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第四番 大日寺


(大日寺本堂・大師堂)

やや小振りになった雨の中、第四番札所 黒巌山 大日寺まで5キロメートルを歩いた。遍路道は山裾に沿うように続いている。金泉寺の山門前で写真のシャッターを頼まれた同年輩のお遍路さん(後に番外霊場も含めて回っていると聞いた。「番外」さんと呼ぼう)と前になり、後になって歩く。


(岡の宮の大クス)

岡上神社(岡の宮)にクスノキの巨樹があった。徳島県の天然記念物に指定されている。「番外」さんも足を止めて、立派なクスノキだと感心しながらデジカメに納めた。1991年、環境庁の巨樹・巨木林調査によると、幹周囲17.66メートル、主幹6.72メートル、樹高25メートル、枝張り34.7メートル、株が3つに分かれている。堂々とした樹相で参道を覆っている。

クスノキの巨樹をきっかけに「番外」さんと少し話をした。歩き遍路は2回目で、今回は番外霊場も含めて周るつもりで計画している。途中、番外霊場の大山寺に行くので道を逸れると話す。泊まりも自分とは違った。

遍路道にはこの後、「大師庵」「振袖地蔵」「金龍山蓮花寺」と小さな仏教施設が続いて現れる。天正十年(1582)、板西城主、赤沢信濃守は土佐の長曾我部元親と中富川の合戦を戦い、敗れて討ち死にした。その時、数多くの寺院が焼き払われた。三番金泉寺もことごとく焼失したと由緒書きにあったし、赤沢氏の菩提寺であった金龍山蓮花寺も焼失した。その後、叢から本尊十一面観音像が掘り出され、小さなお堂の「金龍山蓮花寺」に祀られている。また合戦の折に土佐方に切り殺された、赤沢信濃守の幼い姫カヨを供養するために「振袖地蔵」が建てられた。


(愛染院)

遍路道の通り道に、金鶏山 愛染院という小寺があった。山門には「四国三番奥の院」と書かれていた。金泉寺の奥の院という意味なのだろうか。歩き遍路への無人の湯茶接待所があった。この愛染院は藍染院に通じている。そういえばこの地域は藍染用の藍の古くからの産地である。途中に比較的新しい石碑があった。碑文によると、

岩田ツヤ子の碑(明治三十九年~平成九年没)
第二次世界大戦中、国の方策に依り、藍作りは食料増産の為、禁止作物となった。藍は一年草の為、毎年種を採り続けないと途絶えてしまう。叔父、佐藤平助の依頼を受け、憲兵・警察の目を逃れ、命がけで松谷の山奥で五・六年間種を採り続けた。この努力が基礎となり、戦後一早く佐藤家で藍作りが復活した。



(大日寺山門)

愛染院の先のうどん屋「萌月」でうどんを食べて、山中に入った。途中で参拝を終えた「番外」さんとすれ違う。12時50分、赤に彩色された塗料が剥げ掛かった山門を潜って、大日寺に詣でた。山門は階上が鐘楼になっていた。
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