テキスト解析(1)

2014年05月20日 | 日記
ドイツリートに興味はあるけれど、ドイツ語が...という生徒さんが少なくないので、誌上テキスト解析を試みたいと思います。今回はモーツァルトの有名な歌曲「春への憧れ」を取り上げます。詩はC.オーヴァーベック。「今月の歌」として大学1年生の授業で歌っています。長い詩なので第1節のみご紹介します。
注:ドイツ語にはウムラウトという特殊文字があります。a, u, o のそれぞれの上に点々がつくのですが、文字化けしてしまうので、ここではaのウムラウトをae, uのウムラウトをue, oのウムラウトをoeと表記します。

Komm, lieber Mai, und mache die Baeume wieder gruen,
こむ、 りーばー まい、うんと まっへ でぃー ぼいめ ヴぃーだー ぐりゅーん

Und lass mir an dem Bache die kleinen Veilchen blueh'n!
うんと らす みーあ あん でむ ばっへ でぃー くらいねん ふぁいるひぇん ぶりゅーん

Wie moecht' ich doch so gerne ein Veilchen wieder seh'n!
ヴぃー めひと いっひ どっほ ぞー げるね あいん ふぁいるひぇん ヴぃーだー ぜーん

Ach, lieber Mai, wie gerne einmal spazieren geh'n!
あっは、りーばー まい、 ヴぃー げるね あいんまーる しゅぱつぃーれん げーん

読み方は基本的にはローマ字読みですが、ドイツ語特有の文字や読み方もあります。
1行目。
komm: 母音は、その後ろに子音が2つ以上あれば短母音になりますので「こむ」。英語のcomeにあたり、ここでは命令形で「おいで」、「来なさい」という意味です。
lieber:りーばー。「ie」は「いー」と発音します。語尾の-erは口語では「あー」です。親愛なる、という意味です。
Mai:まい。5月のことです。
und:綴りの最後の「d」は語末硬音化を起こし、「うんど」ではなく「うんと」となります(bやgも同様にp、kという音になります)。英語のandにあたります。
mache:「ch」は、その前にa, o, u, au がある時は「は」から「あ」を取り去った喉音になるので、ここでは「まっへ」。英語のdoにあたり、「作る」、「する」という意味です。ここでは命令形で「~しなさい」。
die: でぃー。英語のtheにあたる定冠詞です。
Baeume: ae はウムラウトで「え」と読むのですが、aeuは「おい」と読むことになっているので「ぼいめ」。Baum(「木」)の複数形。Baumkuchen(バウムクーヘン)というお菓子がありますね。木の切り株模様のケーキだからそう呼ぶのだそうです。
wieder: 「w」は英語の「v」と同じ音です。「ヴぃーだー」。再び、という意味です。
gruen: 「ue」はウムラウトで、「う」の唇の形で「い」と発音するのです。カナでは表記できないのですが、一応「ぐりゅーん」としておきます。英語のgreenにあたります。

「おいで、愛しい5月よ、そして木々を再び緑にしておくれ」

2行目。
und:うんと。
lass:らす。「ss」は本来はエスツェットという特殊文字で、ssで代用します。発音は「す」から「う」を取り去った無声音。「~させる」という使役の動詞の命令形です。
mir: みーあ。語尾のrは口語では母音化して「あ」となります。「私に」という意味です。
an: あん。「~の際に」という意味。
dem: でむ。定冠詞です。
Bache:ばっへ。chの発音については上記の通り。小川という意味です。
die: でぃー。定冠詞です。定冠詞にいろいろな形があるのはドイツ語入門時の鬼門の一つです(-_-;)
kleinen: くらいねん。「小さな」という意味。
Veilchen:ふぁいるひぇん。「v」は英語のfと同じ発音です。「ei」は「あい」と読みます。chは、その前にa, o, u, au が来る時以外は「ひ」から「い」を引いた無声音になります。「スミレ」という意味。あ、ドイツ語では名詞は常に語頭を大文字で書きます。わかりやすくていいですよね。
blueh'n:「ue」はウムラウト。ぶりゅーん。本当はbluehen(ぶりゅーえん)なのですが、韻の関係でeが脱落しています。hは無声で、その前に置かれた母音を長母音化します。「(花が)咲く」という動詞です。

