平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
梅雨末期、大雨雑感
梅雨の末期、全国あちこちで大雨の被害が伝えられている。九州でも山陰でも長野県でも、今年の梅雨末期は一気に降らなくても長い時間雨が続いて、地盤が耐えられなくなって土砂崩れや山津波が起こり、また増水で堤防の決壊が起こっている。また今日は南九州でこの数日間で1mの降雨量があったと聞くと、これも温暖化の影響かと思わざるを得ない。
死者の出る災害で最近多いことは、行政が迅速な避難の呼びかけを怠ったため、死ななくてもよい人が災害に巻き込まれて死んでいることである。もう一時間早く避難していたら、こんな災害には巻き込まれることはなかった、という声も聞いた。
行政の言い訳を聞くと、人の命を預かっているという緊張感が欠如していると感じる。他の行政が、過去の災害時の失敗を教訓として、避難の呼びかけの際には判り難い専門用語は避けて、状況を具体的に説明して避難を呼びかけると言っていた。そんな情報にも接しているはずである。過去の災害を他山の石として、自分たちの行動を律することがどうして出来なかったのであろうか。
大雨の農業に対する被害が何百億になったという報道もあった。しかし、この雨が農業に与えたプラス影響は報道されることはない。かつて紀州では一雨千両といわれ、一雨降ると山々の森林が成長し、それを金に換算すれば千両に匹敵するいわれた。ちょっと見方を変えてみると、日本の気候では夏の暑さの前に、たっぷりと雨が降り、夏の水不足も日照りの被害も無い。世界の乾燥地帯からみると信じられない素晴らしい自然の恩恵である。
過去に空梅雨だった年はダムが干上がり、取水制限をしたこともある。いたずらに被害ばかりの報道に偏するのでは無く、この雨がもたらした恩恵や、生活用水のためのダムの貯水状況なども、報道の対象にすべきだと思う。
そんなことを考えていたが、この雨は、そんな思いを吹き飛ばしてしまうような、とんでもない降り方である。
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