、距離をとり続ければ済む話ですが、
そうでないなら、どこかで、この波立つ心を穏やかに納める努力が要ります。

それでふと子供の頃に好きだった、“おうさまとうぐいす”の童話を思いました。
王様がゼンマイ仕掛けのウグイスに心惹かれ、うぐいすを忘れ去ったとき、
うぐいすの悲しみはどれほどのものだったか。
王様が病に倒れて、昔の友情が復活するまでのうぐいすの心の流れはどんなだったか。
うぐいすの感情を勝手に想像しながら、うぐいすと自分を重ねたりしていると、
わたしもきっと大丈夫…という気になってきます。

ここでは物語を反芻しながら、うぐいすの在りように憧れるというのが要かもしれません。
子供の頃に惹かれた物語には往々に愛とゆるしの要素がちりばめられていることに気付きますが、
子供心に惹き付けられた物語から愛への憧れが見て取れるような気がします。

「カウンセラーは生涯勉強する必要がありますが、愛とは何かを常に模索して生きていく必要もあるようです。」
生き甲斐の心理学・p6〔1〕理想的なカウンセリングより

愛とは何か。自分の中の愛、愛への憧れ。愛とゆるしへの憧れを、
子供の頃に惹かれた物語や、子供心に印象に残っている出来事から探るのもわるくありません。
人は思う以上に心の奥深く、愛とゆるしへの憧れをもっているものではないかと思うのです。
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いつになく長い、、、

2012年03月24日 | 未整理
最後に更新してから、ずいぶん時間が経ってしまいました。
この間、訪問くださった未知の方、既知の方にご心配おかけしたかもしれません。すみません。
いつになく長い間になってしまいましたが、また書き出したいと思います。

おもいきって世界を狭めてみたら、世界を広げ過ぎていた自分に気づきました。
自分の消化能力(最初に昇華能力と変換、これも当たっているかも…)以上に、
あれもこれもと、広げすぎていたような気がします。

体力の低下(加齢他で)で狭めざるを得なかったことも幸いしたかもしれません。
少ない量で事足りている自分に気付いたのは、発見でしたが、
同時に、小さな事をもっと深めたいという気持ちも強まったようです。

消化能力は人それぞれ、自分の体感で感じる外ありませんが、
自分の適量をしみじみ味わって生きるとき、人々の食物の好みや消化能力、
その味わい方を、今よりもっと楽しく眺めている自分を想像してしまいます。

適量を知ることが自分を大切にするということの、私の新しい一歩かもしれません。
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