コーラス盛衰記

2014年05月10日 | 日記
うちの生徒さんの母上が代表をしておられるPTAコーラスのコンサート案内を頂き、聴きに行ってきました。この生徒さんと私は同じ小学校の出身です。うちの母も昔、私が小学生の頃にPTAコーラスに入っていましたが、今日聴かせて頂いた合唱団は創立25周年とのことだったので、おそらく一回途切れて再出発したものと思われます。今日指揮をなさったK先生を私は少しだけ存じ上げています。退職されてからもうかなり年月が経っているはずですが、K先生が指導しておられる別の合唱団も友情出演していましたから、お元気でご活躍で素晴らしいと思いました。
思えば、日本のアマチュア合唱界の歴史におけるPTAコーラスの存在は、日本で女声合唱というカテゴリーが生成発展していく原動力となりました。しかし、昭和の後半に隆盛を極めたアマチュア合唱はその後徐々に衰退し、現在では、学校現場ではブラスバンドに人気をさらわれ、一般社会においてはカラオケ、ゴスペル、ジャズバンドやロックバンドなど音楽の趣味も多様化が進み、どの合唱団も団員減少で青息吐息です。今日も折り込みチラシの中に、熊本のお母さんコーラスの草分けとして歴史と実力を誇ってきた女声合唱団のフェアウェルコンサートのご案内が入っていました。メンバーの高齢化により閉団の運びとなったとのこと。時代の流れをひしひしと感じます。
そんな中、今日のコンサートは、メンバーの皆さんが指揮者の先生を慕い、心から合唱を楽しんでいらっしゃる様子が手に取るように感じられ、気持ちの良いひと時でした。女性は人生を心豊かに生きることに貪欲です。合唱団に所属していると生活が合唱の練習日を中心に回転するような感じになり、心の張りも保てます。合唱仲間との人間関係は(時としてちょっとした齟齬があったとしても)利害関係がないので比較的ほどよい距離を保ちやすく、あまり煩わしさもなく心地よいものです。
もちろん、そのような良き関係が保たれ、練習が楽しく張り合いのある時間であるためには、何と言っても指揮者の求心力が一番大切です。私の経験では音楽づくりには民主主義は成り立ちません。合唱でもアンサンブルでもオーケストラでも(多分)、複数の人間が一緒に音楽をする場合、指揮者は全員が無条件についていく音楽的リーダーでなければいけません。実務的な面(運営面)にはできるだけ立ち入らず、純粋に音楽オンリーに限定してリーダーシップを発揮するのが指揮者の使命であろうと思います。
――これは、私がこれまで接した優れた指導者の姿から学んだ教訓です。しかし私自身は「リーダーシップ」という言葉がこれほど似合わない人間もいない優柔不断なタイプで、メンバーの包容力に寄りかかってかろうじて立っている頼りない指揮者です。もっとしっかり勉強して、自分に多少なりとも自信を持てるようにならなくては。K先生の後ろ姿に学ぶところの多いひと時でした。

朝ドラ雑感

2014年05月08日 | 日記
毎日朝ドラを見ていますが、今回の「花子とアン」の主題歌、歌詞がどうにも聞き取りにくく、意味がよくわかりません。そこでネットで検索してみると、以下のような歌詞でした。

