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近代化遺産 牧之原隧道

(牧之原隧道金谷口)

東海道本線のルートに宿駅筋ルートが選定された事情については3月28日の書き込みで記した。宿駅筋ルートの選定の結果、大井川と牧之原という東海道線きっての難工事が課題となった。大井川に渡した橋梁は別の機会にして、牧之原に掘られた牧之原隧道について調べてみる。

牧之原隧道は当時の最先端技術を投入して、1889年(明治22年)に完成した。このトンネルの開通と同時に、東海道本線新橋駅~関ヶ原駅間は開通した。1,056メートルで、その当時では最も長いトンネルであった。現在、金谷駅からすぐトンネルに入るが、よく見るとトンネルは三つあって、その中で使われていない右端のものが、明治20年に完成したトンネルである。

今日、仕事の後、金谷駅線路沿いのトンネル金谷口のそばまで近寄って見てきた。トンネル入口には残土が詰め込まれて塞がれていた。入口はアーチ形に組んだ石組みが残り、中は天井に煉瓦積みが見えた。立派な近代化遺産だと思うが、まったく忘れられているのは大変残念なことである。

「鉄道唱歌」では、牧之原隧道は、近くにある旧東海道の難所であった小夜の中山と共に、24番で以下のように歌われている。

   ♪ いつしか又も暗(やみ)となる 世界は夜かトンネルか 
           小夜の中山夜泣き石 問えども知らぬよその空
 


(長光寺の石盥)

島田へ歩いた日、帰りに金谷駅裏の長光寺に寄った。満開のシダレザクラを横目に境内に入った。目当ては手洗い用の石盥である。トンネル工事に全国から集まった工事人たちが、歴史的なトンネル工事を終えて、隧道竣工記念に残したものだと言われている。判らないのはトンネルの開通は明治22年だが、石盥の日付が明治36年になっている点である。調べてみると、複線化がなったのが明治36年だから、この石盥は2本目のトンネルを掘ったときの記念のものだろうと思った。


(牧之原隧道菊川口)

菊川駅へ歩いた日、牧之原隧道の菊川口からトンネルを見た。東海道線の上りと並んで見えた。よく見ると、左側の古いトンネルには金谷口と同じ石組みが見られた。使われていないから、レールや枕木が無い。ちなみに下りは少し離れたところにある。明治36年、現在の上りトンネルが掘られて複線化が成った。昭和50年代にトンネルが老朽化して、まず下りを新しく掘り、上りトンネルを補修して、最も古いトンネルを廃道としたのである。

この近代化遺産の牧之原隧道が見捨てられているのは大変残念である。トンネルの中を人が歩けるように整えれば、トンネルの先の神谷城から人々は1キロ余りでJRの電車に乗れるようになる。車を通すのは無理でも自転車ぐらいなら通せると思う。トンネル内で当時の工事の苦労が観察できるように整えれば、観光コースに出来る。金谷駅で降りて、石畳の金谷坂を越え、小夜の中山で遊び、帰りにはトンネルを通って難なく金谷駅に戻れる。そんなコースがたちまち頭に浮かぶ。
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