平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
ヘンロ小屋プロジェクト
お遍路で歩いていて、各所にお遍路の休憩所がある。個人、地域、行政、お寺など、色々なところが作っていて、お遍路には大変助かるお接待の一形式である。ただ日陰を提供しているだけのものから、飲み物が準備されていたり、手洗いが使えたり、中には宿泊も出来る休憩所もある。
その中でも楽しいのは、建築家の歌一洋氏が提唱する「四国八十八ヶ所ヘンロ小屋プロジェクト」である。歌氏は徳島県海陽町生まれで、子供の頃からお遍路さんを身近に見ながら育ってきた。建築設計の仕事を生かして遍路道の各所にユニークなヘンロ小屋を作り、お遍路文化を後世まで残して行きたいと、プロジェクトを立ち上げた。
自ら遍路道を調査し候補地を探した。それぞれの場所に因んだデザインをして、徳島市で展示会を開き、プロジェクトの構想を発表した。反響は予想以上に大きく、構想発表から10年で、遍路道の33ヶ所にユニークなヘンロ小屋が出来た。設計以外は地元の個人、住民グループ、企業などがボランティアで、資材、労力、お金を出し合って建設された。
お遍路をしていて、見逃したものもあるが、幾つか目にし、何ヶ所かでは実際に休憩を取った。最初に目にしたのは徳島市内の「眉山のヘンロ小屋」で、阿波踊りの鳥追い笠の形をした有名なものである。6月6日に書き込んだ。
(阿瀬比のヘンロ小屋)
二つ目は徳島県阿南市の大根峠にさしかかる手前にあった、「阿瀬比のヘンロ小屋」である。道路脇の三角地に、村の縁側をイメージして作られたという。
(鉦打のヘンロ小屋)
三つ目は同じ阿南市で弥谷観音の手前の国道端にあった「鉦打のヘンロ小屋」である。空海ゆかりの「尻無し貝」をイメージして造られた。弘法大師が川を渡ろうとすると足に刺さるものがある。貝の尖った部分が刺さり旅人を悩ましていた。空海は加治をして貝の尻の尖った部分を無くし、ナツメのように丸い貝に変えてしまわれた。以来渡河の場所に棲息する貝だけが丸くて棘が無く、「尻無し貝」と呼ばれるようになった。ヘンロ小屋の周りには、お遍路さんの喉を潤そうと、かんきつ類などの果物の木が植えられいる。まだ実が生るほどには大きくなっていないようで、雑草に埋もれていた。
四つ目は鯖大師の先、海陽町の街中にあった「香峰のヘンロ小屋」である。徳島県海陽町は歌氏の故郷で、ヘンロ小屋第1号である。
(香我美のヘンロ小屋)
五つ目は高知県香南市にある「香我美のヘンロ小屋」である。この地に昔からある土佐凧をイメージして造られている。ここにはクーラーボックスに缶飲料が冷やしてあったので1本頂いた。小屋の管理者がたまたまやってきて小屋建設の話を詳しく聞いた。
六つ目は高知県香美市の松本大師堂である。ここは元あった大師堂が改築されてヘンロ小屋を兼ねていた。5月19日当日に書き込んでいるが、その時はヘンロ小屋の一つであるとは気付いていなかった。
(蒲原のヘンロ小屋)
七つ目に高知市に入る直前、コンクリート壁と道路のわずかな余地に造られた「蒲原のヘンロ小屋」である。道のすぐ上の会社社長が率先し、社員が全員で間伐材を使って作り上げたユニークな小屋である。携帯が鳴って、何のようだったか忘れたが、会社のS氏から電話があったのはこの小屋で小休止している時だった。
この七つ以外に、徳島県勝浦町の宿泊した金子やのそばと、徳島県最南端の宍喰(ここでも一泊した)にもヘンロ小屋があったようだが、コースがわずかに外れて見ることなく先へ進んでしまった。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 13日30ヶ... | 「剱岳、点の... » |
コメント |
コメントはありません。 |
コメントを投稿する |