これから始まるあなたの物語
ずっと長く道は続くよ
にじいろの雨降りそそげば
空は高鳴る

眩しい笑顔の奥に 悲しい音がする
寄り添って 今があって
こんなにも愛おしい

手を繋げばあたたかいこと
嫌いになればひとりになってゆくこと
ひとつひとつがあなたになる
にじは続くよ

「そらはっ、たっ、かっなる~」、「まぶしいえっ、がーおのおくに」というセンテンスがよく聞き取れず、そのフレーズを通り過ぎてから意味を類推するのに数秒かかるので、多分「空は高鳴る」、「眩しい笑顔の奥に」だろうと見当をつけた時には歌は先に進んでいるわけです(笑)。ようやく追いつくと、今度は「手を繋げばあたたかいこと嫌いに、なればひとりに」と来るので、またそれで意味不明になる。言葉の切り方とセンテンスの意味が合っていないのです。今はこういうぎくしゃくした歌い方が流行っているのでしょうか。注意を引き付ける効用はある、ということなんでしょうかね。
ともかく、この玉虫色の歌(←曖昧、という意味です。そういえばこの主題歌の題名は「にじいろ」というのだそうです(笑))の後に続くドラマのヒロインは、「赤毛のアン」の翻訳者の村岡花子がモデルです。私たちはひょっとしたら村岡花子訳の物語を読んで育った最後の世代かもしれません。私も小学生の頃から「赤毛のアン」シリーズはもちろんのこと、「ローズの季節」、「花開くローズ」、「美しいポリー」、「風の中のポリー」、「スウ姉さん」、「少女パレアナ」、「あしながおじさん」、「続あしながおじさん」などなど、随分たくさんの村岡訳の少女小説を夢中になって読みました。翻訳もの特有の違和感をほとんど感じさせない名訳でした。
今回の朝ドラを見ていると、「赤毛のアン」の中のエピソードがデフォルメされて随所にちりばめられています。安東はなという主人公の名前にも「アン」が入っているし、はなが蓮子にだまされてワインを飲んで酔っ払い、大騒ぎになる事件は、アンが間違って親友ダイアナにワインを飲ませ、酔わせてしまう場面を思い起こさせるし、ミニー・メイという名前の孤児が登場しましたが、この名はダイアナの妹の名前と同じです。はなのおじいの「そうさなあ」という口癖は、孤児のアンを引き取ったマシュウの口癖でもあります。毎朝見ているうちにたまらなく懐かしくなって、この連休中に赤毛のアンを読み返してみました。すると面白いことに気づきました。子どもの頃は読みながらアンにどっぷりと感情移入したものですが、今回はアンの育ての親、マリラにすっかりトランスしてしまったのです。マリラはおそらく今の私と同じか、もう少し上ぐらいの年齢設定だと思われます。朝ドラを見て少女小説を読み返す気になるほど子ども時代の記憶や感情に強く支配されている私でも、やはりそれなりに年を取っているのですね。
この分だと、子どもの頃夢中になって読んだ「若草物語」や「あしながおじさん」も、今読むと昔とは違う感慨を覚えるかもしれません。ああ、懐かしい名作たちをもう一度片端から読みなおしたくなりました。そんなヒマあるのか、という心の声も聞こえてきますが(笑)。