「そして、ぼく(のため)に、小川のほとりに小さなスミレの花を咲かせておくれ」

ああ疲れた(笑)。続きは次回。


大切なもの

2014年05月18日 | 日記
朝起きるとまず窓から山の稜線を眺めるのが日課になりました。最近ではうっすらと見えるか、全く見えないかのどちらかです。くっきりと見えていたのはいつまでだったでしょうか。父が起床と同時に窓を開け、外の空気が入ってきて目がシパシパと痛痒くなって目が覚め、外を見ると薄雲って見える、というのが最近お決まりのパターンです。昨日と今日は特にひどかったですね。今月は熊本市内の小中学校は運動会のところが多いので健康被害が心配です。先日、東京に1週間ほど滞在して熊本に帰ってきた方が「熊本は空気が汚い」と言われた話を聞きましたが、東京よりひどいなんて処置なしです。
先週レッスンに来た大学生は、サークルの新入生勧誘のため戸外で大きな声を出したら声が嗄れてきて、耳鼻咽喉科で「声帯の前方が硬くなっている」と言われたとのこと。彼女は自宅から大学まで自転車通学をしているので、最近はマスクを二枚重ねにしてかけているそうです。大きな声を出したせいもあるでしょうが、空気の悪さも声嗄れを助長したに違いありません。私も未だに15分以上は歌えないのです。
今日の午前中は合唱団の練習でしたが、窓を開け放ってあったので、練習の途中で目が痒くてたまらなくなりました。団長はじめ男性諸氏からは「アレルギーの人は大変ですね。私は別に何も感じませんよ。鈍感なんですかね」と言われました。私も他のことでは十分に鈍感なのですが(笑)。
こういう毎日の中では、大学2年生の授業で読んでいる『星の王子様』の「大切なものは目に見えない」という有名なフレーズがひどく現実的に感じられます。大切なものとは、ここでは愛や真心、夢、希望、祈りなど「私たちの人生を根底で支えているもの」を指しているのですが、空気こそ「目に見えない大切なもの」の筆頭ではないか、という気がしてくるわけです。歌うことや喋ることに支障をきたすという事態は、私たちの業界では、大げさに言えば死活問題ですからね。
失って初めてその大切さを知る、という愚を人間は昔から繰り返してきたのでしょうが、人間とはなかなか学習しない生き物ではあります。pm2.5は私たち自身が望み、日々享受している豊かな物質文明の残滓なのですから、中国ばかりを責められません。

一体感

2014年05月16日 | 日記
わが合唱団の母体である熊本日独協会の年度総会が開催されました。総会後の懇親会では毎年、合唱団の活動報告も兼ねて歌をご披露しています。今年は合唱団の「愛唱歌集」作成に協会から全面的な財政支援を頂けることになり、協会と不離一体の合唱団を協会員の皆様にも身近に感じて頂きたいという願いから、今回は懇親会の最後に皆様とご一緒に歌う形にさせて頂きました。曲目は我が団のテーマソングであるウェルナーの「野ばら」、日本語の歌詞でも親しまれているドイツ民謡「かすみか雲か」と「夜汽車」、そして最後に合唱団だけでメンデルスゾーンの「緑の森よ」の4曲です。最初の3曲は最初にドイツ語、そのあと日本語で歌います。
一応全曲とも混声合唱曲ですが、メロディしか歌えない方はメロディを、日本語しか歌えない方は日本語を歌えばよいことにして、休団中の方や元団員の方、他の合唱団で歌っている方、歌がお好きそうな方に片っ端から声をかけてステージに上がって頂くと、聴衆より壇上の方が人数が多くなりました(笑)。あらかじめ歌詞カードを配布しておいたので、「お聴きの皆様もどうぞその場でご一緒に歌って下さい」と挨拶して1曲目の「野ばら」の演奏をスタート。するとどうでしょう、壇上からは大波が押し寄せるようなダイナミックな歌声が響いてきます。1番をドイツ語で歌い、テーブルの方に向き直って指揮をすると、お聴きの皆様もその大波に乗って日本語で声高らかに唱和して下さいました。何とも言えない温かい一体感が広がり、1曲目を振り終わった私は思わず拍手とともに「素晴らしい!」と声を上げたほどでした。歌った後のお顔つきが皆さんとても柔和です。2曲目、3曲目と温かい一体感はますます膨らんでいったところで、最後に「ただ今合唱団で練習中の曲をお聴き下さい」とメンデルスゾーンを演奏しました。テノールが1人しかいないというアンバランスな構成で、テンポがずれたりもして未熟な演奏ではありましたが、そういうことがあまり気にならないような自発性のある合唱で、歌い終わると大きな拍手とともに「アンコールは?」という声がかかりました(笑)。心から満足して席に戻ると、同じテーブルの方たちが「練習日はいつですか?」、「どこで練習しているんですか?」と興味津々。更に、先週入団されたばかりの女性が「あの...こちらのお二人が次の練習日に見学に来たいとおっしゃっているんですが...」と言いながら私と副団長にその方たちを引き合わせて下さいました。何とまあ、今日だけでこんなに反響があるなんて、団員不足が一気に解消しそうな勢いではありませんか!
閉会後、会長が「今日は歌で皆さんと一つになれましたね、温かくてとてもよかったです」と仰って下さいました。私自身も、これまでにない雰囲気にちょっと感動しました。帰宅後の今もまだ余韻が残っています。
全国の日独協会の中でも、熊本の協会は合唱団を持っているという点で特異な存在です。合唱団を擁する協会は「人の心をつなぐ」ツールを一つ余計に持っている協会である、と思えた今日は、協会理事でもある私にとって格別に嬉しい日でした。

