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事実証談 巻之三 異霊部20 瘤のとれた話


(第49話の挿絵)

「四国お遍路まんだら再び」の中で、「クマのぷーさん」と渾名を付けた中国人の部(ぷー)さんとは、お遍路でほぼ一日一緒に歩いた。当時で、日本在住すでに16年、日本語はペラペラで色々と話した。内容は「再び」の中に書いたが、その本を送りたいと思うも、住所も何も聞いて置かなかった。昨日、ふと思い付いた。明石に住んでいると聞いたから、同じ明石に住む甥っ子に調べて貰ったら、ひょっとして分るかも知れない。さっそく電話した。手掛かりは、「再び」に書いたことがすべてである。ほとんど無いに等しい。唯一、部(ぷー)という名字が大変珍しい。本人も同じ名字の人は日本にはいないと思うと話していた。甥っ子には面倒なことを頼んでしまったが、見つかる可能性は低いだろう。部(ぷー)さんはこのブログの事は承知しているから、もし、この書き込みを見ていたら、連絡を欲しいと思う。

「事実証談 巻之三 異霊部」の解読を続ける。

第49話
山名郡下地という所に、年老いて子もなく、只一人住まる嫗(うば)有る。この嫗の面に大なる癭瘤(こぶ)有りて、いと怪しかりしを、同郡米丸村の医師溝口春水、かの嫗に出会いたるに、その癭(こぶ)なきを怪しみ、いずれの医師の治療にてか平癒せしと尋ぬれば、かの嫗、こは治療にて平癒せしにあらず。ある日、乞食に等しき僧来て言えるよう、汝面に癭ありて煩わしからん、まじないて得さすべしと言えり。

それは嬉しく侍れど、一銭の礼謝せん事も難き身なりと言えば、礼謝を得むの心にあらず、我れ汝が煩はしからん事を思いてなりと、則ち柱杖(つえ)取直し、我が面の癭をまじない、近からんほどに平癒すべしと言いつるを、日も経ずして平癒しつるは、いと怪し。さて、その僧は弘法(大師)にて有りしかと言えりと、則ち溝口氏の物語なり。


第50話
周智郡久野郷の甚七、寛政六年と言いし年の比より、耳の辺りに癭瘤発(いでき)たるに、年月にそえて、ただならず、既に寛政十年と言いし年に、いと甚く大きになれるを、森町村、猪原道悦という医師に治療を乞えど、治療せん事安からじと言うに、せん方なく、瀬川という所のはやり薬師に、月毎に詣でて祈願するに、かつがつ減じ寛政十二年という年までに、いつしか名残なく全快せりと、猪原氏の物語りし。
※ かつがつ(且つ且つ)- 少しずつ。ぼつぼつと。

後、そのわたりの人に、なおよく尋ぬれば、その比は速やかに平癒せしを、またさらに吹出(ふきで)しを、かの薬師に祈願怠らず、月詣でもしたれども、只一時の流行(はやり)事にて、その験(しるし)なかりきと言えり。こゝを以って、流行物(はやりもの)はその時々の神の御心なる事知られぬ。これは同例数多あれど、事繁ければ省きつ。
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