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日限地蔵、30年間お礼参り

(庭のネモフィラ・マクラタ)

何十年来の取引先、資材会社の元社長のKさんが、20日、亡くなられたと、静岡新聞に出ていた。享年88歳だという。

自分はKさんと直接仕事をする職場にはいなかったが、幾つかのかかわりがあった。30年も前からだったか、記憶にも残らないほど昔、多分会社に入って数年の頃からと思う。Kさんは毎月一回26日前後に必ず会社を訪問され、社長在社の時は社長と話し、不在に時は我々と二言三言、言葉を交わされてお帰りになるという行動を続けられた。来られたときはちょっとしたお土産を持参され、我々もご相伴にあずかった。

Kさんは昔は社長で、その後会長、さらに相談役と役割を変えられたが、その習慣はずっと続いた。Kさんが見えたと聞いて、ああ、今日は26日かと改めて暦を見るようなことがよくあった。ハッピーコールにしては正確すぎる。Kさんがどうして毎月26日なのかという理由はそのうちに知れるところとなった。

島田市へ合併する前の金谷町島に「日限地蔵」がある。大変霊験あらたかで近在はもとより遠方からもお参りに来る人が絶えない。このお地蔵さんは日を限ってお願い事をすれば叶えられるといい、この名で呼ばれている。

ある時、自分の会社の従業員が深刻な眼病を患った。Kさんは金谷の日限地蔵の噂を聞き知っていたのだろう、その従業員のため参詣し、日を限って快癒を祈願した。奇跡が起こり眼病は全快した。Kさんは大喜びで、これもお地蔵さんのご利益とお礼参りに行った。毎月26日は「日限地蔵」の月の祭礼のある日である。その後、月の祭礼の日のKさんのお礼参りが行事となった。延々と続いて30年の余となった。

その日に会社へ見えるのは、「日限地蔵」に最も近い大口取引先だったからである。それにしても社長業以外にも色々と要職に就き、多忙な中で毎月の特定の一日をお参りに使うということは大変なことである。

Kさんとは浜松の取引銀行の取引先の会合でときどき顔を合わせた。知合いの少ない浜松での会合で、よく声を掛けていただいた。会の副会長で少し高い声で挨拶をされた。支店長の新旧交替の歓送迎会では、挨拶の中で支店が出来て以来の歴代の支店長の名前をすべて並べられ、皆んなを驚嘆させられた。興が乗ると、「××××の守さま、お成り~」などと、支店長の新旧交替を大名のお国替えに見立て、芝居仕立てで発声し、参会者を驚かせたり和ませたりする名物副会長だった。

そういえばこの何ヶ月かお顔を拝見しなかった。新聞によれば葬儀は今日あったようだ。ご冥福をお祈りして、合掌。
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