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北山本門寺の五重塔跡

(北山本門寺の五重塔模型)

大石寺の東、2kmのところに本門寺がある。このお寺には、昔「題目杉」を見に来たことがあった。他にも本門寺というお寺が幾つかあるので、ここの本門寺は地名を取って「北山本門寺」(あるいは「重須(おもす)本門寺」)と呼ばれている。

北山本門寺は日蓮宗の七大本山の1つで、日興の法脈を継承しているという。正式呼称は「法華本門寺根源」と言い、山号は富士山。日蓮は寺塔を建設する場所については、「景勝地を選んで寺塔を建立するべきであり、その景勝地は富士山であり、そこに建立されるべき根本の寺が本門寺である」とされた。だから富士山の周りに日蓮宗のお寺は多いし、わが寺こそ本山だという寺も多い。「七大本山」「富士五山」「興門八本山」というように我こそ日蓮宗の本流だと主張して、それぞれが引かない。しかしお寺の主張には余り興味がない。

北山本門寺にはかつて五重塔があった。江戸時代に建立された大石寺五重塔と肩を並べるような大きな五重塔だったようだが、明治43年(1910)、改修工事中に火災を起こして焼失してしまった。今、境内にその十分の一の精巧な模型が造られて、ガラス張りの箱の中に安置されていた。いずれ再建の考えがあるのだろうか。

案内板によると、三代将軍家光の側室お楽の方の発願により、四代将軍家綱の外祖母むらさきの方などの寄進を受け、元文5年(1740)に落成した。高さ33メートル、三間四面、約30平方メートルの規模であった。


(北山本門寺五重塔跡)



(五重塔の礎石)

近くの「御塔林」と呼ばれる山中に五重塔跡が残っているという看板の地図の通りに車で進んだ。土の山道に分かれるところに駐車して、歩いて入る。200mも行くと、林の中に幅3メートルもあろうか、なだらかな石段が見えてきた。石段の上には平坦な土地の中に土俵より一回り大きい基壇が築かれ、埋めた大きな基礎の石が幾つも天辺を見せて埋まっていた。それぞれの石には直径10~20センチの穴があいている。基壇の周囲にかなり広く空が開いていた。空想でそこにミニチュアを十倍にした五重塔を建ててみた。赤く塗られた柱や壁が緑に映えて美しい光景になるだろうと思った。石段下の谷は林の下を埋め尽くして椎茸のホダ木が並んでいた。

北山本門寺から直線距離で約500メートル、かつては本門寺山域がこんなにも広かったということなのだろう。
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