子は宝

2014年05月14日 | 日記
今日、小さい2人の男の子をお持ちのFさんがレッスンに来られました。所帯じみた印象の全くない、明朗で爽やかな方ですが、3世代同居で、子育てをしながら仕事もして、こうしてレッスンにも来られているのですから毎日どんなにめまぐるしい生活だろうと思います。これまであまり日常の家庭生活を語り合ったことはなかったのですが、今日はどういうわけか子育ての話になりました。男の子って、女の子と比べるとかなり行動が奇想天外で動きが激しいですよね。とにかくじっとしていないし、こちらの読み通りには動かないし、人の言うことは聞いていないし(笑)、「いったい男の子ってどういう生き物なんだ?」と思わずにはいられない気持ち、よくわかります。自然、一日中怒ってばかり、大声を上げてばかりになるのだそうです。疲れますよね、本当に。
それでも、子供ってすぐに大きくなってしまいます。私は最初の姪が生まれた時、そのあまりの可愛さに驚愕し、続いて生まれた年子の甥も目に入れても痛くないほど可愛くて、我が子を持たない私にこんな幸せをくれた弟夫婦につくづくと感謝したものですが、ついこの前生まれたその彼らが何ともう高校生です。うちの父にとりわけ懐いていた3番目の子も今春から早や中学生となりました。中学生になると残念ながら伯母ちゃんや祖父ちゃんと遊ぶ時間はほとんどなくなってしまうことは上の2人でわかっているので、彼らの健やかな成長が嬉しくもあり、寂しくもあり、です。まあ、もうしばらくは下の2人に楽しませてもらえそうですが、きっとこの子たちもあっという間に大きくなってしまうことでしょう。
そんなことを思いながら、子供の頃の育ち方、つまり親の関わり方や家庭環境がその後の人生にどれほど大きく影響するかを、自分の子供時代の忘れられない記憶を引き合いに出しながら話しているうちに、Fさんもご自分の遠い記憶が蘇ってきたのか、涙目になりながら大きく相槌を打ってくれました。私は子供の頃、親や周囲の大人にとても愛されて育ったのですが、それでも家庭の中で深く心傷ついたことが何度かあり、そのせいか、子供心にかなり孤独を感じていました。この年になるとさすがにもう傷は癒えていますが、傷ついた記憶は今もはっきり残っているのです。幸いピアノや歌や本が、小さな心の器から溢れてしまったものの受け皿になってくれたので、そのまま音楽と文学がその後の人生の伴侶となったわけです(笑)。人は孤独を知って大人になると言いますが、私はその時期が少々早過ぎました。その経験から、Fさんに「子供を怒りっぱなしにしないで、あなたはお母さんの宝よ、としっかり伝えてね。伝わるように伝えてね」と話したのです。自分が愛されていることを実感して育てば、きっと温かい心の持ち主になるでしょう。そして、心の温かさ、豊かさ、知性、品格などは不思議と何らかの形で外ににじみ出てくるものです。演奏を聴き、ステージマナーを見れば、演奏者の心映えや知性や教養はあらかたわかってしまいますものね。音楽家としてだけでなく家庭人として、また社会人として、つまり人間としてのトータルがそこにはおのずとにじみ出るので、ですからいかに発声の技術がすぐれていても、音楽的表現が巧みでも、なぜか心に響かない演奏というものもあり得るわけです(実際、そういう演奏に接することもままありますし、逆のケースももちろんあります)。そこが人間のなすことの不思議さと面白さでもあります。
愛情豊かな人間になりたいと思いつつ自分だけの世界で空回りしていた頃に姪が生まれ、心から愛情を注ぐ対象が出現してくれたお蔭で、ぎりぎりセーフで人間らしい情感を取り戻した30代の頃の私を思い出すと、幼子は大人の心を変える力を持っていることが確信できます。Fさんとの会話で改めて思い出しました。

裏方奮戦記

2014年05月12日 | 日記
昨日の午前中は合唱の練習日でした。新しい方が男女お一人ずつお見えになり、入団して頂けそうな気配です。やった!
練習後、午後は友人のコンサートの手伝いに行きました。友人というのはこの合唱団の副団長兼音楽監督補佐(すなわち私の片腕)のIさんで、コンサートはIさんと私の共通の知人Hさんとのジョイントコンサート、伴奏はうちの合唱団の前任の伴奏者Mさんです。場所はいつもうちの教室のクリスマス会で使わせて頂いている繁華街の画廊喫茶。これは手伝うしかないでしょ、というシチュエーションですよね(笑)。
昨日はとても良いお天気で、日曜日の昼間という絶好の集客日和でもあり、開場前から続々とお客様が来られました。お花の配送も引きも切らず、受付は大忙しです。あと2人、私と同年輩の女性と高校生ぐらいの可愛いお嬢さんが受付に動員されていましたが、その女性は「私は開演前アナウンスも頼まれているので」と途中で会場へと消えて行かれ、高校生も開演後すぐに帰ってしまったので、当日清算や当日券販売などお金を扱う仕事に専念しかけていた私も、もぎりやプログラム渡し、会場内へのご案内、花束預かりなど、だんだん仕事がごちゃまぜになってきました。チラシの折り込みに来られていた知人のSさんが、見かねて手伝って下さったので大変助かりました。大勢のお客様で小さな画廊喫茶が立錐の余地もなくぎっしり埋まってしまった頃、定刻となり開演。しかし遅れて来るお客様もいらっしゃいますから、前半が終わるぐらいまでは気が抜けません。暑さと忙しさで汗をかきながらも、こういう裏方仕事が割と好きな私は、外で演奏の切れ目を待っているお客様との会話を楽しみながら、漏れ聴こえてくる演奏も楽しませて頂きました。Hさんはミュージカル出身、Iさんはタンゴの名手、Mさんはフラダンスと役者揃いなので、会場は歌に踊りにトークにと沸き返っています。衣装も素敵で、何とも迫力ある華やぎです(笑)。お客様を楽しませる術を心得た心憎い演出も随所にちりばめられ、1時間半のコンサートは大盛会のうちに終了しました。会場を後にするお客様方の表情の何と明るく楽しそうだったこと。「素晴らしかった~」、「楽しかった~」、「良い曲をたくさん有難う!」、「また聴きたいです!」と口々に賛辞を投げかけていかれました。
終演後の楽屋では、出ずっぱりだったMさんがヘロヘロになって座り込んでいました。開口一番「終わった~」(笑)。無理もありません。お若く見えるけれど3人の中では一番年長で、しかも20数曲を休みなしで弾き通されたのですから。伴奏者は常に歌い手を意識しているので気を抜く時がまったくありません。本当にお疲れ様でした。Hさんは怪物のように(失礼!)精力的で疲れ知らずで、この後の打ち上げでもしっかり仕切りながらずっと喋りっぱなし。あの超人的な体力はどこから来るのでしょうね。Iさんも相当お疲れだったと思いますが、ハイテンションでお食事と会話を楽しんでいました。私は相変わらずのpm2.5アレルギーで体力が限界に近づいたので、途中でおいとましましたが、あの楽しい宴は何時まで続いたのでしょうか。
打ち上げで隣り合った年配の女性が、スケジュールの都合でこれまで入っていた合唱団の練習に行けなくなったので、練習日がウィークデーでない合唱団に入りたいと思っている、おっしゃいました。それなら是非我が合唱団へ、とお誘いすると「ドイツ語なんでしょ」とためらわれながらもちょっと心が動いている様子。心配要りませんよ、ドイツ語と日本語で歌うんですから。ご存じの曲が多いはずですから。今日も「かすみか雲か」、「野ばら」、「夜汽車」を日本語とドイツ語で練習したんですよ。と、これ説得に努めた甲斐あって(?)、来月見学に来て下さるとのこと。やった!「年をとっても声は出るようになるんでしょうか」というお尋ねに「大丈夫、必ず出るようになります」と請け合うと、「何だか希望が湧いてきました」とおっしゃいました。よかった!
充実した初夏の一日でありました。