平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
海野弥兵衛信孝日記(6) - 駿河古文書会
引き続き、海野弥兵衛信孝日記で、1月11日の部分である。
伊勢参宮から次々に帰ってくる記事がたくさん出てくる。その中に、平かなで「ぞうじ」という言葉が出て来た。予習では分からないまま、会の当日になった。講師の説明では、「ぞうじ」は雑事と書き、行事等の後の簡単な宴会のことで、神事の後のなおらいとか、現代の慰労会などもそうであろう。年配会員の若い頃、何かというと、「ぞうじにしよう」という言葉が、一杯飲みに行こうという感じで使われていたという。地域性のある言葉であろうか。伊勢神宮参拝は、代表して参拝しているので、簡単な宴会を開いて、参宮の報告や土産話をしたり、土産物を配ったり、場合によっては伊勢で覚えた伊勢音頭の唄と踊りを披露したりした。海野家では、そういう集りに、こまごまと祝儀を出している。
十一日
一 蔵びらきなり
一 米半荷、新蔵方より借りる 使い七右衛門
但し、三、四日の内返し候積り
一 今十一日田地へ起し初めに七右衛門遣わし候事
一 塗木具弐つ、善六へかし遣わす
一 白木具弐つ、久蔵方へかし遣わす、使い長五郎
一 下屋敷養父へ手紙遣わし候事、使い圓二
但し、村方伊勢参りぞうじ致され候者への、これまでの取り計い方、聞き合わせの事
※ ぞうじ(雑事)- ここでは、行事等の後の簡単な宴会のこと。なおらい。代表で行った伊勢参宮の報告会のようなものが行われた。
会では、「五左衛門、新五郎、小作、久吉、伊之助、只今帰り候由をもって、来たり候事」という一文が、意味不明だと説明があった。帰ったのか来たのか、分からない。この記事も伊勢参宮がらみの話と解釈すれば理解できる。つまり、「(伊勢参宮から)只今帰り候由をもって、(御礼に)来たり候事」と解釈すれば、意味不明ではない。
一 草深吉蔵来たる、もっとも年礼年玉として、のり到来候
但し、酒呑ませ候、外にすずき魚持参候に付、買う、代三百五十文払う、
一 五左衛門、新五郎、小作、久吉、伊之助、只今帰り候由をもって来たり候事
一 丹六忰、同断来たる
一 養父来たる、品々相咄し候事
但し、過刻、手紙をもって申し候儀、聞き合わせいたす
一 久吉来たる
但し、同人方へ過日銭弐百文遣わし候礼、申し聞けられ土産として酒壱升、佐束半状、到来候、もっとも御札壱枚相添え、到来候事
一 和助方よりそば切り到来候、もっとも同人忰、伊勢参宮に罷り越し、帰られ候に付かくの如し
但し、同人伊勢へ出立のみぎり、自分留守にて無沙汰いたし候に付、銭弐百文見舞として右使いの者へあつらえ遣わし候事、使い安兵衛
一 燈油弐合、常吉方より借りる、使い七右衛門
一 栄蔵宅へ七右衛門遣わす
但し、兼て申し付け置き候酒、来たり候哉、聞き合わすなり
一 伊之助、ぞうじ致され候と申すに付、見舞として、銭弐百文遣わす、使い七右衛門、序(ついで)に付、遣わし候事
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