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小川国夫文学碑と長楽寺

(藤枝市文学館の小川国夫文学碑)

(昨日の続き)
藤枝市文学館の脇に小川国夫の文学碑が出来た。この4月10日に除幕式があったばかりの文学碑である。碑面には「彼の故郷」という小説から取った一節が刻まれていた。

    彼はこの路地の明るさが好きだった。
    他所とは微妙な差がある感じだった。
    行く手の高い竹薮の深くまで、
    澄んだ水の中のように、
    緑の光がゆらいでいた。


小川国夫が藤枝の長楽寺で生まれ、藤枝の長楽寺に戻って長年作家活動をしたと、ビデオで話していた。映像にも映っていた長楽寺に行ってみたいと思い、帰りの車を走らせた。長楽寺は岡出山公園の麓にあるらしい。少し迷ったけれども、かなりあてずっぽうに、車一台で一杯の路地に分け入った。向こうから日傘を差してくる女性を、車を止めて待たねばならないほどの細い道だった。

あたりの狭い路地に、家が建て込んでいる感じが無かった。家の周りに庭などのスペースがあるからであろう。住宅地で高い建物は無く緑が多い。夏の焼けるような日差しを受けて静まり返っていた。文学碑にあった路地はこの辺りのことを書いたものだろうと思った。


(長楽寺山門)

その先の山門前に寺名を刻んだ石柱が立っていた。随分と奥まった駐車場へ車を止めて境内を歩いた。暑い昼下がりの本堂からは読経が聞こえていた。先ほど見たビデオでは、作家は長楽寺の住職と境内から山門に向かって参道を話しながら歩いていた。両側には白梅の花が咲いていた。今見ると参道両側の梅の木は緑に覆われていた。

境内と墓地が渾然一体となっていて、中に作家のお墓もあるのだろうかと少し目で追ったが、そんな案内板もなく、ふと彼が若い時に洗礼を受けたという事を思い出した。お寺にお墓があるわけはないかと思い直した。

後に、ネットで調べたところ、作家が生まれたという長楽寺は門前に広がった町名であったようだ。現在本町一丁目という住所になっている。何とも味気ない背番号のような町名である。地図に「長楽寺商店街」「長楽寺会館」などの表示がまだ残っている。生家は街道沿いで鋼材、製紙用資材、肥料などを商っていたという。

小川国夫は3年前の平成20年4月8日(お釈迦様の誕生日)に靜岡の病院で亡くなった。没年80歳。意外にも、島田市旗指の敬信寺が菩提寺で、お墓があるという。近くである。これは一度見に行って来なければならない。もっとも、その前に、作家の作品を読んでからにしよう。
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