平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
葬式でA氏とK氏とお話しする
「専務」の葬式が終わって、精進落しの席で久し振りにA氏とK氏とお話した。二人とも小さいながら会社の社長をやってきた人たちである。
A氏は自分より8歳上の73歳、入社後の若い頃に上司で、仕事を色々教わった方である。近況を聞くと、ゴルフや散歩とは別に、近頃は自転車をやっているという。自転車はけっこうきつくて、カロリーの消費も歩くよりもはるかに多い。特に自宅が牧之原の上にあるため、帰りはいつも坂を登る事になり、大変だと話す。やや皺は増えたけれども、メタボには縁が無さそうで、若々しくみえる。けれども、体力的にはかなり落ちたという。
昔から歴史小説を中心にたくさん本を読んでおられるとは聞いていたが、今は年に200冊ほど読んでいるという。200冊だと一日一冊くらいのペースでないとこなせないでしょう。その通りで、どうしても本を読む気にならない日もあるから。自分はもっぱら図書館で借りて読んでいるけれども、図書館は利用していないらしい。買ってある本をくり返し読んでいるという。中には毎年一回は読むことにしている本もある。それは自分とは違う読書方法である。お遍路に行った話をして、その記録を送るので読んでみてもらいたいと話した。
K氏とは立ち話であった。自分より2歳下の63歳、まだ現役の社長である。今会社はどこでも大変な状況で、貴方は本当にいいときに引かれた。今は引くも地獄、進むも地獄、特に自動車の下請け工場などは酷いものだと話す。
自分は、最近は古文書の解読を勉強していると話していると、隣りで奥様が、この人のお父さんは島田在住で、退職してから古文書の勉強をしていた。亡くなってもう13年になるけれども、最晩年には大学の先生が教わりに来るほどだったと話す。靜岡に駿河古文書会と言うのがあって、そこに入って勉強しているというと、駿河古文書会は父から聞いたことがある。きっと父もその会に入っていたのではないかと思う。昔からの名簿があるから見てみましょうと話した。
退職してから古文書解読の勉強を始めた実例がここにあった。大いに勇気付けられる話である。お葬式では日頃会えない人に会うことが出来る。それは故人が導いてくれた縁なのであろう。
家に帰って早速「駿河古文書会の活動と現状 - 創立40周年を迎えて -」という小冊子を見ると、最後に、この40年間の会員名簿が付いていて、名前を探すと129番目に「藤波伊助」という名前が載っていた。「S51~H10 平成10年逝去」と記載されていた。ちなみに自分は417番目、後ろから数えて3番目である。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 「専務」の通... | 木谷恭介著「... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |