平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
夢は仙人になること
(O氏の自費出版の本)
大学時代に大学の外で知り合ったO氏は不思議な人である。まじめに仙人になるという夢を持っていた。いや、今も持っていると思う。
O氏は静岡の街中に庵(いおり)のような部屋を借りていた。はじめは仲間と誘い合ってそこへ行ったが、いつか単独で3日に置かず訪れて、色々な話を聞いた。文学の話、宗教の話、易の話、そして仙人の話。人生を20年そこそこしか生きていなかった自分には、そんな浮世離れした話がたいへん新鮮であった。
仙人になるには仙人の弟子になればよいのだが、その師事する仙人が見つからない。彼は断食をしたり、山野を駆け巡ったり、四柱推命学を学び人生の真理を探求したりと、文献やハウツー本(?)を紙の裏まで読んで、考えられる手段を次々に試していった。
独身のまま、定職も持たず、齢を重ねて(もう70歳を越している)来たが、まだ仙人になったとの報に接していない。ただ、この30年以上、年賀状や手紙のやり取りはあるが、本人には逢っていない。もしかしたら、本当は仙人になっていて、内緒にしているとも考えられる。本人が会うことを嫌がっているのはそのせいかもしれない。そういえば「望仙の記」という仙人に会う小説を書き、自費出版した作品集を送ってもらったことがある。あれは実体験で、あの機会にあちらの世界に行ってしまったのかもしれない。
自費出版の句集を2冊送ってもらったこともある。誰にも師事しないで、独学で独自の境地を開いた俳句である。だから誰からも評価を受けることも無い。自分には俳句の良し悪しを判断出来る素養がないが、句集は全国の山野を巡る中で生み出された句でびっしりと埋まっていた。
今なら「おたく、引籠り、ニート」(嫌な言葉だ)などと、10束一絡げに言われる生活方法なのだろうが、それはそれで一つの人生である。金儲けだけの人生とどちらが豊かであるかは、判断が分かれる問題だと思う。
そうだ、今年も新茶をO氏に送ろう。
大学時代に大学の外で知り合ったO氏は不思議な人である。まじめに仙人になるという夢を持っていた。いや、今も持っていると思う。
O氏は静岡の街中に庵(いおり)のような部屋を借りていた。はじめは仲間と誘い合ってそこへ行ったが、いつか単独で3日に置かず訪れて、色々な話を聞いた。文学の話、宗教の話、易の話、そして仙人の話。人生を20年そこそこしか生きていなかった自分には、そんな浮世離れした話がたいへん新鮮であった。
仙人になるには仙人の弟子になればよいのだが、その師事する仙人が見つからない。彼は断食をしたり、山野を駆け巡ったり、四柱推命学を学び人生の真理を探求したりと、文献やハウツー本(?)を紙の裏まで読んで、考えられる手段を次々に試していった。
独身のまま、定職も持たず、齢を重ねて(もう70歳を越している)来たが、まだ仙人になったとの報に接していない。ただ、この30年以上、年賀状や手紙のやり取りはあるが、本人には逢っていない。もしかしたら、本当は仙人になっていて、内緒にしているとも考えられる。本人が会うことを嫌がっているのはそのせいかもしれない。そういえば「望仙の記」という仙人に会う小説を書き、自費出版した作品集を送ってもらったことがある。あれは実体験で、あの機会にあちらの世界に行ってしまったのかもしれない。
自費出版の句集を2冊送ってもらったこともある。誰にも師事しないで、独学で独自の境地を開いた俳句である。だから誰からも評価を受けることも無い。自分には俳句の良し悪しを判断出来る素養がないが、句集は全国の山野を巡る中で生み出された句でびっしりと埋まっていた。
今なら「おたく、引籠り、ニート」(嫌な言葉だ)などと、10束一絡げに言われる生活方法なのだろうが、それはそれで一つの人生である。金儲けだけの人生とどちらが豊かであるかは、判断が分かれる問題だと思う。
そうだ、今年も新茶をO氏に送ろう。
コメント ( 1 ) | Trackback ( 0 )
« 神武山とマル... | 台所製茶場は... » |
できれば、あなたがご存知のO氏の著書情報を教えてください。宜しくお願いします。