合宿報告

2014年05月06日 | 日記
1泊2日の阿蘇合宿が無事終わりました。充実した楽しい時間でした。
1日目。集合時間は13:30です。私は父と一緒にYさんの車に乗せて頂いて11:30に出発。途中でちょっと渋滞に引っかかりましたが、無事到着。M先生はメンバーのUさんとそのご主人のIさんとともに一足先に到着し、ワラビ狩りやタケノコ堀りに夢中でした(笑)。
子供の頃毎年夏休みに泊まっていた懐かしい建物は、外観も中も当時とほとんど変わっていません。冬中ほとんど使われていなかったようでホコリが溜まっていたので、参加者の皆さんと一緒にまずは掃除をし、離れから布団を運んだりして準備を整え、2時過ぎから練習を始めました。最初に練習したのは、小林秀雄作曲の「落葉松」の混声4部合唱版です。小林先生の奥様が昨年お亡くなりになったので、12月のチャリティで追悼の意味を込めてアンコールで歌えたらいいですね、と先日の練習時にM先生からお話があった曲です。亡くなられた小林夫人は熊本出身の声楽家で、M先生や私の高校の大先輩です。M先生は小林先生ご夫妻と昔からお親しく、小林先生の多くの歌曲作品の作曲から初演までのプロセスにもかかわってこられたそうです。私は高校時代に女声3部合唱で歌ったことがありますが、混声で歌うのは初めてでした。「落葉松の秋の雨に 私の手が濡れる 落葉松の夜の雨に 私の心が濡れる 落葉松の陽のある雨に 私の思い出が濡れる 落葉松の小鳥の雨に わたしの乾いた目が濡れる」という野上彰の抒情的な詩につけられた、さらに抒情的な歌です。落葉松は南国育ちに私などにはあまりなじみのない木ですが、秋になると金色に黄葉して繊細に落葉するのだそうです。この詩を声に出して読んでみて「どういう状況だと思いますか?」、「心が濡れる、ってどういう意味かしらね」などと問いかけながら、各人の心の中に詩のイメージが形成されていくように誘導され、日本語の抑揚を生かす形に付曲されていることを、実際に歌いながら説明されました。そうすると8分音符と3連符の入り混じった複雑なリズム配列も難しくなくなります。
「メサイア」の練習は、この日は第9曲のアルトアリアに続く「O thou that tellest good tidings to Zion」でした。私は喉がまだ本調子でないのでアルトに回ろうとしたら、M先生は「音大を出た方はどのパートでも歌えるようにしておいて下さい」と仰って、今回は私はテノールを手伝うことになりました。指揮者や伴奏者は全パートが頭に入っていなくてはいけないし、音大を出た方は指揮や伴奏をすることが多いことを念頭においてのお言葉です。途中で席を外して厨房へ行くと、扉1枚向こうのホールから素晴らしく豊かなハーモニーが聴こえてきます。実際は10人ぐらいで歌っているのです。たった数十分でこれほど完成度の高い合唱になってしまうとは、Mマジックの面目躍如というべきでしょう。
練習が終わったところで、うちの弟が子供2人を連れて合流しました。M先生は子供好きで「ぜひ連れていらっしゃい」と言って下さったので、お言葉に甘えて私が誘ったのです。2人とも大喜びでワラビ狩りや花摘みに駆け回りました。メンバーの方たちは近くの温泉に行ったり、厨房を手伝って下さったり。私も普段は父と2人分の食事をちまちま作っているので、今回の合宿では思いっきり料理をする気満々でした。糧秣隊長として同行して下さったIさんが来る途中で材料を買い込んで来て下さって、合宿の定番メニューのカレーを作りました。M先生は、取ってきた山菜やタケノコでてんぷらを揚げています。やがて賑やかな食事がスタート。食後は酒盛り組と温泉組に分かれました。私は温泉から帰ってきて10時過ぎには床につきましたが、夜中2時まで飲んでいた人たちもいたようです。
就寝が早かったせいか3時半ぐらいに目が覚め、朝食のサラダを盛り分けたりゆで卵を作ったりして時間をつぶしましたが、夕方から降り出した雨がかなりひどく、寒さが募ってきました。布団に戻り、もう一度寝ましたが、ふと目覚めてみるとM先生が起き出して一生懸命ストーブをつけようとしていらっしゃいました。芯が出ず、石油ストーブがなかなかつきません。そうこうしているうちに一人二人と起床してこられ、Yさんが焼いてきて下さったパンで朝食。9時から練習です。「落葉松」の仕上げ、ゴスペルの「Make us One」、おにぎりの昼食、午後は1時からまた練習。トリノ五輪のエキシビジョンで荒川静香さんが使われた「You raise me up」という曲と、前日から取り組んでいるメサイアの第10曲です。
いつも思うのですが、M先生のご指導には無駄な練習がありません。臨機応変にその時々のメンバーの力量に合わせ、発音、発声、リズム、ハーモニー、様式、イメージ、すべてを有機的につなげながら、ごくシンプルに見えて非常に合理的な組み立てで曲を仕上げていかれます。一回の練習が終わる時には1曲ができあがっているという寸法です。練習はこうでなくてはいけませんね。合唱指揮者としても毎回本当に勉強になります。
練習が終わり、メンバー全員で掃除をして解散しました。雨に洗われた山は美しく、下界に戻るのが残念な気がしました。また秋に合宿をすることになっています。読者の皆様もどうぞいつでもご参加下さい。

新緑

2014年05月04日 | 日記
美しい季節になりましたね。山々の新緑、道の辺の草花、何もかもが輝くばかりに美しく、シューマンの「美しい5月に」というあの素晴らしい歌曲が一層素晴らしく感じられます。
シューマンの歌曲作品が大好きな私は、毎年この季節になると、ケルナーの詩に付曲された「新緑」という歌曲がふと口をついて出てきます。

若々しい緑よ、爽やかな草よ!
冬の雪によって病んだ、どれほど多くの心が
お前によって癒されたことか。
おお、私の心はどれほどお前を求めただろう!

お前はいまや、地中の闇の中から芽吹いてきたのだ
私の目はこんなにもお前に微笑みかけている、
この森の静かな地面の上で
新緑よ、私はこの胸を、そしてこの口をお前に押し当てる。

人々から離れていたい、と私はどれほど願っていることだろう。
私の苦しみは人間の言葉などで癒せはしない、
この胸に当てた緑の若葉だけが
私の心を静めてくれるのだ。

孤独感とほんの少しの躍動感が、短調のリズミカルなメロディで表現されています。この歌を知った若い頃、「暗い曲だなあ」と思いながらも、妙に懐かしいような不思議な気分を味わったものでした。年とともに感受性が鈍くなることを私は割と肯定的にとらえているのですが、こういう曲を聴いて心の底にわずかな情動を感じる時、ああ、私にもまだ感受性が残っていた、と思ったりします(笑)。

今日から阿蘇でメサイアの合宿です。明後日の報告をどうぞお楽しみに。

音痴じゃないよ

2014年05月02日 | 日記
昨日また新しい生徒さんをお迎えしました。お仕事をリタイアなさった60代の女性の方です。お電話で「70歳の音痴の男性の方の話をブログで読みました。私も音痴なので、何とかなおしたいんです」と仰っていましたが、実際にお目にかかってみると「自分の音程が外れていることがわかるんです」と仰るので、これは音痴ではないと思いました。早速レッスンしてみると、声帯が過緊張で伸縮できなくなっています。また(誰でもそうなのですが)体を使って声を出す習慣がなく、喉だけで声を出しておられます。そこで、体を柔軟にし、筋肉を使って呼気を強く高く飛ばす練習、手鏡を見ながら口の奥を開ける練習、唇や舌のストレッチ、喉の緊張を和らげるエクササイズなどを順にやりながら少しずつ声を出して頂きました。腹圧が弱く、呼気が喉に溜まってしまうので、トランペットのマウスピースを吹く練習もしました。養護の先生でいらしたそうで、生理学的、解剖学的な理解が確実で、やっているエクササイズの意味もちゃんとおわかりになります。過緊張以外は器質的な問題もなさそうだし、これなら音感さえあれば音程が正しく作れるはずだと思い、音域の比較的狭い唱歌を何曲か歌って頂いたところ、どれも何の問題もなく見事に音程正しく歌われるので「ほら、全然音痴じゃありませんよ」と言うと「本当ですか、良かった~」ととても感激されました。このMさんは、いわゆる音痴ではなく、音感は人並みかそれ以上にあり、だから自分の出す声が「正しい音程」と違うことに悩んでこられたのです。「遠足や修学旅行のバスの中でマイクが回ってくるのが教師生活最大のストレスでした」とのこと。聞いていて胸が痛くなりました。
これまで音痴を直したいと言って入門された方たちは皆さん「音痴のままでは死ねないと思ってここに来たんです」と言われていましたが、Mさんも全く同じことを仰いました。何と「ネットで音痴矯正スクールを検索して、東京までレッスンに通おうかと思っていました」と仰るので、そこまで思い詰めていらしたのかと、これまでの苦しみに深く同情してしまいました。これでもう思い残すことはなくなりました、と嬉しそうに言われ、私も本当に嬉しくなりました。
音痴はなおります。しかしそれ以前に、Mさんはそもそも音痴ではありません。発声法さえわかれば音程もリズムも正しく歌えるのですから。我が教室には本物の(?)音痴の方、つまり「音程」とか「リズム」という概念自体が全く(あるいはぼんやりとしか)わからない方もこれまで何人かみえましたが、そういう方たちもちゃんとなおりました。その経験から、私は「音痴はなおる」と公言して憚らないのですが、Mさんのように本当は音痴ではないのに音痴だと思っている方も案外多いのかもしれませんね。「音痴矯正クリニック~「音痴」は思い込み!?~」という講座をやりたくなりました(笑)。